Six Degrees of Separation

節目の季節ですね。出会いと別れ。出会って初めて気づくこと、別れて初めてわかることがあります。私は特に感じないとわからない馬鹿なんだなと実感しています。どんな体験も、どういう解釈するかで意味づけが変わってきます。同じ体験でも解釈が変われば、感じ方も変わります。過去に感じていたことと、今とでは全く違った感じ方をする体験もありました。
人の印象もそうです。冷たい人なのかなと思っていた人が、実はとても優しい人だったりしたこともあります。かつては、早急に判断を急ぎすぎていました。長い目で見ようということと、そうでないことの区別が曖昧で、自分にとって都合の良いように見ていたのです。そのお陰でというか、背負うべきではないことまで背負ったりして、身の程を思い知らされ、自分の器を知りました。
それでも、まだ期待をしてくれている人々がいることはとてもありがたいです。私は周囲の人間に対して、紹介して欲しいということを頼んだことはほとんどありません。紹介することはあっても、自ら求めることはあまりしてきませんでした。昔、Birthにはいろんな人種がやってきて、名刺の数だけは広がっても、そこから広げたいとも思えませんでした。つながる人は自然と繋がるだろうと思っていて、大体大きな出会いは相手からやってきてくれた恵まれた人生です。今だに紹介してもらって、新たな出会いをいただいています。
ツイテいるからこそ、その有り難みや価値に気がつかないのです。視点一つで人生は変わります。私はかつてタイの山岳民族の村で水道工事のボランティアをしていた時に、そのことを痛感しました。知っているか知らないかで、人生の選択や幅を大きく変わるのだと。時代は必ず変わります。次の時代のヒントが沖縄にあるという想いに変化はありません。
人がまだ気がついてない視点をわかりやすく説明してくれる講座が沖縄にあります。私にも暖かい想いをかけてくれている樋口さんの講座です。これからの未来を生きる指針の一つに、この講座で学べることがあります。沖縄まで行くことは大変です。しかし、それだけの価値はあると推薦します。
目の前の人間を好き嫌いで判断したら、その人と、その人につながる人間たちを切り捨てることになります。嫌いであるからこそ余計に自分にはないものを持っているとも言えます。愛があれば人は自然と集まります。自然と集まる中に、予想もしない出会いがあり、その出会いこそが人生を変えたりします。わざわざ沖縄まで行くという選択肢は普通はないです。しかし、その先に見えない可能性があります。沖縄で大変な経験をした私がまだ沖縄に関わることを不思議がられます。その答えの一つはこの講座にあります。すぐにでなくても選択肢の一つに入れておいて頂けましたら幸いです。
『次世代金融講座』第27期
http://www.trinityinc.jp/updated/?p=8500​
 

四十九日法要

去年から近しい人の死が続いておりました。母と仲の良かった叔母と、そして母の忌明けとなりました。いつも気を使ってばかりの母は、自分のことよりも人のことを心配してばかりの人生だったように感じます。祖母と同じく、いつも大袈裟に心配したり話したりしていて、家族の中ではオーバー会の二代目会長と呼ばれていました。
皆様もご存知の通り、私は心配をかけてばかりいましたので、死期を早めてしまったのかもしれません。
「親には心配かけるほうが、おちおち死んではいられないと長生きできるんじゃないの」と、私は母に言っては
「もうたくさんよ」と呆れられていました。
心配性でありもしない心配をしては、笑いの種にもなっていました。表現はどうあれ、相手のことを想う気持ちは本物でした。母の子供でよかったなと思うことが多々あり、今の私を形成してくれた大切な人でした。しつこく、うっとうしいくらい、言い続けてくれたお陰で、今も母の言葉が聞こえてきます。
もう心配しなくてよくなったから、あの世で楽しみながら見守ってくれたらと願います。これまで控えていた発信も徐々に再開したいと思います。心配をかけてばかりいた事実をもとにしたフィクションでも書いてみようかと思っています。
仏となった母に見守られながら、思い切り生を生きて、またあの世で、死んでからも心配していた話を聞きたいものです。
一緒に大笑いしたことを思い出します。楽しく、愛にあふれた人でした。母を少しでも見習って、人への想いを大切にしたいと思います。今後とも迷惑をおかけするかもしれませんが、いつも心配してくれてありがとうございます。
 

