「徒然なるままに」カテゴリーアーカイブ

不思議な場所

事務所移転の為に、新しいオフィスを探して、探索中に
不思議なショーウインドウに出会った。

フラワーガーデンと鎧。どうしてこの組み合わせなのかしら?
世の中には不思議なことがあるもんです。

希望

中学生の頃、何故かわからないけど、癌におびえていた。
いま、癌になったらどうしよう?とか、
若い時の癌は、進行が早いからあっという間に死んでしまうとか、
余計な情報を調べては怖がっていた。今思うとほほえましいくらいの
アホさ加減だけど、当時は怖くて眠れない日もあった。
次第に死に対する恐怖が鈍感になっていったのだけど、
ふとそんなことを思い出していたら、昨年末あたりに教わったBlogを
思い出してのぞいてみた。
晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~
http://toubyou.ameblo.jp/
人生は有限だ。当たり前だけど、いつも気にしていたらとても生きられない。
「いつ死ぬかわからないから面白いのだよ」と多摩大学名誉学長の野田一夫さんが
楽しそうに語っていたのを思い出す。
いつかその日は誰にもやってくる。
その時に、またその後に、幸せだったと思える人生にしたい!
古代ローマ人は、死んだといわずに、生きたと墓碑に表現した。
自分の生き様が、未来の人に希望を与えるような人生にしたい。
感傷的な快晴の一日のはじまり。

真実と事実

取材を受けているといつも思うことがある。
言いたいことを相手に伝わるように表現することって難しい。と。
身近にいる人にでさえ、真意を伝えるのは難しい。
ましてや、取材を通してなど尚更であろう。
上手なライターさんや、ディレクターさんは、
こちらの意図を汲み取って、わかりやすく翻訳してくれたりすることもある。
予想以上にそうなんだよーということも、まれにあるが、ほとんどは
本当は違うけど、まぁいいかという状態だ。
メディアで伝えるには、わかりやすく、心に残るように編集されなくては
ならないからだ。例えば、会社の売却の理由も、飽きたと一言で表現してしまえば
わかりやすい。その裏には、いろんな心情がうごめいている。
それをみた、元社員の方はどうおもうか?おれのキャラクターを理解してくれているだろうか?
結局は、人はみたいものしかみないのだという割り切りがあるから、あとは行動でカバーする
しかないのだと思っている。
考え出したらきりがない。人の数だけ、真実がある。
センシティブになると心が痛いから鈍感になっていく。

人それぞれ

最近感じるのだけれど、どうもまだ売上げが大きいと偉いとか
社員が多いと偉いとか、短絡的に考えている人が多いように感じる。
それはそれで、素晴らしいことで全く否定する気はないのですが、
いろーーーんな経営スタイルがあるのに、教科書のお手本を探している人が
多くないかい?経営もゲームと楽しむことは私もします。
ただ、売上げ、利益至上主義にはならないですね。
生き方も、同じような方向を目指している人が多いように見えてしまうのです。
人生を楽しんでいるようにはとても見えないんですよね。顔が違うように
それぞれ別の方法論があってもいいじゃないですかね。
木だって、いろんな種類があるのですから。土壌と環境にあった木じゃないと
育たないわけです。
世の中に多様な価値を創出するためにも、Zeel流の楽しい仕事術を
生み出していきたいなと思います。
誰にあっても、そのままでいいんだよーといいたい。
ほっといても、人って成長すると思うのですよね。
成長しなかったら、困って成長せざるを得なくなるんですよ。
と、自分を丸ごと受け入れて、他人の助言には耳を傾けると。
傷つかないようにガードするより、自分はすべてOKだと思って
心開いたほうが、メリット高いように感じます。

旅の途中

人は判断をする。
やってくる情報にラベルを張り在庫する。
ラベルされたものは自分のものとして所有される。
それは自分のものとなった。
それは自然から切り離されてしまったものだ。
切り取った一部を楽しむこともできるだろう。
しかし、それは既に死んでいる。全体を感じることは不可能になる。
ある人が、仏陀が悟る前の行動を逐次評価していたとする。
・シッダルダは今日昼寝をしていた。だから駄目な奴だとラベルする。
彼が仏陀となり光明を得たと知ったものが彼を評価したとする。
・仏陀は慈悲と安らぎの表情をたたえ横たわっている。どんなときも偉大な人は違うとラベルする。
ここで自分に言いたいことは二つある。
1.課程を評価しない。常に今の時点でのベストとおもい、肯定的に捉える
彼がどのようなことを望み、生きようとしているのか。外側からはなにも見えない。
自分の尺度でしか判断できないのであるから、全面的に肯定する。
2.対象物に自分が振り回されずに、すべての責任を自分が負わねば自由になれない
人は人。みな人それぞれに旅を生きている。自分が常に自分の主人である。
誰かの奴隷にはならないで。
私はまだまだ旅の途中。自分で責任を取るということがわかっていないようだ。
奴隷と主人の状態をいったりきたり。

