「徒然なるままに」カテゴリーアーカイブ

雑華厳飾(ぞうけごんじき)

本日は、仲間会という入社式と懇親会のような会に御呼ばれしてきました。会の主催者は手技道という、表向きは施術院ですが、実は人の生きる道を伝えているところです。院長である村松先生の結ぶ力によって、多種多様な人が今回も集まり、さしずめ菩薩サミットのようでした(^^)/
仏教では、縁成(えんじょう)という言葉があります。調べてみると、

【縁成】 仏語。すべてのものが因縁によって成り立っていること。

とあります。今日の一期一会も縁があって成り立っていました。出会いがあっても、すぐ深まるときもあれば、そうでないときもあり、時差もあるし、濃淡もあります。目先の結果だけを見て判断していたら、見逃してしまうこともあるでしょう。最近数十年来を経て深まるご縁もありました。いつ出会いの意味に気が付くかわからないからこそ人生は面白いです。
村松院長とは沖縄で出会ったのですが、その後長らくお会いしていませんでした。しかし、何かと気にかけてくださっていて、私が東京に戻り、これから再度ゼロからスタートという話をしたとき、
「おめでとう!よかったね!」と、とても嬉しそうに話してくれました。その一言で、
「あ、やっぱり良かったんだ」と心が晴れ晴れしたことを思い出します。院長は慈悲と愛を感じる人で、心と身体にまつわるプロフェッショナルであります。心身のことなどでお悩みの方は手技道へいらしてみてください。
来賓者の中で江戸時代の研究をされていた、ペンネーム山木育氏がお祝いの言葉の中で、石田梅岩の言葉を紹介されていました。
Amazon.co.jp: 日本経営の原点 石田梅岩―デフレ時代を生き抜く知恵: 山木 育: 本

直感を感じる本能というものを大事にしなさいというお話だったと自分は理解しました。蚊はボウフラの時は人を刺さない。誰に教わるでもなく、血を吸うことを行い、叩かれて殺されそうになると逃げる本能がある。その本能は人間にも備わっているという例えを話されていました。
ご本人は大変博学な方で、紀伊国屋文左衛門の紹介本がキッカケでテレビ出演され、そのご縁で熊野古道にある平安時代からの街並みが残っている町の話を関係者に話したことで、熊野古道が世界遺産になっていくキッカケとなったとのことでした。知恵も知識もある方が、本能と話されるギャップが興味深いです。そして今はまた全然違う分野でご活躍されているのが面白いです。それはまたいつか別にご紹介できればと。
その他にも個性豊かな方々がいらして、まさに華厳(けごん)のようでした。華厳とは、雑華厳飾(ぞうけごんじき)の略です。さまざまな種類の華によって厳かに飾られている様子です。華厳経の華厳です。最後にお祝いで飾られていた花も頂いたのですが、花のような人々に囲まれた楽しいひと時でした。
志をもって入社など新年度を迎えた方々は、各自決意をもって迎えられたことと思います。
『華厳経』には「初めて発心するときは,すなわち正覚 (仏陀の悟り) を成ず」とあります。発心(ほっしん)とは 発菩提心 (ほつぼだいしん) の略でして、仏陀の悟り (菩提) を得ようと決意することを指しています。
まずは、決意という意識があればもうそれは成ったも同じなのです。菩薩への第一歩おめでとうございました!
 

