菩薩の人

笹川良一伝 世のため人のために
黒瀬 昇次郎
この一冊を読んだだけで、彼のことを大分誤解していたとわかった。
「一日一善」「お父さんお母さんを大切にしよう」というTVCMの
おじさんで善人の仮面をかぶり、実際は競艇のドンとして多大なお金を
費やし利権を作り出していた人だと思い込んでいた。
イメージは当てにならないと反省。実際の人と印象は違うもんだ。
ここまで世のため人のために尽くした人も少ないだろう。
ハンセン病は彼のお陰で撲滅に近づいている。
ハンセン病患者と手をとり顔を擦れ合って、共にご飯を食べ
泣くことが自分にはできるだろうか?彼は実際にやった。
勿論行動の全てが肯定される人は誰もいない。
善悪はそもそも相対的なものだ。清濁併せ呑むという言葉もある。
色んな意味で大きく包む器がなければ、大きなことはできない。
彼は昭和を代表する稀代の大人物だった。
人の評価は難しい。本人が満足していればそれでいいのだ。
日本財団会長 笹川陽平氏 Blog
http://blog.canpan.info/sasakawa

「菩薩の人」への5件のフィードバック

  1. 菩薩な人の題名に驚き!!
    はやくダルマになりたいなぁと思う…自分であります
    尾関さん、ダルマってなぜ皆が目指すんでしょうか?!そしてなぜ成れないんでしょ・・
    成ったらどんなキモチなんだろ…
    みんなスタートラインは同じなのに…早い人がいたり、いつまでたってもなれなかったり…
    時空を超えた存在…ダルマ
    一度開いたら閉まることはない
    成る 待ってる ダルマが私を ただただ待ってる
    動かずにずっと そこで待っている

  2. 進化することが生命の本質だからではないでしょうかー。
    寄り道好きもいれば、まじめな人も居る。
    色々居るから楽しいということでしょうか。

  3. ウサギだったブッダは、腹を空かせた旅人のために火に飛び込み、食べ物となった。次に生まれてきた時は、王家に生まれた。そして悟るため家をでて、苦行という修行をしたが、それには悟りを見出すことが出来ず、やめた。そしてある日、ボダイジュの下で、悟った。
    彼の仲間で弟子をしていた人々は、彼に『修行がきつかったからやめたんだろ』といった。

    本当にダルマになれるか、なれないかの差は、
    寄り道が“好き”か、真面目か?の差ででしょうか?
    生命として成長を望むものが、火の中に自ら飛び込むでしょうか?

  4. 自分の概念では理解できなくても
    生命は今この瞬間に存在し、変化を続けている。
    どんな理解も限定的です。
    体験によってのみ知るのでしょう。
    生命の実相は奥深いですから。

  5. 私から見える生命は、淘汰による生存をかけた命です。弱いものは生き残れないという、現実です
    また、ダルマの愛は、自己犠牲と寛容な愛です。
    だから、生命の中に、ダルマを見い出せない。
    だけど確実に如来は、生命の中にダルマをあらわにしました。如来は、目に見えないもので人々に伝え、不思議に繋がり、全て完璧になります。
    それは、この現世に生命として確実に現れています。仏陀もキリストも…
    これは、いったいなんでしょう…生命は、利己的なのにダンマは利他的なんです。生命の成長とは、利己的を表すのに、魂の成長には利他がなくてはならないのです。つまり、魂が他の生命と自己を一つに感じるためでしょうか?

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