「ベトナム」カテゴリーアーカイブ

ベトナム報告

ベトナムの世界に触れて感じたことを一言で言えば、
「意識が高い」に尽きる。
10年以上前から沖縄からベトナム入りしているメンバーや
特にここ一年、仲間が頑張ってくれたお陰で、深い人脈が
できてきた。
ベトナムは共産圏なので、簡単に集会などできません。
集合するには届出が必要です。またNPOもありません。
学生集めてセミナーもしたのですが、これも公安が介入し
国外退去処分されてもおかしくないことです。
多くの日本人は、逮捕されるかも?と聞いたら、すぐに弱腰に
なってやろうとはしないでしょう。しかし、現場でベトナムの
ためになることを切々と訴えて戦ってきたのです。
そのお陰で、ベトナムのメンバーの魂にも火がつき、
自分たちでこの国をよくしようと燃えています。
ベトナム人のエリート層の人でも、公安から逮捕される
危険もあるのに応援してくれたりしています。
あるベトナム人の大学教授は、
「当時国内問題であった枯葉剤の問題を、世界の問題に広げて
くれたのは、日本女性の写真がキッカケだった。本当に感謝して
いるし、日本人のお陰で大変助かった」といってくれました。
我々の先輩方の貢献のお陰で、良い印象を得ているのは
とても大きな財産です。我々の世代は何を残しているでしょうか?
まだ貧しい国で、経済成長を優先してもおかしくないのに、
社会のことを考え実践する人々が多いことに驚きます。
それに引き換え、豊かなわが国では、まだ経済成長のことばかり
語られているのが気になります。
しかも、本当に成長したいのなら、国内はもう限界が見えているのに
なぜ海外に真剣にでていかないのか。引きこもり国家なんだなと
改めて実感しました。
本土を出て、アジアを目指そう!
我々が伝えられるものを持っているうちに・・・。
Ps;本日はとってもいいことが会った日!!記念日だー。
死ぬ瞬間も思い出すだろうなー。ありがとう!!

ベトナムと沖縄をつなぐもの

私はなぜベトナムに行ったのか?
観光がしたかったわけではない。
沖縄とのつながりがあったからである。
琉球王朝時代から貿易でつながりがあったようだが、米軍の存在が大きい。
下記の記事をご覧いただきたい。
企画・連載 : 沖縄 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 沖縄にとってベトナム戦争とは何であったのか。ひと言でいえば、戦争と占領の継続を生かされる沖縄を自覚化させられた、ということである。「キーストーン・オブ・ザ・パシフィック」としての沖縄は、ベトナム戦争の攻撃・補給基地であり、またベトナムへ向かうアメリカ兵とベトナムの戦場から一時帰休した兵たちの「慰安所」でもあることをまざまざと見せつけられたのである。
ベトナム戦争の全面的拡大を告げたアメリカ軍機の“北爆”が開始された1965年2月7日の翌日、在沖海兵隊航空ミサイル大隊が南ベトナムに派遣されたのをはじめ、5月には沖縄でゲリラ訓練を積んでいた南ベトナム政府軍が帰国したことや軍用船乗組員に対しベトナム行きが命令されたこと、そして7月には「台風避難」を理由にして嘉手納基地にやってきた「黒い殺し屋」と呼ばれたB52戦略爆撃機(68年2月から常駐化)が渡洋爆撃を行ったことなど、ベトナムと直結した沖縄の姿があった。沖縄の現実は、まさにアメリカ太平洋軍総司令官グランド・シャープ海軍大将が「沖縄の米軍基地がなければアメリカはベトナム戦争を戦えなかった」と明言したことを裏付けるものであった。

写真を転載すると厄介そうなのでしませんが、自分たちの上を爆撃機が
飛んでベトナムへと爆撃しにいくのである。このために反戦活動も行われた。
そのためもあって、ベトナム政府の要人が日本に来る際には
沖縄にも立ち寄ることが多い。
ということで、沖縄と密接に関わりがあるので紹介されていったのだ。
そして10年前から、ベトナムに人生をかけた沖縄人の宜野座さんが
現地の案内と通訳をしてくれた。
ベトナムに行ったなら、必ず行って欲しい場所がある。
戦争証跡博物館である。

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経済の人たち

ベトナムでシェラトンホテルの中華でご馳走になった。
平均月収2万円の国で、一人1万はするであろう食事。
このギャップが面白いといえば面白い。

32歳で14社のグループを率いる若き企業家。
携帯ビジネスから不動産、証券ビジネスと幅が広いのが
新興国の特徴だ。
ホーチミン証券取引所の社長も参加して、
これからのベトナム市場の話を聞いた。インサイダーは
当然のような感じ。我々と夕飯を供にした日の昼間は
東証の社長と会食だったと。

日本とベトナムの友好と発展を担当している。

皆さん日本語が上手。しかし、全体的には日本語を話せる人は少ない。

不屈の人

ベトナムではたくさんの方をご紹介いただいた。
その中で一番印象的な方がこの方。
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1区という都会から車で1時間ほど行き、そこからさらに
歩いていく。こんな風景。

やっとこさ到着して、飲んではいけない氷の入った飲み物を出される。
(氷はとても不衛生なので大体みんなお腹を壊す)
覚悟して飲もうとしたが、氷なしを紹介者がリクエストしてくれて
暖かいレモンティとなった。これも覚悟が必要だったと同伴者は
言っていたが、私だけ飲み干してしまった。
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彼女は解放軍で、アメリカ軍につかまり1年半捕まっていたと。
それで政府から表彰状をもらっている。すごい根性だ。
神秘的な人だった。
家を出ると、

子供が牛を放牧していた。

物質的には恵まれていないが、魂が力強かった。