奇縁曼荼羅

世の中には面白い人や、数奇な運命を生きている人がこれほどいるんだと驚く毎日を過ごしています。保江邦夫さんという、物理学者で脳科学者で合気道の達人で軍事マニアと、最早何者か表現できない保江さんに興味深い話をたくさんお聞きしました。自宅に戦闘機があるとか、税関で飛行機が燃やされたとか、いろんな逸話をお聞きしたのですが、集中力を高めたいときやリラックスしたいときに使ったほうがいいものを紹介された話から入ります。
そのグッズとは何かというと、赤ちゃんが使うおしゃぶりだそうです。これを噛んでいるとリラックスもでき、落ち着くのだそうです。ある重量挙げの選手に、おしゃぶりを勧めたところ、控室でこっそりとおしゃぶりをはめて、その上からターバンを巻いて隠して、重量挙げをしたら新記録がでたとのことです。見た目が変なことだけのぞくと、効果はあるとのこと。お土産にあげたいけど、これは高いからと、お土産には耳にある集中力を高めるツボを刺激するグッズを頂きました。
ちなみに、マクドナルドのストローの太さは特許がとられていて、シェイクを吸うときの力が、赤ちゃんがお乳を吸うときと同じ圧力になるように計算されているそうです。その時の記憶が無意識に残っているから、気持ちよくてまた吸いたくなるそうですよ。赤ちゃん時代のことは覚えてないけど影響するんでしょうね。
保江さんは伯家神道の祝之神事というものを受けられています。実は私もひょんなことから、山梨で受けたことがありまして、保江さんによるとこの神事を受けたら、人生のふり幅が大きくなるそうで、確かにあの頃から激動体験が続いています。最近、伯家神道関係の方と会うことも続いていたので、面白いご縁です。
神事といえば、神主さんは最近仕事としてやっている方が多くなってきたそうですが、なかにはやはりすごい人がいて、これは生まれつきのもので、神様はえこひいきされるという言い方をしていました。大麻(大幣)を振ると、周囲にある器に入った水が揺れるような神主さんもいらっしゃるとのこと。神様に愛される方っていますよね。
保江さんは岡山ご出身で今も岡山の大学で教授をされています。この岡山という地は、日本の新宗教の元祖ともいうべき、黒住教や金光教などが生まれた地なのです。浄土宗の法然、臨済宗の栄西が生まれた地でもあります。その岡山の地に、サムハラ神社というものがありました。私は知らなかったですが、そのサムハラ神社は弾除けお守りが有名で戦争に行く人へのお守りとして人気がありました。が、そのサムハラ神社が弾圧されてなくなってしまい、その後大阪に寄進されて復活しました。今でもそのお守りは向かってくるような事故から守られるとのことで、実話をお聞きしましたが割愛します。お守りは人気でなかなか手に入らないとのこと。
話は戻して、サムハラ神社が弾圧されて二年後に津山事件というものが起こったのです。オウム事件でさえも、この津山事件での被害者の数は超えていません。たった一人で2時間足らずの間に30名を殺害し、最後に自殺して真相は闇に。この事件はサムハラ神社の祟りだといわれたのです。この事件が、八つ墓村の話になったわけです。警察の調書をそのまま本にしたのです。関連性はわかりませんが、異常ではあります。サムカワ神社のパワーはそこはかとなく伝わりますね。
こんな話をする物理学者って最高ですね。人柄も偉ぶらず、優しく、温かい方でした。また教えを乞いに伺いたいと思います。
最後に、突然今日知らない番号から電話があり、「週刊○○ですけど、元奥様は結婚されていたときどんな様子でしたか?今度再婚されるそうでどんな様子だったかお聞きしたいのですが」と。ゴシップ話でもしようかと思いましたがやめときました(笑)
毎日予想もつかないことがあって楽しい限りです。私も再婚したいですね。お幸せに!
 

