本当の豊かさ

 ふとテレビを見たら、昔にBirthでお会いした森泉さんがでていた。中古の別荘を買って、自分でDIY(自身で作る)しているという。ホームセンターで楽しそうにお買い物をして、プールサイドのデッキのペンキ塗りをしていた。

さすが時代を掴んでいるなと感心した。一昔前であれば、新築でデザイナー別荘のほうがイケていた。それに、眺めがいいとか、温泉があるとか、高級別荘地だとか、何かしらのウリがあってそこに建てられる。
金持ちであれば、山や海や温泉など、それぞれの条件ごとに別荘がある。それでも、全部条件が揃っているという物件は数少ない。不動産は人と同じで、同じ物件は存在しない。良い物件に巡り合うには、良い人とご縁がなくてはならない。いくら金を積もうと、真に価値があるものは抑えることはできない。本当に価値有る人は、金で動かないのと同じだ。
価値ある特別な物件は、お金よりも、人脈と人格が備わった相応しい人物のもとで活かされるものだ。そのことは、以前に「日本航空破綻に見るヒトとモノの本質」や「自然界の法則」で書いた。
特別な条件が揃った物件は手に入らなくても、特別な物件にすることは出来る。ではどうするか?簡単でいて簡単ではない。答えは、想いを込めるということだ。森泉さんが何百回と別荘に通い、自分で手を入れてきた価値。自分にとって思い出も深いし、その過程で物語が生まれる。これを製作しているときにこんなことがあったとか、これは誰ソレが作ったとか、人はただ綺麗とか表面的なものだけではないモノにひかれる。
物語という付加価値がこれから更に求められる。自分にとっても特別なモノになるし、それを欲しがる人もでてくる。星の王子さまが、自分の手をかけたバラは特別だと狐から教えられたことだ。想いを込めることで特別になる。
それは簡単ではない。手間暇と労力がかかる。でも、お金をかけなくても出来る。ある意味簡単である。別荘でも自宅でもいいが、立派な庭があるとしよう。それを自分で手入れするのは大変だし時間がかかるので、業者に頼むのが普通のお金持ちだ。
その結果、綺麗な庭にはなる。しかし、そこには想い入れがないから、飽きてくる。そしたら、違う木でも植えようかとなる。金で何でも解決できてしまうし、また金で解決しようとしてしまうから、金持ちほど虚しくなるのだ。
でも本当に豊かな人は、その人を慕って、是非庭を手入れさせて欲しいという人が出てくるのだ。金で作った庭より、慕って喜ばせたいという想いで作った庭のほうが想いがこもるのは当たり前だ。見た目はお金をかけたほうが綺麗に仕上げるかもしれないが、そこに物語はない。せいぜい、日本一の職人がいじったとか、金で買えるブランドに頼るしかない。
職人さんにしたって、日本一の職人というブランドを利用したいだけなのか、本当に豊かな庭をつくろうとしているのか、発注者の考えを見ぬくだろう。頼む方も器がないと、成金だと馬鹿にされるだけである。金を出して馬鹿にされる。間抜けだがこんなことはよくある話だ。
金で買えるブランド庭よりも、縁のある人が喜ばせたいという一心で念を込めた庭のほうが、価値があり、それが金では買えない特別なブランドになるのだ。想いで庭を作った人は、仕事として庭作りをしたのではないから、他の人がいくら庭を気に入っても他の人のために作ることはない。金のためでなく、自分が喜ばせたいと思った相手にだけするからこそ、それがブランドになる。
一点ものが一番価値があるのだ。他にはないのだから。アートと一緒だ。自分たちはそうした想いのあるモノに囲まれている。これが本当の豊かさだと伝えていきたい。金では買えない想いのこもった行為で生まれるモノゴト。
先月誕生日祝いのために、鳳凰の欄間を彫った話をした。誕生会も開いてもらえたのだが、数々のサプライズがあった。想いを込めた歌や、ダンス。それもまさかこの人が踊って歌うとは誰もが想像しなかったサプライズ。普段なら絶対にしないようなことを、あえてチャレンジする想い。その踊りと歌も勿論嬉しいが、その想いと姿勢に感動する。
今まで大人数でお祝いしてもらった時も嬉しかったが、その時と比べて人は少ないかもしれないが、本当に一人ひとりの想いが伝わり、最高の誕生日だった。心が豊かになる。大人数も少人数もいろんな体験ができて、なんと素晴らしい恵まれた人生だと感謝で一杯になった。
幸せいっぱいに久しぶりに沖縄入りしたら、更にとんでもないサプライズが待っていた。それについてはまた次回!

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