事実は小説より奇なり

 大変な時代になってきた。交代したばかりの駐中国大使がわずか数日で亡くなった。あり得ない話しだ。中国では略奪まで起きている。その最中の大事な中国大使を任命するのに身体検査もせずに任命するだろうか?当然、健康問題などない人を厳選して選んでいる。なぜ突然路上で倒れ、そのまま亡くなったのか?不思議と思わないだろうか?

数日前にも、松下金融担当大臣が自殺した。本当に自殺だと思うだろうか?なぜこうもタイミングよく続いて死亡事件が起きているのか?愛人に手紙をばらされたからといって、自殺するような繊細な人が金融大臣などできるだろうか?インサイダーやお金儲けの渦の中でする仕事がそんなヤワな精神で出来る訳がない。これはある検査がキッカケで起きたことだ。そのまま書くと関係者に差し障りがあるから書けないが、ある金融企業が関係している。この流れは、松岡農相が自殺した時と似ている。

中川一郎、昭一氏の死も不審点だらけではないか。中川昭一に至っては、G7という大舞台でもうろう会見をさせられていた。これも不思議ではないか。国を背負ってる人間だ。日本の恥となるようなことをなぜ側近は止めないのか?もうろうとしていたら、体調が悪くて欠席にするのが普通だろう。なぜ敢えて恥をさらさせるのか?この意味は何か?仕掛ける側の考え方がわかれば納得できる。これはメッセージだ。

メッセージといえば、変わったばかりの中国大使は亡くなったが、前任の中国よりの発言をしていた丹羽大使は、車の国旗を取られただけだ。片方は生きて、片方は死ぬ。これはどんな意味があるか?これは露骨すぎるくらいわかりやすい例ではないか。

堂々とやってしまえば逆にわかりづらいのだ。コソコソのほうが意図がバレやすい。湾岸戦争だって、堂々と鳥がオイルまみれになっているインチキ映像を流して、戦争へと誘導した。最近ではプーチン大統領もやらせを告白している。演出は当たり前なのだ。大衆を誘導する為にメディアはある。

だから、価値ある情報は人づてにしか入らない。自分の概念を超える見方も、自分からは出てこない。これは深い話しだ。イエスマンとも通じる話しだ。イエスマンの世界は、アメリカにあるのか?日本にあるのか?

世界はより露骨になってきた。よく考えて欲しい。個人主義の国、中国で大半の人は金儲けに夢中だ。そんな人間たちが、今まで聞いた事も見た事もなかった尖閣諸島の事であそこまで騒ぐだろうか?ましてや、何か問題があればすぐに死刑になる国だ。何かしらのお墨付きがなければ怖くて騒げもしない。政府に雇われて、お金貰えて、合法的に騒げてストレス発散できるのだとしたらどうだろうか?今の動きが計算通りだとしたら?その先にあるものは?国民の眼が外に向くメリットは?中国国内の経済成長にかげりが出てきた事と無関係だろうか?なぜ毛沢東が出てくるのか?先日失脚した熙来氏との関係は?考えたら不思議なことだらけだ。彼らは愛国無罪というキーワードまで用意して誘導している。

この世は全くの偶然で出来ているのだろうか?それとも、確定してすべて決まっているのだろうか?仕掛ける側と仕掛けられる側があるとしたら?企業でも事業計画があるのに、政治や国に影響を与えている人間たちには計画がないのだろうか?

いずれにせよ、大変な時代に我々は生きている。昭和初期と同じようなものだ。時代の変革期に直面している。が、しかし、あまりにも日常のぬるま湯に浸かりすぎて、感覚がもう麻痺している。実感が湧かないのだ。気がついたら死んでる、それでは手遅れだ。

まさかそんなこと起こるわけないとタカをくくっていたら、まさかの事態が起きて、エスカレートしていく。311を思い出して欲しい。起こる前はまさか日本で原発事故が起こるとは思わなかっただろう。戦争も起きてしまえば、憎しみの連鎖が起きて止められなくなる。そして、火をつけられた国同士がいがみ合い、引くに引けなくなり、行くところまでいってしまう。

中東の急変が遠い出来事だろうか?中国と日本が揉めてどこが一番得するだろうか?本当に戦争が起こらないと言えるだろうか?歴史を見るがいい。ちょうど18日は81年目の柳条湖事件の日ではないか。これは良い悪いではない。仕掛ける人がいて、事変は起きている。

別にここで書いてある事を信じなくてもいい。自分にとっても、フィクションかノンフィクションかは問題ではない。だが、仕掛ける側の思考がわかれば、同じように世界を創れる。自分たちはそれを実践しているだけだ。