人間関係のカギ

世間では大塚家具さんの親子の騒動が話題になっていますね。父と娘が会社方針の違いで争っている報道をみました。そこに母や兄弟たちも巻き込んだ争いになっているようですね。傍目から見たら面白いと感じるのが人間です。親子仲良くすればいいのにと、自分のことは棚に上げて思うものです。
相手に対して心が入っているからこそ、気になるし、冷静になれないのは当然です。私も家族に対しては冷静になれません。因縁の関係は家族だけではないです。仕事仲間でも友達でも、関係が深ければ、必要以上に反感や好感を持つものです。今回の騒動も普通に考えたらどちらにとっても、会社にとっても得なことはないと思うものです。でも、損得を超えて感情が支配しているから、そこに正当な論理を持ち出してまで主張するのです。
私もマスコミで報道された時は、
「嘘ばかりいいやがって、証拠の品でもだして反論しようか!」と何度も思ったものです。それを見て
「わかる人にはわかるよ。そんなことしてもゴシップ好きが喜ぶだけでそんな人たちに飯の種を与えることないよ」と冷静に話してくれる人のお蔭で、気持ちを落ち着けることができました。知らない人や、立場が違う人から見たら、そういう見方もあるのだろうなと思えば、むかつく相手さえも許せるものです。
一時の感情を満たしたところで、自分の良心は満足するのかが問われているのだと思います。例えば、ISの遺跡破壊には悲しい気持ちにさせられますが、正しさをいくら主張しても、その正しさの奥にある心が伴わなければ共感を持たないと思います。破壊するということでしか気持ちを表せない状況にいる彼らこそ本当は悲しいのです。イスラムの主張をし破壊することでしか注目されないのも悲しいことです。ムハンマドの心を利用して本来のイスラムを貶めてしまう行為になります。かつて、イスラムの歴史を見れば寛容さがあったからこそ、ルネッサンスが起こるきっかけを作ったのですから。
今回の親子対立もどう家具を売るかの手法の話より、本当は別の理由が対立の原点にあります。感情的になってしまうときに、冷静に見ることができる人がいて、また自分の感情よりその方の意見を聞き入れるほど信頼がある人がいるのかどうかで、道が分かれてくるのでしょう。
家族の戦いは代理戦争になりがちです。その裏には対立をあおる空気を入れる人もいたりします。陰で、
「こんなことを言っていたわ」などと本人は悪気なく火をつけたりします。大体は、愛されないといった欠乏感から、問題を創り出すことが多いように思います。
大塚家具さんの件は、彼らの自己犠牲で社会に学びの種をまいているように見えます。そこから私たちは何を学べるのか?ただの面白いゴシップではなく、自分だったらどうするのか?お客さん、取引先さんだったらどう思うのか?今回の件は、男女の感覚の違いも左右していて、息子だったら違う形になったでしょう。父親と娘は似ているように感じます。だからこそ後継者になったのでしょうし、似ているからこそ余計に鏡のような対立になったのでしょう。
報道を見たとき面白いなと感じたのは、社長である娘さんが記者発表している当日が誕生日だったと話していたことです。それが226の日で、この日は他にも岡本太郎なども誕生日で、自分の中でシンクロがありました。きっと娘さんがカギを握っていると思います。

永遠のいま

私たちには自由意思があると思っています。しかし、本当はそんなものがないとしたらどうでしょうか?いまこの文章を読んでいるあなたと私は、決められたレールを走る玉のように導かれていたとしたら?私たちが意志を発する前に脳は活動しているという研究があります。体は無意識のうちに判断しているというデータもあります。
意識とは何のためにあるのでしょうか?意志とはなんでしょうか?自分だと思っていても、まるで映画の観客のように実際は受け取るだけの存在なのかもしれません。発明やひらめきは、天からやってくるもので自分のものではないという話をした人もいます。人はただ生かされているだけなのでしょうか?
宇宙の成り立ちを調べると不思議なことがいくつも出てきます。人間の神秘も同様です。まるで生命を生み出すために用意されたかのような環境。そもそも私たちを構成する一番小さい要素を見ていくと、生物も無生物も関係なく同じ素粒子になっていくのですから不思議です。生物と無生物は違うと思っていたのに、突き詰めていくと同じなのですから。その素粒子の中はいったいどうなっているのでしょうか?のぞいてみたら、あちらから自分がのぞいているかもしれませんね。宇宙がこんな途方もない時間と計り知れない計画で導いたとしたら、ただ生かされているだけの人間を生むためとは思えません。
物を叩けば音がします。その音が巨大になれば、音で物に影響を与えられます。当たり前だと感じていることも、改めて考えてみると不思議で面白いことです。人の意志は肉体を動かします。心を動かすものは何でしょうか?心と意志は同じでしょうか?感じる想いは何を動かすのでしょうか?
伝えたい人を想って書く文章は想いが入ります。その想いは、重い存在となり、人間の原子、素粒子を通って、世界に拡散するのかもしれないと妄想します。世界と私は繋がっているのだと。私の好きな言葉を紹介します。
 