選択とバランスの間

戦後70年目、節目の年の慰霊の日がやってきました。6月は私にとって色々と因縁深い月で、今年も機会に恵まれて貴重な体験をすることができました。その一つにアラスカへのスピリチュアルツアーがありました。手技道の治療家や、その他の分野は違えどプロフェッショナルな方々と一緒に同行してきました。ご縁によって導かれた旅で、私の今後の道筋に大きく影響を与えられた感じがしています。
それだけに、そのことを言語化することは簡単ではなく、少しずつ消化して花が咲けばいいなと思います。私のように呑気な人間は、体験を通してしか感じられないのでしょう。今回旅をする中で壮絶な体験をしている方々がいて、そういう方々ほど温厚で穏やかな雰囲気をお持ちのように感じます。若いころに、異常者にバイクで追突されて倒された上に、拳銃で撃たれて内臓がボロボロとか、もう想像もつかないような体験をされた方もおりました。病気を多く併発して苦しまれていたり、苦しみを我慢しながらも仕事に励んでいたり、そして一切弱音を出さないような人たちなど。
自分は甘ちゃんだなと感じましたし、また女性の芯の強さを感じさせられました。痛みなどはやはり男は弱いですね。外国の方のほうが素直で力強い特徴があることも目の当たりにして、肉体的な違いも実感しましたね。しかしながら、多少の差異はあったとしても、感じる心は一緒で、同じように泣き笑いして、言葉がなくても通じ合う想いもありました。
辛いこと、良くないことって、誰でも嫌なものだと思います。あとになってからでないと、そのつらいこと、嫌なことのお蔭で学べたことには気が付きません。過ぎてしまえば良い思い出で、逆に嫌なことのほうが覚えていて、良いことはあまり覚えていないのが現実ではないでしょうか。しかし、体の痛みというのは継続的に心を傷つけます。かのヘミングウェイも、事故の怪我の後遺症に悩み自殺してしまったのですから。体の痛みを和らげてあげられるのは尊い仕事で聖職です。
「あの時は大変でした」と笑っていえる人ほど、深みのある笑顔に見えます。その笑顔の裏にある、体験したであろう苦悩を思うとき、生きててくれてよかったなぁと思います。ほんのひと時でも救われるのであれば、どんな方法でも伝えてあげたいと思うのが人情でしょう。今の私には微笑むことしか出来なかったとしても、その瞬間だけはアルカイックスマイルになるかもしれません。
居るだけでいいという言葉もありました。現代ではとかく、何かしら見える働きをしていないと、何もしていないように思ってしまいがちです。気の利いたことを話せなかったとしても、そこに存在するだけで人はいいのではないでしょうか。不満を感じたとき、「自分が気づいていないだけで、何かあるかもしれない」と思うだけで見方が変わると思います。居るだけで場が和んだり、話しやすくなったり、癒されたり、もしくは逆にムカついたり(笑)。別に良いことだけが存在の価値ではないと思います。
さて、心も体も連動しています。私は今まで体のほうのケアを怠ってきたので、今回先生方にもケアをしていただき、日ごろの生活を振り返る機会も頂きました。仕事で無理している人は知らぬうちに、体にひずみを溜め込んだりしています。そして、後から後悔したりするのです。早めに振り返る機会を頂けて幸いでした。知らぬ間に人間は溜め込んでいますよ。
ビジネスの世界にいると、器用な人間ほど重宝がられると思います。すぐに結果を出すには確かにそちらのほうがいいと思います。長い目で見たとき、すぐに結果を出すことだけがすべてではないと体感としてわかってきました。また器用な人ほど溜め込んでいるようにも感じます。一長一短ですね。
いずれにしても、死ぬときまでにどんな人間と触れ合っていたいかが、私にとっては大事なことです。面白いことに、不器用な人間の周囲には自然と愛が溢れているように感じます。愛がなければやっていけないようになっているのかもしれません。器用な人間が嫌いというわけでは勿論ありませんよ。器用で愛がある人ももちろんいますからね。定期的に障がい者など弱者が生まれることで、協調戦略を学べて人は進化でき、生き残れたという説を唱える人もいますね。
自分は自己中ですから、興味のあまりなかったアラスカまで行こうとは中々思いませんし、触れ合う機会のない人々と接点が持てたとことは有難いです。声を掛けていただくだけでありがたいです。行ってみると面白いことが色々とあるものですね。最近はそうしたお声かけ頂くところで、自分に出来ることをやっていければと思っています。
今回の旅は最後の最後まで波乱含みで、帰りの飛行機で急死された方がおりました。赤の他人ではありますが、まさかの展開を目の当たりにして、ここ数日あれは何だったのかと考えさせられております。人生とはいつどうなるかわからないもので、精一杯生きる大事さを改めて感じさせられたといえばわかりやすいのですが、そんな簡単には片づけられないものを感じています。
慰霊の日も、複雑な思いを抱いている方がたくさん沖縄にはいらっしゃいます。言葉にできない想いを、種々の方法で表現できるようなことをしていきたいと考えています。またお付き合いくださいませ。
 

