泣き言

泣き言をいいたくなるときがある。
まじかよーと。
でも、そんなときMKタクシー創業者の話を思い出す。
何かで読んだのだけど、一言で言うと「覚悟が違う」。
何がおきても、それを上回る覚悟をしているから、
乗り切るのだと聞いた。
なので、何かがあると、おれはまだまだ覚悟が足りないから
不満がでるのだと思うようにしている。
「不自由を常と思えば、不足なし」と徳川家康もいっていた。
これも覚悟の現れであろう。
困ったとき、二つの方法がある。
とことん、プロに徹して、感情とはかけ離れたところで、必要不可欠の人材になるか
もしくは、好かれるか
あいつだから、しょうがないと許されるキャラを持つのも有効だ。
なにをするにも、覚悟しておくと、後が楽だ。

「泣き言」への3件のフィードバック

  1. そうですね~~
    そういえば覚悟のある人とない人、瞬間でわかりますね。
    私はまだまだなんか中途半端で自分でいやになっちゃいます。
    自分は何を覚悟するのか、ちょっと見つめなおしてみます。

  2. 常に最悪の状況を想定しておくと
    最悪のことが起きても「想定内」であり
    あまり傷つかなくて済む気がします。
    って、ホリエモンみたい!?

  3. 『あいつだから、しょうがないと許されるキャラ・・・』私はこの文章に惹かれたね。
    私の尊敬する人は本田総一郎。彼は世界に通用するアイディアとキャラの人の一人ではないだろうか・・・。
    人生勝負。
    覚悟があるか否かといわれれば、私はまだまだかもしれない。
    でも、一回のアプローチで私はめげない。
    何度も何度もトライして、自分が納得して初めて「駄目なんだ」と自分に知らしめる方向で生きてる。
    今某企業にアプローチしている一件があり、音沙汰ナシ。大手なだけに当たり前。
    これ、覚悟?(ちゃうか)
    でも、あと2,3回はアプローチしてみるつもり。
    覚悟が足りないから不満が出るんじゃないと思うよ。自信があるからこそ、不満じゃなく、欲が出るんじゃないのかな。絶対に良い方向に向かうと思えるからこその“煮え切らない思い”なんだと思う。(ごめんよ、“不満”って、字が好きくない。)
    『覚悟』って言葉は、私の好きな言葉の一つ。
    『覚』っていうのは、仏教の世界では、感じること。目覚めること。『悟』というのは、そのまま悟るってことなんだと言われている。
    “生きていながらにして目覚めて悟る”ということじゃないだろうか・・・っと私の勝手な解釈だがそう受け止めている。
    ようするに、やって駄目なら諦めもつく。でも、やらずして自分に限界を作るものほど悲しいと思っているから、チャンスがあれば自分から接近。なかったら、チャンスは作る。
    私、恥掻き捨ててるもんなぁ。^^
    プライド?あんまり拘ってない。これは、私の『覚悟』なのかもしれないな。

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