どうやって世界を創るのか?言葉や表面だけを見ていては絶対にたどり着けない。ここで、ただゴシップを書いているのではない。松下金融の大臣の真相がわかったところで、活かせないのだとしたら何の意味があるだろうか?どうして、そういうことが起こるのか?また何の為にそれを起こすのか?この世を動かす側の思考は巧妙だ。考えれば考えるほどわからなくなり、思考停止へと誘導される。その意図と仕組みが分かれば、世界の動きが見えてくる。

「あーもう、よくわからないや」と大衆は思考を止めて、日常に戻り流されていく。仕掛ける側は、意図的にカオス(混沌)を創りだし、世界を動かしている。よくわからないことを追求する人はほとんどいない。適当に、
「これはこういうコトだよ」と決めつけて納得する。レッテルを貼れば分かった気になる。それに矛盾するような情報があっても無視する。

世界を知るキッカケにして欲しいから、一見ゴシップのような陰謀論にも見える話しをあえて書いているのだ。自分は沖縄を通して、世界の構造を学んでいる。まだまだ奥が深い。しかし、一部分かっただけでも心の財閥が出来たのだ。

実践して既に形になっているからこそ、自信を持って伝えている。自分たちの周囲で起きている事もまるで漫画のようだ。だからこそ、変な形で報道されたり、伝わったりする。あまりにも漫画過ぎる出来事だと、それが真実と思われないからだ。

分かりやすく言うと、不良が愛に目覚めたとする。でも普通の人はそんなことあり得ないと思う。不良だったんだから、愛ではなくお金目当てで愛のあるフリをしているだけだと考える。その方が自然で自分の考えになじみやすいものだから、信じやすい。自分が愛に目覚めた事がなければ、尚更不良にそんなことが起こる訳がないと思い込む。さもなければ、不良を洗脳した黒幕がいてそいつのせいだと決めつける。

信じやすい情報が嘘で、信じにくい情報が本当だとしたらどうだろう?信じる事より疑う事の方が楽だ
と何度も書いてきた。本当に日本は資源がないのだろうか?もし豊富に資源があるとしたら?実は日本は大産油国だといっても、常識に凝り固まった人間は信じないだろう。

好きなだけ疑えばいいが、世界の真実を知り、実際にそのやり方で世界を創っている。他に面白い世界があるのだろうか?科学も宗教も戦争も歴史もビジネスも、すべて関係してくる世界だ。

だから、世界中でフリーメーソンやユダヤのことは話題で、興味を持たない人はいない。ダヴィンチコードの例を見ればわかるように、世界中秘密が好きでたまらない。だが、知れば知るほどわからなくなる世界でもある。カオスだ。だから面白いし、本当にわかるには実践して確かめるしかないのだ。

最近では、テレビで鳩山邦夫氏が鳩山家はフリーメーソンだと話しているくらいだ。フリーメーソンもイルミナティもよくわからないだろう。少しわかっても実践できないのが関の山だ。秘密結社を創った人が周りにいるだろうか?あったら入りたいと思わないか?

映画も事実の方がよっぽど面白いから、事実からネタを取っているものばかりだ。「フィリップ、きみを愛してる」なんて実話でいい例だ。すぐ近くに非日常はあるのだ。

「事実は小説より奇なり」への1件のフィードバック

  1. この記事すごく共感できます。
    わたしはクリスチャンで、毎週欠かさずに礼拝と奉仕活動を行っているのですが、時々、お金儲けから意図的に遠ざけられているのではないかという感覚にさせられます。
    コミュニティを意図的に乱立させられて、そこで得た資金の中枢が韓国に流れてるんじゃないかって。
    でも、牧師先生も無意識で気付いていないんです。先日、『コンスタンティン』という映画を観たのですが、まるで、Johnになった気分です。
    Johnは教会で神父には目もくれず、執事であるハーフブリードの元に真っ直ぐ駆けつけます。
    ぼくに見えているものが先生に見えていないとわかり、最近は心苦しい進行生活となっています。
    また、情報規制の意図にも問題があるのではないのでしょうか。
    真実を伝えないことが、信仰なのでしょうか。伝えた上にこそ、本当の信頼が成り立つのだと信じたいです。
    まどマギでも、真実を知れば、さやかは、ほむらの共同戦線を断らなかったでしょう。
    青臭くなりましたが、経験ということなので、感じたことを述べさせて頂きました。
    とある大学の11号館より

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