自分が原点になる覚悟

 沖縄は旧暦でお盆を迎える。1日までお盆だったのだが、島のあちこちでご先祖様のことを意識する時間になる。エイサーなども若者たちが格好良く踊っている。生活に密着して祖先崇拝が守られているが、そんな沖縄でも年々おざなりになってきているという。

先祖崇拝はなぜ大事なのだろうか?ご先祖様がいなければ自分がいない、原点であるから大事なのは間違いない。それでは原点だから大事ということだけだろうか?

我々は「お天道様が見ている」ことを意識して来た民族だ。恥じない生き方とは何だろうか?先祖が一体どんな人間たちだったか?私はあまり知る事がなかった。祖父は二人とも自分が生まれる前に亡くなっていたし、聞いても詳しい事はわからなかった。祖父の代でそのような有様だ。役所に行き、さかのぼれるだけ調べてみたが、名前と家族構成がわかるだけで詳しい事はわからなかった。

わからないからこそ想える事もある。逆に先祖がどんな人か分かりすぎて、ご先祖さまの呪縛に囚われてしまう場合もある。いずれにしても、DNAを受け継いで来た想いがそこにはある。DNAの果たしている役割がすべて解明しているわけではない。それは間違いなく受け継がれて来たもので、生きてきた証でもある。

受け継いできたものをどれほど活かせるか?先人が経験してきたことが、きっと何らかの形で今の自分に影響しているに違いない。活かすも殺すも自分次第。そうした見えない資産を膨らますのか、失うのか、今の自分にかかっている。

見えない因縁の影響で人生は成り立っている。もしそれが見えていたら、すべて納得するしかない縁で満ちているに違いない。生まれた場所、出会った人、仕事などなど。

人は潜在意識の影響下にある。顕在意識がすべてだと考えがちだが、氷山の下にある氷のほうが表面に出ている氷より大きいように、潜在意識は深くて大きい。ご先祖様もそれと同じだ。見えていなくても影響している。

国だって会社だって、結局は見えている部分では動かない。見えていない要素で実際は動いている。表向きは誰々首相だとしても、見えない部分でその首相に影響を与えている人たちがいるのだから。

どんな想いで先祖たちは命をつないできたのか?
また、これから自分たちもどんな想いで、子孫につないでいくのか?
生きている人間には大きな責任がある。想いを継いだり、発展させたり、解消したり、テーマはそれぞれある。

原点への感謝を忘れてはならない。が、ただ感謝するだけでは駄目な場合もある。

逆に「こんなに頑張っているのだから先祖たちよ応援しろ!」と先祖にスゴンでも良いのだ。霊の世界は露骨だ。勿論その言葉が本当かどうかすぐバレる。だからこそ先祖とも真剣勝負だ。受け継いできたDNAの歴史の中で、
「俺が金字塔建てるから応援しろ」と見えない力までも巻き込むパワーがあれば面白い。

時代に影響を与える人間は、先祖子孫にすら影響を与える。半端な仲良しゴッコでは到底なし得ない境地だ。自分から家の歴史が始まる覚悟を持つ者だけが道を開くのだ。

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