一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする。哲学者ホワイトヘッド
あなたの意志は私たちに影響し、私の意志も私たちに影響し、主体と客体がどちらもなく、私の意志もあなたの意志も錯覚なのかもしれません。その錯覚を楽しみながらも、全世界に責任を負っている存在という自覚を持つのです。いまの心の在り方を、いま決める行為が生きることなのだと感じます。自分の在り方が世界に影響を与えているのです。お天道様はどんな時も私たちを見ているということですね。
宇宙と私たちはかけ離れた存在ではなく、共に必要とする同志なのだと思います。天の声は私たちの無意識でもあると感じるのです。導かれるのも導くのも、自分一人でやれることではないというか、そもそも自分一人という概念、考え自体が錯覚なのでしょう。今日も出会いに感謝です。ありがとうございます。弥栄。
 

近況雑感

お陰様で、人に恵まれているなと実感する毎日を送っています。人は環境によって作られますからね。周囲の人間、付き合う人間によって日々影響を受けて、人は形作られていきます。新しく出会う人、紹介される人が多くて、この一年ですでに出会ってる方々と深まると共に、徐々に広がりもあって、目の前の人に何が出来るかを意識しています。
かつてより繋がりはあったけど、深くはなかった方とも、ご縁が再度繋がり、改めて出会いなおしているような感じです。私の場合はやはり人が財産だと感じています。ご縁がある方に何が出来るか?折角ですからこれまでとは違うアプローチをしています。自分の中にあったパターンを壊すイメージです。自分が話すより聞くほうが多くなりました。
そのお蔭か、今まであったこともないような世界の人とも繋がったり、自分の中にある偏見に気づかされています。また、違う世界で極められている方のお話を聞く機会も増えて、真剣に自分の仕事を向き合っている姿勢に勇気づけられています。
変化といえば、以前と比べてテレビを見るようになりました。といっても、録画された番組でリアルタイムでは見ないのですが、無料で質の高い番組が母国語で見られることは素晴らしいことだなと思います。ある意味、還俗したような気分ですね(笑)
やはり志のある方に触れるとチャージされる感じがします。それは直接間接を問いません。ブレてはいけない自分の中の志を再確認します。10年たっても言っていることは変わらず、同じ情熱を傾けている人間が格好いいと私は感じます。日々、無限の選択肢があるなかで、どの道を選択するか?無意識に価値観が滲み出るものでしょう。
滲み出るためにどのような生活を送っているか?結局はそこに戻ってきます。沖縄である方に言われた、
「格好悪くてももがいている姿を見せてほしい」という言葉が心に残りましたね。このブログも難しいというので、簡単にわかるように心がけていきたいと思います。
今年はアウトプットも増やしていき、伝える努力をしていこうと思います。いつも気にかけていただきありがとうございます。
 

葛藤こそ財産

 時代の流れを感じる。「待つのも愛」と前回書いたが、信じるとは何か?も同時に問われている。以前、「錬金術の秘密」を書いた。その中で信じることについて触れているが、信じるとは奥が深いものだ。

信じられない人間を責めるのは簡単だ。相手を責めても始まらない。信じさせることの出来なかった自分を反省しなければ進化はない。謙虚にその意味しているものを汲み取らねば、独善的な自分たちさえ良ければいいという道に入り込んでしまう。