雑華厳飾(ぞうけごんじき)

本日は、仲間会という入社式と懇親会のような会に御呼ばれしてきました。会の主催者は手技道という、表向きは施術院ですが、実は人の生きる道を伝えているところです。院長である村松先生の結ぶ力によって、多種多様な人が今回も集まり、さしずめ菩薩サミットのようでした(^^)/
仏教では、縁成(えんじょう)という言葉があります。調べてみると、

【縁成】 仏語。すべてのものが因縁によって成り立っていること。

とあります。今日の一期一会も縁があって成り立っていました。出会いがあっても、すぐ深まるときもあれば、そうでないときもあり、時差もあるし、濃淡もあります。目先の結果だけを見て判断していたら、見逃してしまうこともあるでしょう。最近数十年来を経て深まるご縁もありました。いつ出会いの意味に気が付くかわからないからこそ人生は面白いです。
村松院長とは沖縄で出会ったのですが、その後長らくお会いしていませんでした。しかし、何かと気にかけてくださっていて、私が東京に戻り、これから再度ゼロからスタートという話をしたとき、
「おめでとう!よかったね!」と、とても嬉しそうに話してくれました。その一言で、
「あ、やっぱり良かったんだ」と心が晴れ晴れしたことを思い出します。院長は慈悲と愛を感じる人で、心と身体にまつわるプロフェッショナルであります。心身のことなどでお悩みの方は手技道へいらしてみてください。
来賓者の中で江戸時代の研究をされていた、ペンネーム山木育氏がお祝いの言葉の中で、石田梅岩の言葉を紹介されていました。
Amazon.co.jp: 日本経営の原点 石田梅岩―デフレ時代を生き抜く知恵: 山木 育: 本

直感を感じる本能というものを大事にしなさいというお話だったと自分は理解しました。蚊はボウフラの時は人を刺さない。誰に教わるでもなく、血を吸うことを行い、叩かれて殺されそうになると逃げる本能がある。その本能は人間にも備わっているという例えを話されていました。
ご本人は大変博学な方で、紀伊国屋文左衛門の紹介本がキッカケでテレビ出演され、そのご縁で熊野古道にある平安時代からの街並みが残っている町の話を関係者に話したことで、熊野古道が世界遺産になっていくキッカケとなったとのことでした。知恵も知識もある方が、本能と話されるギャップが興味深いです。そして今はまた全然違う分野でご活躍されているのが面白いです。それはまたいつか別にご紹介できればと。
その他にも個性豊かな方々がいらして、まさに華厳(けごん)のようでした。華厳とは、雑華厳飾(ぞうけごんじき)の略です。さまざまな種類の華によって厳かに飾られている様子です。華厳経の華厳です。最後にお祝いで飾られていた花も頂いたのですが、花のような人々に囲まれた楽しいひと時でした。
志をもって入社など新年度を迎えた方々は、各自決意をもって迎えられたことと思います。
『華厳経』には「初めて発心するときは,すなわち正覚 (仏陀の悟り) を成ず」とあります。発心(ほっしん)とは 発菩提心 (ほつぼだいしん) の略でして、仏陀の悟り (菩提) を得ようと決意することを指しています。
まずは、決意という意識があればもうそれは成ったも同じなのです。菩薩への第一歩おめでとうございました!
 

