復帰ではなく、出発の日だ

 今日は沖縄の本土復帰の日だ。41年経った。沖縄を取り巻く環境が加速度的に変わりつつある。つい最近の橋下氏の発言は、普通の感覚で言えば軽率だと思える。普通でない感覚で見れば、軽率だから神輿には最適だとなる。軽率な発言を繰り返してきている石原氏を見ればいい。世間体など気にせず吹っ切っていることはかなり大事な資質である。

アジアとの関係を対立へと誘導する動きの一環としてみたらいい。対立しなければ戦争出来ない。戦争ほど資源と資金の浪費はない。裏を返せばそれだけ儲かるということだ。もちろん皆がみんな儲かると思ってやっているわけではない。それぞれの意図があって、そのほうが都合のいい人で上層部は満ちているだけだ。
ちなみに、ヒトラー政権は国外出身の者が多かった。ヒトラー自身、オーストリア出身だ。そしてヒトラーはユダヤ人説もある。この文脈でこのことに触れる、その意味がわかるだろうか?
さて株価も上がり、新興企業が老舗企業の株価を抜いたと騒いでいる。最後のバブルだ。表面で踊らされる大衆をぬか喜びさせて、ドカンと落とすのだ。株価がいくらになったとは大いに報道される一方で、日本国債は下落している。その意味など考えない人が大半だ。本当に潰したい相手にはお金を与えろという格言がある。その法則通りになっているのは過去の歴史を見ればわかることだ。
もう量を追い求める時代ではない。質を高めるのが本来得意な国柄であったことを思い出すだけでいい。いまや日本で上場する意味などほとんどない。ロスチャイルドはなぜ上場しないのか?そもそも経済成長の意味とは何か?今まで上場が良いと思えたのは、外部費用を簿外資産で使えたからではないか?原子力発電の総コストを含めたら、電力として割に合わないのは当然だ。が、成り立っているように見せるのは簡単だ。会計など数字でいくらでも誤魔化せるのだ。
最近、沖縄に来て当初考えていたことを改めて考えさせられる機会があった。資本主義の限界。環境の限界。そもそも人生の豊かさとは?沖縄に来て、東京を離れて考えることで見えてきた、感じてきたことがたくさんある。人生で本当に大事なことをいくつも沖縄を通して教えられた。
上場するとは無限の成長を約束することだ。そんなことはあり得ない。子供だってわかることだ。だれだってわかることだが、問題を誰もが先送りしている。そのくせ、他人の問題は指摘する。まずは自分からだ。新しい時代のあり方を求めている人たちが自然と沖縄に集まってきている。
数年経ったら残らないような仕事やニュースに惑わされているのは勿体ない。いまやっている仕事は食い扶持以外の価値があるのだろうか?どんなキレイ事をいっても、利益をあげることを優先する会社ばかりだ。別に食べるために働くことが悪いといっているのではない。いわゆるシノギをしながら本当の仕事を作ることはできる。本人の意思次第だ。
自分も小さな成功を通して、稼ぐことよりもそのお金をどう有効に使うかのほうが難しいことに気が付かされた。沖縄に移住したエリート金融マンは、
「これからはお金の使い方がテーマになる。稼ぐ人はたくさんいても、使い方の上手な人はほとんどいない」という。昔は、教会建築などに寄付が集まり、社会のあぶく銭も吸収される場所があった。寄付した人も社会から尊敬の念を受けることで報われていた。いま尊敬される人はどんな人なのだろう?短期間に巨万の富を築いた人だろうか?そんな刹那社会なら長くはないのも当然だ。
今や、お金をさらに儲けるために利益は更に再投資されていく。その結果、実体経済からかけ離れたお金がリーマン・ショックなどを引き起こす。社会が不安定になり、ますます恐ろしくなりお金に依存して、そのお金がまた不安定を引き起こす。悪循環だ。
お金の作り方は学校では習わないとして、マネー本が今でも人気だ。エリートの象徴でもあった金融機関は何度も金融危機を起こして社会に迷惑をかけている。が、リーマン・ショックは彼らだけの問題ではない。一人ひとりの意識がそうさせているのだ。儲けたい、楽したいという意識がなければ、そこにお金は流れない。日々のお金の使い方が問われている。
お金の稼ぎ方より、信用の作り方を学んだほうが価値がある。お金は信用によって生まれる。結局、お金を使うのも人間だ。お金中心ではなく、人間中心に社会を構築した時、今とは違った社会が見えるだろう。
最初沖縄に来た時、
「沖縄は日本ではない。日本語が通じる外国だ。日本は法治国家だが、沖縄は人治国家だ」と言われた。人に紐付いているから良い部分と悪い部分は確かにある。お金も同じだ。良い部分と悪い部分を見極める知恵が必要なのだ。
人間関係の中に信用は生まれる。学歴もお金も、地位も名誉も、信用を作る要素ではある。でも、究極な状況においては何の役にも立たない。日頃の行いが試される。いざというときに信用できる人はいるだろうか?お金で保険を買うよりも、信用できる人間関係を作るためにお金を使ったほうがよほど賢い。
逮捕された後、東京の人間関係では黙殺か遠慮が多かった。積極的に励ましてくれた人たちは沖縄の人が多かった。報道に惑わされることなく、判断するのは難しいのだろうか?利害関係があるなしで変わってしまうのだろうか?自分のお金を優先する人は、お互い様で利用しあう人間関係しか築けない。良い時はいいけど、悪い時は一気に裏切る。
いざというときに軍隊があるように。無駄と思えるかも知れないが、儲からないこと、自分のためでないことを毎日訓練のように心がけておけば、いざという時に必ず役立つのだ。
自分が沖縄に来てやってきたことは、短期的な利益を産まないことばかりだ。かえってそのせいで嫌われたり、避けられたりしてきた。しかし、それを地道に続けてきたお陰で信念を認めてくれる人も増えて、かつてよりやれることが広がってきた。長い目で見たら、そのほうが価値が生まれるし、安全なのだ。