それは「信じる」を悪用している道で、先に光はない。盲信している姿が魅力的でないのは、自分の道を生きていないからだ。自立しつつも、信じる。委ねていても自立している。信じるを悪用して楽をしていないか、自分に問いかける。信じて任せずとはよくいったものだ。
人の成長を望んで指摘するつもりでも、言う側のレベルが低ければそれは足を引っ張ることになる。良かれと思って、結果的には落としているというやつだ。でも、表面的には足を引っ張っていても、それは期待の現れで、もっと突き抜けろと励ましてくれているのだ。
いい人で真面目であると、そう言われるからにはそういう点があるに違いない。世間的にはいいのだろうが、それだけではただ利用されてしまう恐れがある。私の好きなセリフに、
「いい人、いい人、どうでもいい人」がある。
かといって、素直に直そうとしてしまえば、逆に本来の良さが失われる。焦ることはない。ただ、まだやり方が未熟なだけだと知れば良い。真摯にやり続けていれば、どの道も上達する。
どんな人間も自分は正しいと思っている。自分と違う人間を見つけたら、それは自分と違うのだから間違っていると言いたいのだ。その一方で、間違っているとも言われない人間もいる。構って貰えるだけ有り難い事だが、その感謝を忘れてしまえば、
「なんだあいつは何もわかってない」と独り心地になる。
正しいも、間違っているもない。善と悪、光と闇、陰と陽、それぞれが必要だ。関心のある人たちをどれだけ巻き込めるか?器の問題になってくる。形を見せて納得させるのは簡単だ。形を見せずに納得させるのは、詐欺師と紙一重になる。
起業したときもそんな葛藤があった。良いことを言って金を集めて自分の為に使っているだけではないのか?実際そういう人もゴロゴロいた(笑)利益が出ていなくても、車だけは立派で運転手付きだったりと世の中は広いと驚かされた。でも長い目で見ると、そういう人はいなくなってしまう。
疑ってばかりいるのも、何でもかんでも信じるのも、同じ事だ。どちらも相手のせいにしている。自分の道を生きねば輝かない。輝く者同士のツナガリで真世界は広がっていく。小さい世界の王様のなんと多いことか。心の中の秘密の花園。それぞれの王国と花園を結びつけることが出来たら、更に面白くなる。
経済的に自立していると、自我が強くなる。自我が強いとツナガルことが出来ない。真の自立とはなにか?心の自立は見えないだけにわかりにくい。責任を背負って生きることで自立していくのだが、そこにも罠はある。
嫌なことから逃げるために背負うこともあるからだ。子供のためというセリフはそういう時によく使われる。それは背負うのではなく、利用しているのだ。
大岡裁きで、子争いの話がある。似たような話が聖書にもあり、ソロモン王はもっと苛烈なことをいうが、結果は同じ話だ。愛とは、信じるとは、を考えさせられる小話である。興味ある人は調べてみたらいい。
簡単に自分の心を信じてはいけない。心は楽をするために、頭を使って正当化しようとするのだ。信念と葛藤の中で心は磨かれる。

タイミングはいつも今!

よく上京した人が、「東京は人が多い」というのを実感するようになった。沖縄にいて東京に来ると、駅などに見る人口密度の高さに、人をモノとして捉えてしまうのも無理もないと感じる。出勤前に、コンビニで暖めた弁当を、ゴミ箱の前で立喰している人を見かけた。以前なら何も感じなかっただろう。今回は強烈な違和感を感じた。

ただの餌としての食事。ご飯も落ち着いて食べられない社会はどこかおかしくないだろうか?彼だけの問題ではない。社会がスピードを要求し、コスト低減を要求しているのだから、ゆっくりと落ち着いてというのは贅沢なことになっている。
放射能による汚染で今後出るであろう病気を、他の原因にすり替えるかのように、急に報道されるようになったPM2.5。その一方で、無農薬の奇跡のリンゴだと、ありのままがいいようなイメージでムーブメントが仕掛けられる。どちらを向いても、経済経済の大合唱。首相も口を開けば経済成長。
どんなにキレイ事を言っても、金儲け優先、金がなければ生きていけない、とヒステリーのように強迫観念になっている。よほど、これこそ洗脳ではないか。今の時代には、三年寝太郎は即刻切り捨てられてしまう。余裕のない社会だから、自殺者も減る気配が一向にない。
都会が悪いわけではない。人は無意識に周囲の行動を真似ている。見殺しにする人が多ければ、自分も見殺しにする。若い女性と子供が餓死した事件を思い出してほしい。自分に関係ないと思うのが普通だ。ふつうのコトをしてきた結果、今の社会があるのだとしたら?
普通じゃないことをするのは勇気がいる。しかし、よく考えた時、どちらが普通なのだろうか?見殺しにする社会が普通なのだろうか?
「100万人の母たち七夕プロジェクト」という運動がある。子供を抱えた母親の気持ちは動かずにはいられないのだ。これが普通ではないだろうか?日々危険が垂れ流されていることに不感症になりがちだ。今までの自分がダメだと思ったしても、今からの自分はいつでも可能性に満ちている。
沖縄にいては知らなかったことだが、東京の霞ヶ関から神谷町の方まで、TPP反対のデモがあり長蛇の列だったという。こういうことはあまり報道もされないから、全然知らないでいた。
最近元CIA職員が秘密をリークした事件があった。
「米政府が秘密裏につくりあげた監視機関を使ってプライバシーや基
本的自由を侵害していることに、良心が許さなかった」という。
良心に従うのは勇気がいる。大きなことをしなくてもいい。ほんの少し、毎日、ほんの少しだけでも、良心に従う行動を起こすことで、いつかは大きな流れになる。
何かを買うときに良心に聞いてみる。お金を使うのは社会への投票と同じだ。どんな選択でもいい、自分の価値観を確認するのだ。
また、絶望や怒りに囚われた時、
困ったときに、
一歩引いて落ち着いてから良心に問いかけてみる。
感情にとらわれてはいないか?勇気を出すとしたらどんなことができるか?
いつでも、始まることができる。ほんの些細なキッカケで、世界は変る。

