体験

ビスマルクはこういったそうな。
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」
なるほど。
最もだと感じる。
最近、沖縄によく行くのだが、そこで重機を動かして
木々を踏み潰して開発する経験を体験した。
頭では、自然破壊ということは理解していた。
歴史を見ても、人為的な砂漠化による環境の荒廃について
知識は得ている。
現実は重かった。
学ぶということは、はっきりとそれがどういうことなのか
心に刻むことではないだろうか。
書物の上では、やはり他人事にならざるを得ない。
報道などで、貧困や災害による被害者を知っても
かわいそうだなーとか募金くらいはするだろうけど
次の瞬間には忘れてはいないだろうか?
一度でも体験すると、容易には思考が切り替わらない。
頭の中でバキバキと音が鳴り、振動の手ごたえを思い出す。
本当に大事なことは、体験しないとわからないと思うようになった。
論理は歴史をみたら学べる。しかし、感情は体験しないと学べない。
憎しみも喜びも、愛も至福も経験しないことには
絵に描いた餅。
現場が一番すごいのだ。
切り離された感覚を持つと、すべてをモノとして扱える。
そうすると痛みを感じなくてすむ。
今更ながらそんなことを学んでいる。
余談だが、、、、、
10分もしたら、木を踏み倒すことにも慣れて、
アドレナリン出しまくりで格闘していた・・・。
人間って強いのね。

「体験」への1件のフィードバック

  1. こんにちはぁぁ。
    ちゃんと向き合ってガリガリと格闘し
    最後の最後に人間って強いのねってコトバ
    なんか久々ガツンっと感じてしまいました!!
    ガリガリを操縦してる写真みて単純に
    『うわぁ乗ってみたい』っと思ったものの・・・
    『壊す感覚を体験し心に刻むこと』覚悟の上『楽しむ』
    そうやって体で覚える『偉大さ』とか『感謝』
    なんか少し色々と考えさせられちゃいました。
    ・・・『切り離された感覚を持つと、すべてをモノとして扱える。そうすると痛みを感じなくてすむ。』・・・
    ホントそう思います!!あーーーほんまにそうやなぁって。
    それが当たり前になってるなぁとも。
    ボケっと暮らしてて、見えなくなってるモノが沢山やなぁって。
    便利に慣れきってっしまった今、
    小さい頃の遊び場『畑や田んぼ』はでっかかったなっと。
    ただ遊んでたダケで、大変さは味わってないのに
    味わってないから、案外素敵で楽しかったなぁぁぁ
    なんて回想したりしてしまいました。
    それで単純に、やっぱ自然が好きと思ってしまう相変わらずな自分・・・。
    良いトコどりの無いものねだりっすネ。
    脱線しまくりでゴメンさサイ・・・。
    ・・・現場が一番すごいのだ・・・
    ほぉぉぉ。なんだか一番伝わるコトバですね。

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