真理はあるが、答えはない

時代の深層は大きな節目を超えた。これから徐々にそれが表面化してくるだろう。だからこそ、私は次に2016年に向けて意識をあわせている。2016年に向けて、時代の深層を創造していく。
見えないところから変化が起こり、その後見えるところが変わってくる。これは人間でも同じだ。心が変われば、行動が変わる。そして、行動が変わった結果、環境も変わる。環境が変われば、心もまた変わる。こうして螺旋状に影響し、変化が加速していく。
天災は何を伝えているのか?一人ひとり感じることは違う。しかし、誰もが天災という信号によって、心に影響を受け変化していく。表面意識と潜在意識、両方に影響を与えている。例えば、タイの洪水はどうだろうか?
50年に一度の大洪水と言われ、日本企業が多大な影響を受けた。東南アジアに進出するなら、ベトナムよりも、上下水道や交通機関が整ったタイのほうが便利だと言われていた。その結果がこれだ。天災だからしょうがないのだろうか?当初、タイ当局は楽観的に捉えていた。それを間に受けた結果、本来避難させられた機械類も水に浸かることになり、被害が拡大した。これも仕方がないのだろうか?信号なのだろうか?ベトナムに追い風になっているのは偶然だろうか?運も実力の内なのだろうか?
天災の他に、人が起こす事件がある。では、オリンパスの問題はどうだろうか?日本を代表する企業が、実はライブドア事件など比較にならないほどのことを隠していた。オリンパスという、一企業の問題では収まらず、日本の信用を落とすほどの影響を与えた。一体、どちらが罪深いのだろうか?日本人の価値を傷つけたのはどちらだろうか?これは何を伝えようとしている信号なのだろうか?
一体誰の判断でそうなったのか?オリンパスの経営陣の顔は見えない。千と千尋の神隠しにでてきた、カオナシが経営しているようだ。顔が見えない集団による行動。無責任体質。これは彼らが悪いからなのだろうか?自分も無責任の一員になってはいないだろうか?しっかりとカオがあるだろうか?
ホリエモンはカオナシではなかった。顔が見えることで生じる責任はあるだろうか?顔が見える集団は必ず責任感があるだろうか?一体どこまで責任を感じればいいのだろうか?見えすぎて潰されるのは必要なことだろうか?秩序は守られなくていいのだろうか?なんでもやりたい放題がいいのだろうか?ちょうど良いバランスなどあるのだろうか?
世の中は矛盾で満ちている。そうこの世はできている。
 生と死。明と暗。上と下。縦と横。この世は、対極があって成り立っている。その対極の中に答えなどない。極と極の間の中で、どこがいいかなんてことは、人によって違うからだ。こちらがいいと思えば、こちらが悪いという見方もある。どれも正解なのだ。人の数だけ正解がある。だから、罰などない。そういうルールなのだ。失敗と思えることも、それを通して気付くきっかけに過ぎない。進化することがこの世のルールだ。体験することが大事で、そこに良い悪いはない。
深遠な答えが真理だ。そして、真理はあるけど、単純な答えはない。 真理を知るために、体験があり、この世がある。地球という制限のある場所で何を体験し、何を得るのか?どんな体験も真理へと繋がるヒントだ。
嫌な事でさえもキッカケだ。例えば、苦しみを通してしか理解できない真理がある。苦しみがあるからこそ、優しさや愛がわかることもある。苦しいからこそ喜びもある。いつまでも同じ状態はない。常に変化し続ける中で、出来る限りの体験をするために今がある。
人は自分の生きた証を残したいと願っている。自分のブランドを築きたいのだ。それが会社なのか?アートなのか?平凡な市民という形なのか?どんな形でもいい。ただ、楽な道を歩んでいてはブランドは築けない。
世の中をうまく生きようとする答えを求めるのではなく、真理を求めることだ。一見遠回りに見えるが、結局は自分ブランドを構築することへと繋がり、その結果そのブランドを欲しがる人に支えられるだろう。迷ったら答えはないのだから、飛び込んで体験するしかないのだ。

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