創造したがる男たち

友達からメールを貰った。
「私は昨日、ソウルのホテルでマッサージをしたんだけど、
いつものアロママッサージのおばちゃんの腕がイマイチなので
スポーツマッサージを頼み、担当も男性にかえたら・・・
これが最高!!
やはりオンナを悦ばせるのはオトコだった・・・。うふっ
思うに、芸術は男性のほうが格段に優れているのではないでしょうか。
いわゆる「芸術」はもちろん料理・お笑い・メイキャップ・ファッション、マッサー
ジも然り、
匠のワザで魅せてくれるのは、いつも男性です。」

何のことはないメールなんだけど、あることを思い出した。
芸術家などに男性が多いのは、男性が子供を産めないからだと言う話。
女性は子供を出産する創造行為を行えるが、男性はできない。
その代償行為として、創造することを熱望すると。
我々が仕事に一生懸命になるのは当然の帰結なのだーと
正当化してみてください。
周囲の女性を観察するに、
心の中では「男って馬鹿よねー」とおもいつつも、
「男の人ってすごーい」という台詞を上手に
使い分けて、掌で転がしている女性がモテルのかなと。
ま、昔から何でもしたがるのが男性ってことですな。

幸せに生きるための道具

おはようございます。何故か5時過ぎに目が覚めてしまい
たまには早起きして活動するとかといってしたことが
ネットサーフィン。根っからのネット中毒のようです。
Linkを辿って着いた先が、
高橋がなりBlog
人生相談って面白いですね。熱心に読みふけってしまいました。
一通り読んで感じたことは、自分を客観視して整理することが
苦手なのが人間なんだなぁと。
どんなことがおきても、幸せに感じることができるような知識を持てば
悩みも少なくなりますよね。
会社も仕事も、人間が幸せに生きるための道具なのですから
それに振り回されないで、自分の幸せがわかっている人が一番よいなぁ。
私にとっては、哲学も宗教も人生訓もその一環です。
がなりさんのお答えは立派な道具でした。

クレイジーさ

私はすぐ忘れてしまうほうである。
どうやら、脳の容量に問題があるのか、すぐにフォーマットされてしまうのだ。
悪かったことはなおさら消えやすい。お陰で、良い思い出ばかりで苦労したことが
ないように思えて幸せである。たしか、色々あって苦労談義とかを講演でしたいもの
なのだが、覚えてないのである。
で、忘れてしまうことはそれだけではない。もっとユニークでいたい!という
「想い」さえも忘れてしまうくらい怠惰なのだ。魂からの叫びじゃないからだと
人はいうかもしれない。
最初から陶酔できる人は羨ましい。私は基本冷静で合理的なので
上手に自分を誘導し、信じ込ませなくてはならない。
しばしば、なりたい自分像からずれていってしまうのだ。
もっとクレイジーでありたいなぁとアップルのCM文句を見て思ったのは
何回だろうか?
ふと気付くと、至極真っ当な方向にビジネスも人生も流れている。
うーん、面白くない。また退屈してしまう。悪い循環だ。
もっと弾けないと自分がやる意味ないよなーーーーー。
青年の主張でした。

三十路街道

はるばるきたぜー三十路道♪てな感じで、家でコクーンを見ていたら迎えちゃいました。
おりしも、ローマ帝国関連の番組を見ていて、歴史に想いを馳せていましたよ。
男ってロマンティックですよねぇー。
去年までは、画像のように、社員の皆さんに誕生日祝いの寄せ書きなんぞをもらって
おりました。ありがたいありがたい。これらの写真が1月号くらいのゲイナーで掲載されそうです。
周囲の皆さんに助けられて生きてきましたが、これらかも助けてください(^_-)-☆
もう若くないなーと自覚しつつ、三十路を楽しんでいこうと思います。
先日取材されたとき、
「50.60歳の人が言うようなことを言う」と言われました。
これからは歳をとると共に、どんどんと若返ろうかと。
永遠の少年、愛の伝道師として頑張りまーす。

法政大学

以前、早稲田で講演したときに、小門先生に久々に再会をしました。
学生のときに、APENという団体をしていたのですが、そこの顧問を
されていたのが、小門先生でした。
ご縁もあって、法政大学のキャリアデザイン学部でお話をさせてもらう
機会を頂きました。こうした学部があるとは、われわれの頃とは
大分大学も変わりましたね。
内容はいつもの通りなのですが、自分的には出来がいまいちになってしまい
学生諸君に申し訳ない気持ちで、学校をあとにしました。
どうせ、話を聞いても行動を起こす人は千人に一人かなと
冷めていたからだと反省です。常に全力でいかねば失礼だなと。
お互い時間取っているのですから、有意義にしていかねばですね。
夜、Birthにて、10月生まれ誕生会の仮装Partyが開かれていたので参加しました。
すると、そこに、早稲田の講演を聴いて、遊びに来てくれた人たちがいたのです。
千人に一人どころか、もっと高い確率で影響を与えることができているのかもと
嬉しくなった出来事でした。
皆さん、話を聞いてくれてありがとうございます。