BLOG IT! from Passion For The Future: シッダールタ

Passion For The Future: シッダールタ

「「探り求めるとき」とシッダールタが言った。「こういうことが起こりがちです。その人の眼が自分の求めるものだけを見て、その人は何も見いだすことができず、何も心に受け入れることができないということです。その人はいつも求めているもののことしか考えないからです。その人は目標をもっていて、その目標にとりつかれているからです。求めるということは、すなわち目標をもつことです。見いだすということは、自由であること、開いていること、まったく目標をもたないことなのです。」
目標に向かって努力している人は視野が狭くなりがちだという指摘は鋭い。ビジネスのことばかりを考えていると環境や社会のことを忘れがちである。すべてがつながっているということを知る人が見いだす人なのだと、いう。現代のリーダーシップに一番求められていることだと思う。
「シッダールタの心の中で、本当の叡知とは何か、自分が長いあいだ探し求めてきたものは何であるかということについての認識が、自覚が、ゆっくりと成長して花開き、ゆっくりと実っていった。叡知とは、生きているあらゆる瞬間に「一如」の思想を考え、「一如」を知覚してそれと共に生きられるような心構え、心の能力、各個人がもつ技能以外の何ものでもなかった。」(一如=すべては一体で不可分)
しかし、同時に「叡知は人に伝えることができない」ということを悟る。

大義を説くと、すぐに
「具体的には?」と聞かれる。
答えを求めたがる気持ちもわかる。
参考にしたい気持ちも。
感じて動いて、何かしら道が開けることは信じられないようだ。
言葉で聞くと、それだけで、本物の体験ではないのに、あたかも
経験したかのように認識のラベルを張り、判断をする。
意味がないとか、それでは難しそうだとか・・・。
要は、自分が何をしたいか?自分はどんな在り方でいたいか?
真の自分を思い出すのは、そう簡単なことではない。
非日常がそのヒントの一つとなる。
シッダールタ
シッダールタ
ヘルマン ヘッセ

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ワックスマンブログ: 沖縄にて想う

我々人類は無限の可能性を持ちながら、一人ひとりのエゴや誰かに刷り込まれた概念で、その可能性の殆どを制約してしまっている。 それを開放することができるのは自分だけだ。

2月の沖縄での体験を表現されています。
是非全文に触れてください。新しい現実(リアル)を
感じてもらえるでしょう。
リアルは言葉では説明しづらい。体験こそが真理へと回帰させてくれる。
我々はどこから来て、どこへ行くのか?
新時代の規範は、沖縄がキッカケになると確信しています。

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雪斎の随想録: 沖縄への「共感」

「沖縄の地域住民や政府を『売国奴』や『左翼の残滓』よばわりして、自らひとり手を汚さず、愛国的であるかのような幻想に生きているとすれば、保守言論は、やがて同胞からも受け容れられなくときがくるにちがいない」。 沖縄に絡む政策を遂行する際の前提は、沖縄の置かれた立場への「共感」である。在日米軍再編にせよ歴史教科書にせよ、そうした政策を語る折に沖縄への「共感」は、どこまで働いているであろうか。

自分の痛みを感じない人は、他人の痛みも感じられない。
現代は、感情を表現しながらも、それに振り回されない冷静さが
必要であろう。