素直に子供のように

 歳を重ねるごとに、経験も因縁も積み重なり、モノゴトに対して素直に受け取れなくなってくる。「そうはいっても、何々だ」と文句の一つを無意識につけてしまう。エゴがジャマをすることで、モノゴトの本質を感じづらくさせてしまう。

勿体無いことだ。過去がどうあれ、本当に素晴らしいモノは素晴らしい。それは意見だろうと提案だろうと、そのことだけを切り離して理性で捉えられているだろうか?誰が言ったからということに左右されてしまうのが現実だ。
人間は露骨だ。認めている人間に言われたら納得するが、認めていない人間に言われたら、
「お前に言われたくない」となる。その露骨さを認めた上で、モノゴトの価値を見極めようと謙虚に素直に考えてみる。
因縁関係であれば、余計に素直にはなれない。だからこそ、素直に分かり合えたときは誰よりも喜びを共感できるのだ。伝わりにくいからこそ、伝わった時の喜びは計り知れない。どんなモノを手に入れるよりも、自分が何かを成し遂げた時よりも、想いが伝わった時の喜び共感、幸福感は代えがたいものが有る。
因縁関係は本当に学びが大きい。因縁に対して素直になることが一番難しい。他人だったら冷静に捉えられるのだが、因縁だからこそ逆に捉えてしまう。良い提案も悪く感じるし、悪いほうがよく見えたりする。だからこそ、人は因縁で道を間違えるし、また逆に因縁で救われるのだ。
時代の潮目を感じる。ただ素直になるだけで道は開ける。今までやってきたからとか、捨てられない自分の小さなプライドなんか投げ捨てて、素直に光を求めたらいい。ゼロベースで今こそ、仕事も環境も何もかも考えてみたらいい時期だ。
311のように、否応なくゼロベースにされることもある。無理やりされるよりも、自発的に向かったほうが話は早い。今までの延長線で生きるのは楽だ。しかしドンドンと行き詰まる。北朝鮮のように、行き詰まって突っ走るしかないのは、本人も周囲も辛いことだ。
まずは意識からしか変わらない。意識が変われば、すべて変わる。自分一人素直になるだけで、波及効果は計り知れない。悔しいとか、ムカつくとか、認めたくないとか、様々な感情が理性を曇らせる。
素直にモノゴトを観るには、理性を働かせるには、感情は感謝の気持ちであればいい。感謝していれば、素直に受け取れる。自分が濁っていたら、他人も濁って見える。自分が感謝で澄み切っていれば、モノゴトの価値を見抜ける。
そもそもの原点を振り返り、今までの経緯を確認し、今があるのもそうしたことのお陰だと感謝できれば、モノゴトは自然にうまく回り出す。焦って、自我で何とかしようとすればするほど、悪循環になる。
素直にイイものはいい。本質を見抜ける目こそ、先がわからない時代に唯一確かな指針となる。
流行や現状に流されるのではなく、本質を掴んでいれば、必ず機会は訪れる。その時に、勇気を出して飛び込むのだ。人生は冒険。燃えて生きなければ面白くない!

「素直に子供のように」への8件のフィードバック

  1. 新しい時代が来る事を確信できました‼
    また明日から頑張れます‼
    本当にありがとうございます。
    今後ともよろしくお願いします。
    私達の勝手なのはわかっているのですが、このコメントも承認しないで下さい。

  2. 自分の宝が、何か分かっていない人間に、宝は見つけられない。自分に言い聞かせる。宝のことを確り理解、分析する。
    感謝について考えた。
    嫌いな相手にも感謝できるのか?
    そのとき、ふと思った。
    子供が生まれたときに、皆一様に
    「生まれてきてくれたことに、ありがとう」という。
    なにもしない赤ちゃんに、皆、お礼をいう。存在っていうのは、そういうものなのだと、思った。
    存在そのものが、世界を変える。

  3. イザヤ書53:1-5の御言葉の通りですね。
    罪ゆえに神に打たれたのではなく、すべての人の罪を贖ったのだと。
    先週、母が離婚の話しを進めていることを知りました。
    これも何かの因縁なのかもしれません。

  4. 因縁…
    人は皆、因縁の中で生きているんでしょうか?
    ozさん奥が深すぎます‼
    僕達が生活しているレベルでは到底考えられる世界ではありません。
    今回も流石でした。
    これからも色んな事を勉強させて下さい

  5. はじめまして。
    何時もブログの更新を楽しみにしています。
    今回のブログを拝読して胸にグサリと刺ささりました。
    因縁問題、私は何年もそこから抜け出せずにいます。
    毎日、本当は自分がどんなふうに生きたかったのか? また、何が出来る人間だったのか?
    自問自答を繰り返す反面、温室育ちの私は因縁から抜け出すことが怖いのです。
    意識が変われば全てが変わる…..。頭では分かっていますがなかなか行動に移せないものです。
    多分多くの人が同じ思いでいるでしょう。
    311の時のように否が応でもでも0になってしまえば….。それも貴方から言わせれば甘い考えなのでしょう。
    勇気のない自分の背中を押し、新しい世界に突き出してくれる神様に期待してしまいます。
    いいことを言ってくれ、慰めてくれる人は沢山いても、厳しくとも叩いて真実の世界にに連れて行ってくれる人なんてなかなかいるもんじゃありません。
    今の世の中、何かを履き違えてしまっているのかもしれませんね。
    一度、貴方と会ってみたいものです。(笑)

  6. 豊かでは無い両親の、狭い社宅に並んだ布団の二人の寝顔、未来を託すのは先に生まれた者の務めと思います。
    皆様のご縁に感謝して託します。

  7. 流石です!
    因縁とは人が生まれた時から、亡くなる瞬間まで付きまとう一番大変なシガラミです。因縁問題を解決するにはやはり、外枠の人が介入し、真剣な気持ちを持って関わらない限り解決出来ないと考えます。然しながら解決出来た時の気持ち良さは何物にも変え難いことでしょう。そのもつれた因縁に隙間を開けた処に光が指し、やっと自身の人生を取り戻して生きているいける。ということですよね。素晴らしい!これぞ誠の菩薩道ですね。理解出来ました!!!

  8. 因縁か、あまりいいふうには感じられない言葉だなぁ。
    尾関さんの文章はいつも難し過ぎて単細胞のボクには理解出来なかった。
    このくらいの内容なら着いていける。
    次回もこのレベルでお願いします…。

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