奇縁曼荼羅

世の中には面白い人や、数奇な運命を生きている人がこれほどいるんだと驚く毎日を過ごしています。保江邦夫さんという、物理学者で脳科学者で合気道の達人で軍事マニアと、最早何者か表現できない保江さんに興味深い話をたくさんお聞きしました。自宅に戦闘機があるとか、税関で飛行機が燃やされたとか、いろんな逸話をお聞きしたのですが、集中力を高めたいときやリラックスしたいときに使ったほうがいいものを紹介された話から入ります。
そのグッズとは何かというと、赤ちゃんが使うおしゃぶりだそうです。これを噛んでいるとリラックスもでき、落ち着くのだそうです。ある重量挙げの選手に、おしゃぶりを勧めたところ、控室でこっそりとおしゃぶりをはめて、その上からターバンを巻いて隠して、重量挙げをしたら新記録がでたとのことです。見た目が変なことだけのぞくと、効果はあるとのこと。お土産にあげたいけど、これは高いからと、お土産には耳にある集中力を高めるツボを刺激するグッズを頂きました。
ちなみに、マクドナルドのストローの太さは特許がとられていて、シェイクを吸うときの力が、赤ちゃんがお乳を吸うときと同じ圧力になるように計算されているそうです。その時の記憶が無意識に残っているから、気持ちよくてまた吸いたくなるそうですよ。赤ちゃん時代のことは覚えてないけど影響するんでしょうね。
保江さんは伯家神道の祝之神事というものを受けられています。実は私もひょんなことから、山梨で受けたことがありまして、保江さんによるとこの神事を受けたら、人生のふり幅が大きくなるそうで、確かにあの頃から激動体験が続いています。最近、伯家神道関係の方と会うことも続いていたので、面白いご縁です。
神事といえば、神主さんは最近仕事としてやっている方が多くなってきたそうですが、なかにはやはりすごい人がいて、これは生まれつきのもので、神様はえこひいきされるという言い方をしていました。大麻(大幣)を振ると、周囲にある器に入った水が揺れるような神主さんもいらっしゃるとのこと。神様に愛される方っていますよね。
保江さんは岡山ご出身で今も岡山の大学で教授をされています。この岡山という地は、日本の新宗教の元祖ともいうべき、黒住教や金光教などが生まれた地なのです。浄土宗の法然、臨済宗の栄西が生まれた地でもあります。その岡山の地に、サムハラ神社というものがありました。私は知らなかったですが、そのサムハラ神社は弾除けお守りが有名で戦争に行く人へのお守りとして人気がありました。が、そのサムハラ神社が弾圧されてなくなってしまい、その後大阪に寄進されて復活しました。今でもそのお守りは向かってくるような事故から守られるとのことで、実話をお聞きしましたが割愛します。お守りは人気でなかなか手に入らないとのこと。
話は戻して、サムハラ神社が弾圧されて二年後に津山事件というものが起こったのです。オウム事件でさえも、この津山事件での被害者の数は超えていません。たった一人で2時間足らずの間に30名を殺害し、最後に自殺して真相は闇に。この事件はサムハラ神社の祟りだといわれたのです。この事件が、八つ墓村の話になったわけです。警察の調書をそのまま本にしたのです。関連性はわかりませんが、異常ではあります。サムカワ神社のパワーはそこはかとなく伝わりますね。
こんな話をする物理学者って最高ですね。人柄も偉ぶらず、優しく、温かい方でした。また教えを乞いに伺いたいと思います。
最後に、突然今日知らない番号から電話があり、「週刊○○ですけど、元奥様は結婚されていたときどんな様子でしたか?今度再婚されるそうでどんな様子だったかお聞きしたいのですが」と。ゴシップ話でもしようかと思いましたがやめときました(笑)
毎日予想もつかないことがあって楽しい限りです。私も再婚したいですね。お幸せに!
 

