この世界とは?

 白鳳龍

写真ではその素晴らしさの一端しか伝わらないが、想いの詰まった作品なので掲載した。いつか実物を見て欲しい。圧倒的に伝わるものがある。
日頃、自分たちは沖縄でも東京でも、アートを通してみずからの心に向き合っている。この作品はどれくらいかかったように見えるだろうか?勿論全体像をみていないのでわからないだろうが、この部分だけでも相当細かいのがわかるだろう。
テーマがあり、その時とのシンクロもあり、一つの作品となる。場所との調和、想いの込められたストーリー。価値を高めあい、更なる高みへと目指していく。どんなに綺麗事を言ったとしても、作品になるとすべて内面がでてきてしまう。
この作品は3人の仲間が三日間徹夜して制作したものだ。その中には、筆の使い方すら知らなかった全くの素人もいる。仲間の感想を紹介する。
「過酷な数日間であったと共に、猛烈な感謝がありました。本当にいろいろな自分との葛藤が有りました。直ぐに限界を作ってしまう自分の弱さが嫌でたまらなかった。
沢山の苦しみを感じて、自分がもっとブレずに強くならなければ、人を救うことなんて出来ないのだと改めて痛感しました。私はまだまだだなぁ。弱いよなぁって、まざまざと、感じました。
と同時に、この数日間を乗り越えることが出来たのは、仲間がいたから。共にアートを出来る仲間がいることや、アートを一緒にできなくても、繋がっている仲間たちの想いを本当に沢山沢山感じました。だから、とっても幸せで、その幸せを噛み締めています。
猫寺という、素敵な場所に自分の触らせていただいた作品が残ることの喜びを感じ、感謝すると共にやっぱり、この世界ってスゴいなぁって。愛の深さを改めて感じています」
「この世界」という言葉に閉鎖的な印象を受けるかもしれない。宗教ぽいと毛嫌いする人もいるだろう。我々は特定の教義や神がいるわけではない。宗教を超えようとしているのだから、そこにハマってはしょうがない。表面の言葉に囚われずに、「この世界」という言葉に抵抗があるなら「この会社ってスゴい」「この漫画はスゴい」なんでもいい、理解しやすい形に置き換えてみたらいい。

会社だって漫画だって、そこはひとつの世界だ。いま生きているこの三次元の宇宙をどういう世界観で捉えるか?ただの物質のみの、何の神秘もない世界ととるか、世界は奇跡の表れと見るか。愛を感じることができる世界か?愛などないと感じる世界なのか?
我々の「世界」の本意は、経済の世界も、政治の世界も、宗教の世界も、宇宙の世界も、すべてと繋がっている世界なのだ。決してそれは閉鎖的でなく、かつ上下関係があるわけでもない、役割の相違と尊敬と智慧と愛と感謝がある世界を意味している。
同じ言葉でも、意識が違えば、伝わり方も違う。そこから誤解も生まれる。誤解がまた進化のキッカケになる。この世は何のムダも矛盾もない。目の前の現実をどんな世界として解釈するか?それが他人にも共感されて、真剣に広げようと感じたならば、その世界は発展する。資本主義という世界がここまで広がったのも、現世利益というわかりやすい共感があったからだ。
折角日本は世界の最先端なのだから、面白い世界観を創造し、世界をトコトン楽しんだら最高だ。自分は決して同じ世界観だけを要求しているわけではないが、創造の前には破壊があり、それを受け入れることから始まる。何かを感じるキッカケとして、アートを見て欲しい。自分はそれを見て何を感じるか?そこを大事にすることで自分が見えてくる。

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