エウレカの快感

橋下氏が大注目を浴びている。またしても、沖縄がキッカケになり世間を騒がしている。面白いことだ。沖縄絡みのニュースが出ない日はない。そして中国は尖閣諸島に領海侵犯を繰り返し、インドでも同じように国境を超えて軍人を送り込んだりしている。

中国は賢い。権力闘争も命がけだからこそ、真剣にやらねば自分がやられてしまう危機感がある。一歩間違えば人民に何をされるかわからない。だから恐怖も必要だし敵も必要だ。まわり回って自分に返ってくるものだが、そんな長期的な視野で動ける時代ではない。
日本もそうだ。日々目まぐるしく動き、ビジネスでもスピード優先の時代だ。地球の歴史を振り返ってみても、段々と加速しているのがわかる。人類が地球史に登場して、全世界を覆い尽くし環境さえも変えてしまうほどの力を持つのに数万年しかかかっていない。恐竜時代より圧倒的に早い。そして、その人類史の中でもここ数十年の発展は恐ろしいほどの速さだ。
かつて、一世代に一つあるかないかの発見が、一年で何十もあるほどだ。バブルの起こる期間もドンドンと短くなり、次の金融危機は致命的になるのではと言われている。そのサイクルの速さは、あらゆる分野にまたがり、そのうち小学生でも起業というスピードを要求しだすだろう。
善悪ではなく、大きな流れで見た時、それは自然の宿命でもある。そして、やがて極大を迎え破局にいたり、新たなスタートとなる。経済発展という狂騒曲の中で、スピードと規模が求められていく。その先を自分たちは見ている。
世界から見れば、日本はやはり変わっていて危ない国だなというイメージを自ら率先して作っているのだ。そのためのネタ(橋下騒動)を提供し、やはりそのとおりだとその餌に世界は飛びつく。領土問題などでもどんなに正しいことを言っていたとしても、世界は弱肉強食で動いているから、その正しさには意味が無い。彼らにとって意味のあることだけが報道されていく。
世界から見たら変わり者の日本。つまり、障がい者扱いなのだ。日本人はエコノミックアニマルと呼ばれていたのを覚えているだろうか?アニメも含めて、とかく変わっているという認識なのだ。
半端に普通の国など目指さないで、トコトン変わった集団になればいい。同調しやすい人柄だから、変化は一気に流行となり、常識を変えていくだろう。この変化への適応能力は世界には想像もつかないのだ。
軍隊持つより、初音ミクが安全保障になるかもしれない。国家という枠組み、既存の概念からの脱却、脱藩思考が次世代を作る。そのための沖縄だ。
価値の逆転で、日本の価値観が全世界のトレンドになるかもしれない。それを目指す必要はないが、かつての武士道や茶道のように、道を極める発想が生きてくる。オタク道、経済道となったら面白い。いま趣味の世界に生きている人ほど可能性があるだろう。
その中で、菩薩道ほど楽しいものはない。人生という舞台で遊ぶには、菩薩道という概念を理解したら、こんなに価値が有るものはないと誰もが思うだろう。素晴らしいからこそ、誰にも出来ないのだ。だからこそまた価値がある。
新しい発見をした時の快感を一度味わったら、伝えたくてしょうがなくなる。自分が好きなものも伝えたくなる。喜んでもらえたら尚更に伝えたくなる。カンブリア紀の大爆発のように多様な生き方が起こってくる。
パラダイムシフト、常識の革命こそが混迷の時代を生きる光となる。

中途半端になってないか?

