初心忘るべからず

物事は表面と裏面、両方を見ることで本質が見えてくる。得てして、裏側のほうが深い。内面と言った方が適切かもしれない。表面では、ただの笑顔でも、内面は葛藤や切なさ、期待と絶望など入り交じっているかもしれない。

わからないからこそ、そうした内面の深さを美しく表現した文章に出会うと惚れ惚れする。
「よくぞこの複雑な心持ちを現してくれた」と拍手喝采したい気になる。日本語は美しい。その文化の中で発達してきた、俳句のような簡潔な表現に込められた想いを汲み取る力を養いたい。
どんな道でも、道を究めた者同士であれば、あうんの呼吸で伝わる。能の創始者、観阿弥親子が道を極める段階について「守破離」と説明した事をいつも思い出す。
■「守」師匠についてひたすら教えを守り、学ぶ時期。形が大事。
■「破」教えられた言葉から抜け出し、真意を探り、形の意味を知り形ができる。
■「離」型に一切とらわれず、自在の境地に入ること。形の共創造。一人でではない。
類は友を呼ぶという。そこに安住していたら成長はない。違う世界と混じり、新たな類との出会いによって、世界は広がる。違う世界と触れれば、不安や違和感を呼び起こされる。そこに自分の内面が鏡のように反射される。
この、守破離も簡単に書いたが、実際は深い意味が隠されている。求める心が深ければ、更に先人がどんな想いでこの言葉に行き着いたのかがわかる。元々は能の「序破急」から来ているという。ここですぐにエヴァンゲリオンを連想する人が多いのではないだろうか。こういうところがマニア受けするゆえんだ。
仏教用語にも守破離は出てくる。解脱を意味していたり、菩薩の道を極めるには勉強になる。どこまで意識を高く持つかで、満足したらそこでオシマイだ。かえって、現代人より過去の人たちのほうが教養もあり、意識も高いのではと思うこともある。
現代人だからこそできることもある。進化は決して時間の流れに沿って進歩し続けているわけではない。人間性という点で、人類は未だに争いあっている動物なのだ。折角この世に生まれてきたのだから、真剣に生きた人間たちの軌跡に触れ、自らもその足跡を残す一員たろうではないか。
能だけをみても、もう何百年と未だに続いている。ビジネスとして考えても大したものではないか。一過性の消えてしまう泡を追い求めるよりは、後世に価値あるものを残したいのが真情だ。
ある人は、「守」は下手、「破」は上手、「離」は名人といった。そして、それぞれが実は手本となる。教えることで学び、学ぶことで教える。共に信頼がなければ始まらない。道を極めたいと思ったら、生活のためという視点から離れなければならない。
生活のために囚われたら、ドンドンと視点は低くなり、そもそもなぜやっていたのかすらわからなくなる。魔界入りだ。いつも初心に帰り、心の立ち位置を確認する。そうしたキッカケに自分はこのBlogを活用している。

「初心忘るべからず」世阿弥の言葉だ。

「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」

この言葉の意味も深い。皆が思っているような内容ではない。本来の意味を知れば、この初心の言葉の持つ意味が迫ってくる。道を極めたものだからこその意識なのか、原点への想いをいつも持てたからこそ道を極められたのか、鶏が先か卵が先か、面白いところだ。
最後にこの言葉で終わりたい。能の部分を想いに変えて自分は意識している。

「命には終りあり、能には果てあるべからず」(世阿弥「花鏡」)

「命には終りあり、想いには果てあるべからず」

「初心忘るべからず」への5件のフィードバック

  1. アダムとイヴ依頼、神とのたった一つの約束を破ったがために罪に苦しめられ、赦された今でも、呪いに惑わされれています。
    人は主の前で罪を告白せざるをえません。
    深い人間の罪世です。

  2. 円軌道を回転する点の影が波形となる。
    球面は無数の円軌道の集合体であるがその投影は立体の波を形成する。
    中には自由に運動するものもあるが原子から銀河まで基本は回転運動と球である。
    「上の如く下もかくありき」が更に「入れ子」構造と成り、フラクタルを描いている。
    三次元の投影が二次元である様に我々の世界も高次元の投影であり、この世界の私達に次元連続体の運命を決定する力はない。
    私達は自分の意志で行動しているつもりだが、それは大きな間違いである。
    既に未来に起こることは決定しているわけだ。
    「未来はおれたちの力で変えるのだ!」と都合良くは行かない。
    しかし、もし私達が目覚める事が出来れば、未来を変えられるかもしれない。
    既に未来に起ることは決定している。
    机の引き出しから青いタヌキが飛び出して来れば別だが…

  3. 尾関さんのこともよく知らずに、「人間の価値」と検索しここへたどり着きました。
    今日、私は心をかき乱されるということを歩んで来た人生の中で深く思い知らされました。
    4月1日から独りで沖縄へ行きます。
    お会いできる機会があれば幸いです。
    ちなみに中年の男です。(深い意味はなく自己紹介です。)

  4. 表と裏
    よく「深める」というけど、
    その意味は、割りとはっきりとした
    霊に響くことばだなぁと思った。
    「よく考えてみよう」とか
    「考えを深める」とは違う。
    「深める」は、
    皆が本当はこころで気づいてるけれど、
    本当は見てみぬふりをしてる、
    知っているけど、おぼろげな、
    それを鮮やかに絵に描くような、そういう言葉のように聞こえる。
    表側と裏側
    “深く考える”というとき、表側のことを言い、
    “深める”というとき、内側に入っていく感じがする。
    守破離、はじめて聞いた言葉です。深めてみます。

  5. 目一杯、書かれた紙に言葉は書き込むことはできないし、水が入ったコップに、水をそそいでも、溢れるだけだ。
    PCも、一度シャットダウンが必要で、
    それはリフレッシュすることになる
    新鮮は素直というけれど、「初心忘れることなかれ」とはどういう意味なのだろう。
    新鮮は素直
    想い=原点は、自動的に霊を動かす原動力
    1が違えば、霊の動きも、全く異なるパターンになる。
    信号が全部青になったり
    赤になったり
    それは想いと霊の繋がり

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