祝你生日快楽

万葉集を読んだことがある人は少ないでしょう。山部赤人が読んだ歌で、
「我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ」という歌があると陶芸家の田中佐次郎氏にお聞きしました。勝鹿とは、葛飾のことです。ある悲劇の女性が葛飾のほうにいて、身投げした話が京都まで伝わり、その人を偲んでわざわざ訪れて歌をよむわけです。葛飾は当時、千葉、埼玉、東京にまたがる地域で、市川のほうにその舞台となった地があるそうです。
会ったこともない女性に対して、憐れみを感じ、現地にまで行ってしまうのです。そして誰かがその歌をまた知り、現代になっても、その地を訪問するわけです。何百年を経ても想いで人は動くっていいですね。いつか、この文章を見て、手児奈という悲劇の女性の墓に訪問する人も出るかもしれません。可哀想だなとか、愛しいなとか、憎たらしいなというような感情は時代を経ても伝わるのです。
時代を経たものといえば、陶芸もそうです。この日は、400年以上たった器で日本酒を注いで頂きました。何ともいえない気持ちになります。どんな歴史があったのか。私の人生の何倍もの時間を経て、多くの人のドラマを経てここに辿り着き、出会うのです。そして、持つべき人が持つのです。
井戸茶碗の良い器の見方は、口を見るとわかると教わり、とにかくまずはたくさんの物を見るんだと教わりました。どんな人でも最初の一歩があったのです。後日、友達の家で、友達の祖父が焼き物を集めるきっかけになった壺を拝見しました。その中に、その壷を入手する経緯について書かれていた手紙が入っていたので拝読させていただきました。そこには、最初の壷との出会い、そこから焼き物を集めてその中で感じたことが書かれていました。
奥が深い世界は素敵です。日本の文化をもっと知りたくなりました。わが子には、日本文化を伝えられる環境を残せたらと思います。

 

人間関係のカギ

世間では大塚家具さんの親子の騒動が話題になっていますね。父と娘が会社方針の違いで争っている報道をみました。そこに母や兄弟たちも巻き込んだ争いになっているようですね。傍目から見たら面白いと感じるのが人間です。親子仲良くすればいいのにと、自分のことは棚に上げて思うものです。
相手に対して心が入っているからこそ、気になるし、冷静になれないのは当然です。私も家族に対しては冷静になれません。因縁の関係は家族だけではないです。仕事仲間でも友達でも、関係が深ければ、必要以上に反感や好感を持つものです。今回の騒動も普通に考えたらどちらにとっても、会社にとっても得なことはないと思うものです。でも、損得を超えて感情が支配しているから、そこに正当な論理を持ち出してまで主張するのです。
私もマスコミで報道された時は、
「嘘ばかりいいやがって、証拠の品でもだして反論しようか!」と何度も思ったものです。それを見て
「わかる人にはわかるよ。そんなことしてもゴシップ好きが喜ぶだけでそんな人たちに飯の種を与えることないよ」と冷静に話してくれる人のお蔭で、気持ちを落ち着けることができました。知らない人や、立場が違う人から見たら、そういう見方もあるのだろうなと思えば、むかつく相手さえも許せるものです。
一時の感情を満たしたところで、自分の良心は満足するのかが問われているのだと思います。例えば、ISの遺跡破壊には悲しい気持ちにさせられますが、正しさをいくら主張しても、その正しさの奥にある心が伴わなければ共感を持たないと思います。破壊するということでしか気持ちを表せない状況にいる彼らこそ本当は悲しいのです。イスラムの主張をし破壊することでしか注目されないのも悲しいことです。ムハンマドの心を利用して本来のイスラムを貶めてしまう行為になります。かつて、イスラムの歴史を見れば寛容さがあったからこそ、ルネッサンスが起こるきっかけを作ったのですから。
今回の親子対立もどう家具を売るかの手法の話より、本当は別の理由が対立の原点にあります。感情的になってしまうときに、冷静に見ることができる人がいて、また自分の感情よりその方の意見を聞き入れるほど信頼がある人がいるのかどうかで、道が分かれてくるのでしょう。
家族の戦いは代理戦争になりがちです。その裏には対立をあおる空気を入れる人もいたりします。陰で、
「こんなことを言っていたわ」などと本人は悪気なく火をつけたりします。大体は、愛されないといった欠乏感から、問題を創り出すことが多いように思います。
大塚家具さんの件は、彼らの自己犠牲で社会に学びの種をまいているように見えます。そこから私たちは何を学べるのか?ただの面白いゴシップではなく、自分だったらどうするのか?お客さん、取引先さんだったらどう思うのか?今回の件は、男女の感覚の違いも左右していて、息子だったら違う形になったでしょう。父親と娘は似ているように感じます。だからこそ後継者になったのでしょうし、似ているからこそ余計に鏡のような対立になったのでしょう。
報道を見たとき面白いなと感じたのは、社長である娘さんが記者発表している当日が誕生日だったと話していたことです。それが226の日で、この日は他にも岡本太郎なども誕生日で、自分の中でシンクロがありました。きっと娘さんがカギを握っていると思います。