 あっという間に5月だ。ここ何年もずっと種をまいてきた甲斐があり、仕事の話がどんどん増えている。ともすると、忙しさに追われて表面的なことに目を奪われて、そもそもの想いを忘れてしまう。仕事をしていると、細かいことにハマりがちだ。

特に忙しくしていると、自分でも気が付かないうちに、モノゴトに振り回されてしまう。すると、モノゴトを徹底的に出来なくなってくる。気を抜いたり手を抜いたり、「まぁいいか」と妥協し始めてしまう。その結果、本当に大事なことよりも瑣末的なことに時間を取られることになる。
そしてその言い訳に、「前とは今は状況が違うから」と、ただ自分がラクしたいがために自分を偽ってしまう。折角、今まで徹底していたとしても、緩んでしまえば一瞬で終わってしまうのが、この世の厳しさだ。ほんの一瞬の気の緩みがすべてを無にしてしまうことなどザラにある。
勝って兜の緒を締めよと、言うは易く行うは難しだ。いい時ほど、チャンスの時ほどピンチが潜んでいる。落とし穴はすぐそこにあるものだ。かといって、慎重にし過ぎたらチャンスを逃すことにもなる。だから人生は面白い。
以前、「徹底の先に愛がある」と書いた。徹底すべきことは、その時によって違う。今は何を徹底すべきだろうか?その意識がなければ、同じ事を繰り返すことしかできない。状況が変わっても、まるで時代遅れのロボットのように同じことをしていては、誰にも相手にされなくなる。
同じ事を繰り返している人ほど、そこにハマっていて自分の人生が無駄に過ぎていることに気が付かない。人生が危ない人ほど無頓着だ。この世は面白い。必死にならなければ先がない人ほど必死ではなくて、余裕があって必死じゃなくてもいい人ほど必死なのだ。一見矛盾に見える。
持てるもののほうがそれを失う恐れを持ち、変わりたくないがゆえに必死になる。持たざるものは失う恐れがないゆえに、持つことで変わることを恐れている。表面上はまるっきり正反対の違うように見えて、本質は同じ恐怖から行動が出ている。恐怖からは救われない理由だ。
突き詰めてみれば、光を求めていないから真剣じゃないわけで、そこに矛盾はない。人間は慣れの生き物だ。どんな環境にいたとしても慣れてしまう。同じじゃないのに同じように見えてくる。意識を高く持ち続けるのは一人では難しい。まして普通の世界は、足を引っ張り合う人間で満ちている。悪口を言い、他人のあら探しばかりしている環境では、心も折れてしまう。ムリもないことだ。
どんなに人を信じようとしても、その千倍もの力で周囲が足を引っ張り信じられなくさせてしまうのだ。周囲の人間は自分が人を信じられないから、他人が信じていると「馬鹿だ」とか「騙されている」としか見えないのだ。自分の見た世界が反映される。人を信じない人間は、信じられない人間で世界が満ちているように見えて、自分が信じられないのはあなたのせいだと人のせいにし続ける。
この世を地獄にして生きている人のなんと多いことか。ほんの些細な徹底から世界は変わってくる。光が見えないのであれば、何か徹底違いをしているのだ。我を張っているのか、受け入れていないのか、素直になれないのか、下を見ているのか、理由は様々だろう。
迷った時、信じられない時、弱い時ほど、光を感じた時のことを思い出すのだ。その時の気持ちを徹底できれば道は自然と開き出す。そして、その道の先には、あなたが道を歩いてくるのを待っている人が必ずいる。その時、英雄(あなた)は試練の旅から帰還するのだ。

学ぶ心深ければ師は姿を現す

また226の日がやってきた。想いがあっても、それだけではうまくいかない。だが、想いがなければ虚しいモノになる。後の世にも残るモノは、想いがある物事だけだ。

前回「彩り」と書いたタイトル通り、色とりどりの反応があって面白い。タイトルの狙い通りだ。愛の反対は無関心。書き込んでくれるという事は、関心があるという事だ。愛憎は表裏一体。有り難い事だ。無視できない存在になっていかねばならない。

