想いという繋がり

この世界が本当に美しいと感じたことがあるだろうか?
日常の概念から解き放たれ、素直に世界に触れたとき、自然と涙があふれるほど感動する。

なかなかそんな心境にはなれない。人間はちっぽけな存在だ。どんどん小さいほうに嵌っていく。小さく小さくまとめようとする。

それは安心したいからだ。けれども、安心なんていうものは幻想だ。ただ生きることが安心であるならば、死ぬことが最大のリスクなのであろう。しかし、人間はみな死ぬのだ。

だから、死が身近になると、自分が宇宙(大きな世界)の一部に過ぎないことを実感する。本当はこの世界は驚きと感動で満ちているはずなのに、つまらないものにしているのは自分の常識、概念なのだ。

人は感動しているとき、憎悪の感情を持つことは出来ない。いつも感動している訳にはいかないが、一度でもこの世界は素晴らしいと感動したならば、生きることに前向きになれるだろう。

どんなにビジネスが上手でも、想いがなければ空虚なだけだ。現代の価値観から見て、自分が無能だったり常識的でなかったとしても、それが活かせる方法はあるし、それが活かされる場所もある。

またそれが活かされなければ次の世代では発展しない。どんな人にでも持ち場がある。

それを作れる生態系こそが新たな国づくりの礎となる。

かえって、いま仕事ができないと思われている方が価値がある。
(堕落と諦めで仕事をしないということとはまた別の次元だが。)

今の価値観に適応している人は、次の価値観には適応しづらい。

時代が変われば、価値観も変わる。今の価値観に適応できていて、一般的に仕事ができると思われている人はそこに執着しやすい。

逆に、もっと頑張りたいのに、今の価値観に押しつぶされて、こんなはずじゃない!
と思っている人のほうが次の時代にすぐ入っていける。

純粋な想いだけを大事にしよう。そして、その想いで繋がっていこう!

「想いという繋がり」への1件のフィードバック

  1. 私は18歳からの持病でたぶん一生薬を処方されて飲まなければならないと思います。そんな持病があるけれど、子供も生まれましたし子供が生まれて自分の喜び以上に子供が楽しんでいる行為を見ただけで幸せな気分です。子育ては毎日が感動です。日本の景色で感動して泣いたこともありますが、自分の子供が育つという事が今は一番の感動です。自分の自由より子供の幸せを思う今日この頃でした。

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