大海の波打ツ如シ

またこの季節がやってきました。なぜか、226事件のことは必ず思い出すのです。きっと前世で関係していたのかもしれないと夢想してしまいます。魔王と呼ばれた男、北一輝。こんな面白い男はそうはいません。もはやその存在は風化して、忘れ去られているのでしょうか。彼が熱心な法華経信者であったことも、そして、そもそも法華経自体をわからない人が増えているのが現代です。彼の書いた本をバイブルにして、青年将校たちは226事件を起こしました。
法華経と言えば日蓮。日蓮も北一輝も佐渡ヶ島と縁があり、あの島にはいつか行きたいと思っています。ついでにいうと世阿弥も流刑されて佐渡ヶ島に縁があります。法華経で触れられている地湧(じゆ)の菩薩を自認していた彼らは、熱烈な使命感で人生を全うしました。評価がどうあれ、人生としては生き切ったと言えるでしょう。世の中が乱れているときに、仏法(仏の教え)を守る役目を持つと言われている地涌の菩薩。この菩薩は修行の身ではなく、仏なのにわざわざ降りてきている大菩薩と言われています。大義を持った時、人は命さえ惜しみません。それは最近ではイスラム国を見ればわかります。
純粋に貧困な農民たちを救いたいと願った、貧困層出身者の多かったエリートではない叩き上げの青年将校たちの想いは忘れてはならないと思います。行為の良し悪しは後で何とでも言えることです。実際に行動したこと、想いがあったことは感じます。想いだけで突き進んだ青年将校の純粋さには共感すれど、もうそれは経験したので、私自身は私なりのあり方を示していこうと思います。

過激派の日蓮は、法華経の敵を殺すのは第一の善行としばしば語っています。満州国の立役者の石原莞爾も、宮沢賢治も熱烈な日蓮信者です。昭和の血なまぐさい時代は日蓮信者たちがプロデュースしていました。そうした生々しいところから離れて、北一輝はシャーマンの奥さんと自らの霊夢を「神仏言集」に記録していました。それは霊告日記と呼ばれています。
理論的革命家と知られている北一輝が、オカルティストで宗教にハマっていたとは面白いですよね。私は仏教もキリスト教も神道も縁があるので、それぞれの違いというか、好きなところがあって、形にとらわれないで本質を掴んでいきたいと思っています。北一輝も素直な心があったからこそ、神仏を感じられたのではないでしょうか。
「大海の波打ツ如シ」これが北一輝の最後の「神仏言集」の言葉です。何を感じていたのか色々と感じ入ります。226事件の二日後の記録です。この後彼は逮捕され投獄されてそのまま刑死しました。直接、事件に参加していないのにも関わらずです。ファンが勝手にやったことで責任取って殺されるなんて、普通であれば無念でありましょう。魔王はもちろん違いますが。それだけ権力者に恐れられていたわけです。
大海の波には岩をも砕く力も、大船を転覆する力もあります。波打たせるのは風の力です。沖縄でよく波を見ていたのを思い出します。一つとして同じ波はありません。ただの海ではなく大海の波です。どんな音が北一輝の中では響いていたのか夢想します。きっと佐渡の海の音なのでしょう。
松岡正剛氏はこんなことを書いています。
弟は兄の危険な思想にいっさい近寄らず、早稲田の教授から温厚な衆議院議員となり、戦後の自民党長老の一人となった。そういう弟を北一輝はずっとバカ呼ばわりをした」
兄は死刑にされ、弟はこの世では成功したわけです。どちらが本当の成功なのかは、人によることでしょう。私は自分が尊敬する人間に、時間も空間も越えて出会ったときに、誇れるような人生を送りたいと思います。
 

