日常と非日常の狭間

一体普段は何をしているですか?とよく聞かれる。臨機応変に起こった出来事に対処するため、基本的には予定は未定で、大体前日か当日に予定が決まる事が多い。勿論、事前に決まる場合もあるのだが、それは予定変更もあるかもしれないという留保付きの予定だ。

最近は来客が多いので、沖縄を案内しながら、歴史や民族性、時代性について話すときもあれば、心の話しをしている時もある。案内するタイプによって、話しは変わってくる。ビジネス志向の人に、心の話しばかりしていたら、現実逃避している人かと思われてしまう。仕事が嫌で逃げてる人だと思われてしまったら、もうそこで壁が出来て話しは出来なくなるだろう。

自分たちは心だけをテーマにしている訳でも、ビジネスだけをテーマにしている訳でも、政治だけをテーマにしている訳ではない。すべてに関係してくる。経済の話しも出来るし、心の話しも、政治の話しも、宗教の話しも、サブカルチャーの話しも、量子力学の話しだってしている。

沖縄に来て、我々と会っている人たちはジャンルを問わない幅広さだ。経営者もいれば、アーティスト、医者、科学者、学生、投資家、ミュージシャン、ヒッピー(笑)、等など。もう老若男女を問わない。

勿論、沖縄の人とも会っている。これまた幅広い世界の人たちだ。ヤンバルから那覇まで、守備範囲も広い。愛楽園というハンセン氏病の施設を訪問したり、障がい者は勿論NPOクーピー活動で関わっている。先日も中部農林高校でクーピーイベントがあったが、そういう場で話される事と、六本木で人に会った時に話す内容は勿論違う。でも邦作りという意味では繋がっている。これは説明が難しいが、多様性があってこそ生態系は健全になるのだ。

大体の人は狭い世界で生きている。いわゆる業界内での交流しかないとか、主婦の友か、学校の友か、会社の仲間か、自分の世界と全然違う人間とは出会わないから交流できない。その世界の常識が出来て、それは他の世界からしたら非常識となる。他の世界を知れば知るほど、常識なんていかにいい加減が分かってくる。常識に生きていれば、安心安全だと感じるから、そこに執着をするが、それは必ず揺さぶられる。特に今の時代、常識が通用しなくなってきているのはどの世界でも同じだ。

日本人という大きなくくりでも、世界70億からしたら、その中の1億でしかない。自分たちの常識が世界の常識ではない。というより、日本は異質な文化だと思われている。世界の中では我々はクーピーのような存在なのだ。異質な世界を受け入れるのは難しい。難しいから価値がある。人間の器が問われるのだ。矛盾こそが人を成長させる。

気になった時に、人に連絡したり、当日に約束して会う事が多い。突然でもタイミングがあえば会えるものだ。人に限らず、気になった場所に行くと、何かしらの発見がある。考え事をしている時、よく海やウタキに行ったりする。するとイメージが湧いたりする。

ふとした時、車のナンバーや時計の数字などから信号を得て、連絡したりすることもある。そうすると、タイミングがピッタリだったりして、展開が早くなったりもある。菩薩はタイミングが命だ(笑)タイミングは、いつも良いとは限らない。もっと早ければ良かったのにと言われる事もある。

しかし、長い目で見たときに、だからこそ逆に良かったのだとも言える。魂の試練は楽ではない。菩薩は、情をかけすぎてもいけない。相手の為に厳しい目が必要なときもある。可哀想だからと優しくしすぎてはお互いに落ちていくのだ。見捨てる訳ではない。いざという時は背負う覚悟を忘れてしまえば、詐欺師となる。

結果だけを求めているのであれば、もっと上手なやり方があるのはわかっている。だが、それでは菩薩道ではない。最終的に救われる道へと繋がる事が大事であって、目先の幸せやお金などに惑わされていては菩薩行は出来ない。

人助けをするには、心だけでは救えない。経済的な事も必ず関わってくる。起業家ではあったのでビジネスの事も分かるけど、興味がないので興味がある他の人にどんどん振っている。チャンスを作り、キッカケを作る。

沖縄で救われたと喜ばれて、寄付したいとか会社任せたいとか色々な人がいる。だからといって、別に宗教しているわけでもない。似てるけど違う。宗教という概念を当てはめたら理解しやすいけど、そうすると本質を見失う。分かりづらいから価値がある。

そうといえばそうだけど、違うと言えば違うという雰囲気だ。これが作れるか?意図して作れる人間がいたら、それは如来だ。人間世界の縮図は、愛憎が表裏一体のように、両方あって矛盾があるところにあるのだ。

日常と非日常の狭間にいつも自分は生きている。

「日常と非日常の狭間」への1件のフィードバック

  1. 『早すぎた秋』
    もう枯れはじめた木の葉がきつく匂う
    穀物畑は刈り取られて何もない
    私たちは知っている 次にくる悪天候が
    私たちの疲れた夏にとどめを刺すことを
    エニシダの莢がぱちぱちはじける 突然
    今日私たちがもっていると思っていたものが
    すべてはるか昔にあったように思われるだろう
    そしてあらゆる花が奇妙に狂い咲きしたように見えるだろう
    ひとつの願いが不意を打たれた魂の中に不安げに芽生える
    魂があまりに強く生に執着しませんように
    魂が木が枯れるように枯渇を体験しますように
    魂の秋にもはなやかさと彩りがありますように

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