人生は芸術だ

お金持ちになると、アートに興味をもつようになる人が多い。投資目的の人もいれば、純粋に美や感動を求めて所有しようとする人もいる。どちらにせよ、過去から現在、未来へと美術品を橋渡ししていく人が、いつの世も必要だ。

美術品を収集していると、次第にそれに飽きたらず、自分で作ってみたくなるという。自分で作ってみて初めて、更に美術品の価値がわかってくる。自分の想いが入った作品は、世間から評価されなくても価値がある。いや、評価されるために作る作品は、本当の芸術ではないのだ。
現代では、すぐに
「それはおいくらですか?」と金銭への価値に変換しようとする。値段を聞いて価値を感じるのもいいが、そんなものはお金持ちや大衆に任せて、自分にとって価値あるモノゴトを極めたい。
「個性的なものだけが普遍性を持つんだ」と岡本太郎が語っているように。
かつて、「美術・科学・宗教」はひとつの様式として統合されていた。神殿文化と呼ばれていた時代だ。時代が経つに連れ、それぞれ分離していった。外面の変化は、内面の変化があるから起こる。人の心が、「思考・感情・意志」と分離していき、今では思考が親分となり、感情と意志を抑え込んでいる人が大半だ。
内面がそうなので、外面は科学(思考)中心の世界となっているのが現代だ。もっと細かく、もっと理由を、もっと目的を、と細分化と対策が進む、色気のない世界になっている。
合理的に幸せになれるだろうか?
普通に考えたらおかしい事を、よく考えもせずに実行しているのが現代人だ。
クーピー活動のことに触れると、
「それってどんな意味があるの?」「何の得があるの?」「ふーん偉いね」とよく言われる。意味が無いといけないのだろうか?得がないとやらないのだろうか?偉いってなんだろうか?
最初は、縁があったから始めた。続けている内に、自分の中で価値が生まれてきた。私にとってのクーピーは、概念という壁を壊すキッカケであったり、人間の価値とは何かを深めるキッカケになったり、今では世界の新しい文化にとって芸術が持つ大事なハタラキを感じる原点にもなった。芸術的感性こそが、宗教と科学を結びつけるのではないか?
想像力、ビジョン、夢の世界が持つ力。今こそ、そうしたハタラキが必要なのだ。感性をいかに豊かに深めていくかが問われている。モノへの欲求は限界があるが、モノゴトは限りない。
人生という芸術を共に創造しようではないか。
このBlogを読んでくれているだけで、既に縁がある。その縁を信じて、まずはCoupiiに飛び込んできて欲しい。そして、自分なりの価値を感じて人生に活かして欲しい。最初から分かる人はいない。やっていく内にわかるものだ。まずは一歩ということで、今月イベントがあるのでそのお知らせを転載する。
■ビッグアートイベント in 0101 シブヤ大学共同
時間:2011.10.29(土)13:00 受付開始
場所:渋谷丸井前
E-mail:masanori18@gmail.com

「人生は芸術だ」への1件のフィードバック

  1. 【人の心が「思考・感情・意志」と分離していき今では思考が親分となり感情と意志を抑え込んでいる人が大半だ】
    この文章を読み、救われました(ρ_;)
    考えすぎて、心がどんどん乖離していくのが分かり、でもその思考の連鎖を止められない・・世間でひとり凌ぎをしていると「考えなくちゃ」「何があってて、何が間違ってるんだろう」とか、誰にも相談できないし、苦しいです。
    感情と意志があって、思考が最後。
    大切なこと忘れていました。
    ありがとうございました(^○^*)
    これからも頼りにしてます!尾関さん!

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