レッテルとブランド

常識的な人間ほど、肩書きやレッテルのイメージに左右されやすい。東大出てるから頭がいいとか、大企業の社長は立派だとか、本当は人によって違うのに、そうした偏見を持っている。本質を考えるより、レッテルを信じたほうが楽だ。矛盾したレッテルを貼られていても、それほど疑問に思わない。

自分は昔から天邪鬼だったので、何か裏があるのではないかと斜めにモノゴトを見ていた。受験の時も、まともに勉強するよりは、問題作成者の意図を探り、どういう答えを望んでいるのか?正解の答えから、どのように間違いを誘導する選択肢をつくるのか?などを考えていた。
株式相場の格言にも、「人の行く裏道に道あり花の山」とある。正攻法よりも裏口が気になるタイプなのだ。一昔前は裏口入学など話題になったが、そんなのは当たり前のようにあることだ。東大のような組織は裏口などあり得ないと思われている。しかし、権威がある組織は権力者にとっては非常に便利な道具だ。
はした金のためではなく、国のために使える人間であれば、権威付けにブランドを利用するのだ。その権威を利用するために、あえて入学させたり、あえて教授にさせたりするのだ。人はレッテルに弱いからだ。本来の実力とは関係なしに、あの人はスゴいというレッテル貼るために使うのだ。用意されたエリートコースを歩く人もいる。あやつり人形のようだ。
メディアはレッテル張りが得意だ。世論を誘導する力として、日々毎日目にし続ければ誰でも無意識に刷り込まれてしまう。最近報道されていた北朝鮮の件も、落ち着いて考えればあれほど騒ぐ話でもない。でも毎日その報道に接していたら、なんとなく危ない国家が近くにいるなーと刷り込まれていく。もっと危ない国家については何も触れない・・・。
ちなみに、鳩山さんは東京大学を出て、スタンフォード大学大学院をでている。普通に入学したのか、裏口なのかは知らない。真っ当だとして、そんないわゆる高学歴のインテリが、自分のしていることでどのような反応があるかわからないものだろうか?わかっているのだとしたら、なぜあえて問題を起こすような方法を選択しているのか?
沖縄の基地問題の時も、今回のイランの件も、最初は味方かと思わせるような発言をして話題を起こし、後で否定する。結局どちらの側からも、
「一体あんたはなんやねん」と思われ、どちらの側からも呆れられる。どちらの味方でもない発言を結局はしつつも、常にその発言は注目される。話題を提供し、話題の中心でいることはスゴいことだ。メディアに振り回されるのではなく、メディアを振り回している。これが本当に馬鹿にできることなのか?もし本当に馬鹿なら、その価値をわかってアドバイスしてる人がいるのではないか?いずれにしても、良い人そうであることには誰も異論がない。色々と考えさせられて面白い人なのだ。
鳩山さんと似ている人がアメリカにもいる。ブッシュ元大統領は、イェール大学を出て、ハーバード大学でMBAを取得している。これまたインテリだ。しかし、成績が悪かったとバレちゃっていて、誰も言わないが裏口だと思っているだろう。
しかし、中身はどうあれ、そうしたエリートコースを歩めるように用意できる環境がスゴいのだ。多少、あれ?とおもわれる素質でも、肩書きさえあれば本当はスゴいのかもと勘違いしてくれる。レッテルの効果がわかれば、それを逆に利用することで、イメージを操作できる。悪く使えばレッテルで、よく使えばブランドになる。
例えば銀座に出店してるお店というブランドは高級なイメージがある。一昔前のほうがその効果は高かった。銀座の価値が落ちたように、日本のあちこちで価値の破壊が起きている。
昔のイメージが破壊されることが多くなり、新しいブランドを必要としている世界が増えている。一体なにがスゴいのか?価値があるのかを証明しなければならない。それが出来なければ衰退していく。新しいイメージはすぐには受け入れがたい。投資と同じで、まだまだ未開拓だからこそ美味しいのだ。
馬鹿と思われてもやれる勇気。それを支える環境の価値。そうした世界があちこちに生まれつつ有る。やがてその受け皿が新たなブランドとなる。時代にあったブランドを生み出していくのは面白いことだ。ブランドは近い人間に信用されることから始まる。すべては目の前の人間に信じてもらうことからだ。

「レッテルとブランド」への1件のフィードバック

  1. 優秀なのは自己弁護だけで、ただの仕事ができない集まりってことですね。

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