「復帰ではなく、出発の日だ」への3件のフィードバック

  1. 忙しさは伝染するものです。
    先週わたしも働き過ぎで倒れ、救急車で運ばれ死の淵をさまよったのですけれど、果たしてそれが信仰の告白になるのかどうかは、聞いたものが恵まれるかどうかという結果にかかっています。
    何も学ばなければ、また同じことを繰り返すでしょうし、学べば、また、次のフェーズにあがるための苦しみが待っています。
    人の話しを聞くこと、言われた通りにすることが如何にむつかしいことか、ひとりでできると思い込んで無理をしてしまうことや、簡単に落胆してしまうこと、神を単純化してしまうことの危険性を病を通して悟らせていただいたことは大変な恵です。
    辛い時こそ世界観が創られ、心に真の確信と平和に対する希望が湧いてきます。
    畏れるべきは神であり、気をつけるべきは生ぬるい信仰です。
    ある者が霊に満たされ過ちを指摘したとしても、心が定まっていないのであれば水を手で打ち砕くことと同じです。
    一見柔和なようでいて心の定まっていないものは、精神が腐っており、信仰の失格者です。
    よく祈って見たのですが、真理の、それも極意を尾関さんのブログを通して聞いている人の中にも、戦争の雰囲気に飲まれ、大衆と同じように浮き足立っているものがいます。
    このような、目先の出来事に流されるものがどうして神の子と言えるのでしょうか。いえ、特に日本人の恐怖とは金と性的な欲求からきているので、戦争の気配を通して、心の中で犯し続けた罪がはっきりと表に現れたと言えます。
    ですから、まだ耳のあるものがわずかばかりでも神の寂しさや、孤独を感じることができるよう、オワリに向けてあなたがたにこうして場をお借りして証をしているのです。
    すでに心で堕落をしたもの、戦争で名をあげようというものは争いによって滅ぼされます。
    まだわずかばかり船に残っているものに告げ知らせます。
    ただ、神を信じなさい。そうすればあなたがたの全ての行いは義とされ救いに授かる恵みをいただくことができるからです。

  2. こんばんは!
    沖縄に移住した人間として、尾関さんと同じ事を考えます。
    資本主義の限界、環境の限界。
    資本主義を続ける為に開発と破壊を繰り返しやってきたけど、もうその受け皿である環境が限界に来ている。
    統治論的な立場で行う破壊。
    ヒットラーだからできた事。
    小泉さん、安倍さん、橋下さんだからできる事。
    今回の橋下さんは、自分のバックボーンやブレーンがあっての発言であり「マッチポンプ」を繰り返しているある方面からの指令でもあるような。
    何れにしても日本の花火は打ち上げられたので、あとはそちらの方向へ進んで行くのでしょうね。
    沖縄という外国の繋がりから透けてくる日本のこれからの姿が、少しでも良くなるように願い貢献したいですね。

  3. 「お金の稼ぎ方より、信用の作り方を学んだほうが価値がある」
    このフレーズ、自分の心に頂戴します。。

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