永遠のいま

私たちには自由意思があると思っています。しかし、本当はそんなものがないとしたらどうでしょうか?いまこの文章を読んでいるあなたと私は、決められたレールを走る玉のように導かれていたとしたら?私たちが意志を発する前に脳は活動しているという研究があります。体は無意識のうちに判断しているというデータもあります。
意識とは何のためにあるのでしょうか?意志とはなんでしょうか?自分だと思っていても、まるで映画の観客のように実際は受け取るだけの存在なのかもしれません。発明やひらめきは、天からやってくるもので自分のものではないという話をした人もいます。人はただ生かされているだけなのでしょうか?
宇宙の成り立ちを調べると不思議なことがいくつも出てきます。人間の神秘も同様です。まるで生命を生み出すために用意されたかのような環境。そもそも私たちを構成する一番小さい要素を見ていくと、生物も無生物も関係なく同じ素粒子になっていくのですから不思議です。生物と無生物は違うと思っていたのに、突き詰めていくと同じなのですから。その素粒子の中はいったいどうなっているのでしょうか?のぞいてみたら、あちらから自分がのぞいているかもしれませんね。宇宙がこんな途方もない時間と計り知れない計画で導いたとしたら、ただ生かされているだけの人間を生むためとは思えません。
物を叩けば音がします。その音が巨大になれば、音で物に影響を与えられます。当たり前だと感じていることも、改めて考えてみると不思議で面白いことです。人の意志は肉体を動かします。心を動かすものは何でしょうか?心と意志は同じでしょうか?感じる想いは何を動かすのでしょうか?
伝えたい人を想って書く文章は想いが入ります。その想いは、重い存在となり、人間の原子、素粒子を通って、世界に拡散するのかもしれないと妄想します。世界と私は繋がっているのだと。私の好きな言葉を紹介します。
 

一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする。哲学者ホワイトヘッド
あなたの意志は私たちに影響し、私の意志も私たちに影響し、主体と客体がどちらもなく、私の意志もあなたの意志も錯覚なのかもしれません。その錯覚を楽しみながらも、全世界に責任を負っている存在という自覚を持つのです。いまの心の在り方を、いま決める行為が生きることなのだと感じます。自分の在り方が世界に影響を与えているのです。お天道様はどんな時も私たちを見ているということですね。
宇宙と私たちはかけ離れた存在ではなく、共に必要とする同志なのだと思います。天の声は私たちの無意識でもあると感じるのです。導かれるのも導くのも、自分一人でやれることではないというか、そもそも自分一人という概念、考え自体が錯覚なのでしょう。今日も出会いに感謝です。ありがとうございます。弥栄。
 

袖振り合うも多生の縁

評価:
ホテル日航アリビラ編集室
英治出版

¥ 864

(2014-12-03)
コメント:ふとしたご縁から企画会議にも参加させていただいた思い出がある本。

 タイミングはとても大事です。タイミングがいいと、シンクロニシティが起こりますし、後にそのタイミングでしかなかったとハッキリわかります。パズルゲームでの連鎖反応のように、タイミングが良いことが続くと勢いに弾みが付きます。タイミングが悪いと逆に勢いが削がれてしまいます。いつもトントンと行けばよいわけではないので、良い悪いではないですが、気持ちいいのはいいですね。
 前に沖縄でタイミングよく、日航アリビラの企画本の会議に参加したことがありました。英治出版の原田社長のご厚意で機会を頂きまして。日航アリビラ20周年を記念して、周囲と共にあるアリビラのあり方を表現しようと議論していて、秘話などもお聞き出来て貴重な会合でした。まさかあそこにあんな秘密が!と関係者でなければ聞けない話は面白いです。話ずれましたが、ホテルと地域のあり方について、人がその根本にあるという想いは賛同できるものでした。
 ホテルと言えば、沖縄でホテル経営をしたことから、人生を大きく変えた樋口さんという方もいます。彼の経緯は勉強になりますし、講座は面白いので是非受講してみてください。受講の前に話が聞きたければ、那覇にある麗王というお店に毎日いますので伺ってみるのもお勧めです。
■次世代金融講座
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=85
「沖縄のホテルはどこがいい?」と聞かれたら
「アリビラがいいよ」と推薦してますが、この本を読んだら更に読谷村という場所に行きたくなることでしょう。本というキッカケで何かが生まれるのは本好きとしては好きな瞬間であります。英治出版の本にはタイミングよく刺激をもらうことが多いです。自分が好きなジャンルが多いですし、原田さんの人柄がその周囲に魅力的な人を集めるのだと思います。人との出会いもタイミングです。思い立ったが吉日。出会いの旅に出かけてみてはいかがでしょうか?
 かつて、英治出版さんで出版させていただいたことがありました。次はベストセラーでも書いてお返ししたいですが、、、その時はその印税のお蔭で、タイの山岳民族支援が出来ました。自分の原点でもある山岳民族の支援が出来たのは原田社長のお蔭ですので、次はその原田社長への恩返しをしたいなと思っています。英治さんにはお世話になりっぱなしですが。
他の本もお勧めですのでチェックしてみてください。お気に入りが見つかりますように。
http://www.eijipress.co.jp/book/

The way of every day and a bodhisattva