現代病

現代に生きる人々が普通と感じている考え方は、時代が違えば普通ではない。かつて世界は恐れ多いものであふれていた。例えば地震はただ揺れるから怖いとか、災害だから嫌だとかいう意味ではなく、神の力を感じておそれていた。何かの意味があるに違いないと感じていた。
現代では、科学的思考によって一応は数々の自然現象も説明ができるようになり、その仕組を再現、利用することで文明を発達させてきた。その力はめざましく、人間を中心とした科学信仰を生み出した。アタリマエのこととして意識していないが、現代人は科学的思考によって洗脳されている。
全体を部分に分けて、部分ごとに理解していく。例えば、仕事をしてると、全体の数値目標を設定し、部分ごとに目標数値を決める。そして、目標を達成できない問題を解決しようと思考し、その裏側にある想いというものを感じる力が欠如してしまう。想いは見えない。そんなことより、見える化が大事になってくる。
仕事に限らず、何かを問題と捉えたら、それは解決しないといけないものとしてしまう。心の葛藤はどんなに細分化しても解決はできまい。しかし気持ちでさえも、操作可能なものとして扱おうとする。
問題の根っこを見つめることなしに、表面的なことをやっても解決はしない。そもそも、問題ではないかもしれない。問題と考えてしまう、考え方自体に原因はあるやもしれない。マッチポンプのように、問題を創りだしては解決する。何かが変わるが、本質は変わらない。
何もやらないと焦ってしまう。時間がただすぎることに罪悪感を感じてしまう。産業革命の頃から、時間は直線的な過去・現在・未来という流れになってきた。始りから終わりへの流れ。自然の四季のように、循環する時間においては、螺旋状に時間は流れていく。
また流れてくるなら焦ることはない。ただ、それは同じものではない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」方丈記
同じように見えて違う、永遠が今にある心境から、ワビサビといった日本人の感覚が生まれてきたのではないだろうか。
別に科学的思考をやめろと言っているわけではない。それだけしか考え方がないのでは、狭い視野に陥ってしまう。視点を変えるだけで違う世界が見えてくる。考え方は一つの武器である。武器は多いほうが、状況に応じて最適な選択ができる。一つしかない武器を無理やり使おうとするから、余計に問題が増えるように見える。
仕事も人生も流れがある。その流れを断ち切り感じづらくしてしまうのが、現代病の特徴だ。世界を狭くし、可能性を見えなくしてしまう。世界を広くするためにも、自分と違う世界の人達とあったらいい。違いの中から、新しい流れが生まれる。

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