心配は「心配という名の支配」に繋がりやすい。良い事をしようとして、結果悪くなる事が多いのも特徴だ。これは因縁に多い。結果、良かれと思ってやったことで、足を引っ張る効果になる。また因縁は素直に応援できないことが多い。

会社を売るときも心配されたことを思い出す。普通に考えたら、自分で作った会社なんだし、そのままやる方が楽だし、心配もない。経済的な事だけを考えたら、そのままITビジネスをやっていた方が儲かっただろう。

しかし、経済的に成功した人々をたくさん見る機会に恵まれ、そんな人たちも家族の問題で悩んでいたりしていて、幸せそうには見えなかった。また、ビジネスは得意かもしれないけど、世界観に惹かれるものはあまりなかった。

虚業と実業の違いはなんだろうか?知らない世界を知りたくて、色んな世界の人と繋がった。その頃出会った人たちも、今や同じ状況の人はほとんどいない。人間万事塞翁が馬だ。何か幸か不幸か、終わってみるまでは何とも言えない。優秀とは思えても、偉大とは思えない。

人生が終わったとして、その生きた証が後世にどうみられていくのか?226事件でさえも、77年経ってもまだ変わっていくだろう。大きな事件でなくても、子孫にどういう人だと語られるのか?それとも忘れ去られていくのか。

本当に価値あるものごとはなんだろうか?それを探し求めてきた。それがやっと、沖縄で気がつけた。経済を捨てている訳ではない。潜水艦のように見えないところでやっているだけだ。沈黙の艦隊のように、見えないからこそ出来る仕組みを知っただけだ。かつてと同じ事をしても面白くない。

インターネットビジネスでは、大衆にアピールした方が価値を生む。しかし、世界の大衆にアピールする事が出来ないから、自分は見切りを付けたのだ。そこはアメリカにしっかりと握られている。世界で勝負するには、経済の世界だけでは通用しない。いくらでも政治でやられてしまう。

ブランドビジネスも然りだ。文化の殿堂は、ヨーロッパに握られている。世界の構造を知らなければ勝負も出来ない。現実、歴史で積み重ねられたモノを一朝一夕で変える事は出来ない。また無理にかえる必要もない。

大きな流れの中で、どこまで視点高くしてこの世のゲームを楽しむ事が出来るか?ただのほら吹きか、詐欺師か、黒幕気取りか(笑)、そのうちわかることだ。

北朝鮮はなぜ核実験を行ったか?またそのことで何が明らかになったか?
地震は何の信号か?
自分なりの世界観があるだろうか?

この世は決定論で動いているのだ。偶然でさえも考慮のうちだ。カジノでは、誰が勝とうが負けようが自由だ。仕組みとして胴元は儲かるようになっているのだから、細かく見る必要もない。儲かる事は決定されている。もっと深い事を考えて、ただ儲ける為だけにカジノを作るのだろうか?カジノを作る事で、一石三鳥は何だろうか?

世界観を持っている人間は何を大事にしているだろうか?価値ある人間とは?繋がりたいと思う人間とは?類は友を呼ぶ。真剣に目の前の繋がりに向かうコトなしに、先はない。チャンスとピンチはいつも裏表だ。覚悟のない人間は真剣になれない。覚悟している気になっている人は、いざというときに真剣でないことがわかる。

半端な覚悟、半端な真剣は、いっけん文句をつけようがない。だから大衆には受けがいい。真剣だから問題が起きる。問題が起きるから学べて進化できる。葛藤や苦しみが生まれるからこそ、価値ある問題となる。価値のない問題を解く事に一生を終える人もいる。

目線が下の人にあわせたら、どんどん目線が下がっていく。下にあわせず、上にあわせるのだ。下にあわせる方が簡単だ。上を向き続けるのは楽ではない。大衆ではなく、真剣な人間の目線を求めるのだ。

どんな道も楽ではない。深める、考えるという一番大変なことから逃げて楽して掴めるものはない。もがき苦しんだ分だけ身になる。

言うだけは簡単だが、言った言葉の責任は取らなければならない。責任は簡単に取れるものではない。必死になって向かう事で、どんな道もやっと開くのだ。

文句を言えるのはまだまだ余裕がある証拠だ。自分だけで必死になるのは難しい。だから人生は面白い。