真面目脳の罠

 良い人はたいてい真面目脳だ。

世間の常識を良しとし、人に迷惑をかけないように気をつける。
そういう無数の良い人が日本を支えている。満員電車でも我慢して、通勤しているのを見ると頭がさがる思いだ。311の災害の際にも、暴動など起きないことに海外からは驚きの目で見られていたのも、日本人は真面目脳な人が多いからだ。
これは素晴らしいことだ。長年培ってきた文化で誇りである。明治維新後も、名も無き真面目脳の人達が日本の近代化を支えてきた。
しかし、光があれば闇もある。美点の裏側には、真面目さから生じる負の部分も必ずある。真面目な人だからといって、時代の変化は容赦しない。こつこつ真面目に農業していたとしても、工業化という時代が来れば、その波にさらされてしまう。真面目=型通りとなりがちだからだ。真面目脳であると、自分と言うよりは相手や環境に左右されやすい。真面目脳は受身の傾向がある。
 また、真面目脳は世間という常識に影響されやすい。だから一斉に戦争賛成と真面目に突き進んだりする恐ろしさもある。真面目脳というのはある意味楽なのだ。周りに合わせて、問題を起こさないようにする守りの思考だ。
 例えば、受けたメールに返信しないということは真面目脳からしたら有り得ないことだ。
「無視は相手に失礼だ」とか、
「返信を待っているのに待たせたら悪い」とか相手に気を使い、とにかくすぐに対応しようとする。IT化が進むに連れて、益々早く対応するように心がける。それが大事な時もあるだろう。しかし、どんな時も真面目脳が考える対応が一番であるとは限らない。
相手を救おうとする意識がある人なら尚更だ。表面的な人柄の良さは捨てないと、より大きな悪霊には対応しきれない。悪霊はずるがしこい。相手を焦らせて、自分の思い通りにしようとする。そんな時、焦って急いで対応したら、悪霊の思うつぼである。
先程の例で言えば、メールを返信しないことが愛であることもある。目先の常識にとらわれず、本当に相手のためを思うなら、自分が恨まれたとしても、敢えて返信しないという選択をする場合もある。低レベルのメールに合わせてしまえば、自分も魔界に落ちてしまう。ただのストレス発散メールなど、相手を想ってしてきたメールではない場合などは、真面目に返してもいいことはない。無視することで、送信者が今までの経緯を振り返り自分の行いを深めると信じて、無反応という反応を真面目に選択するのは深い愛だ。しかし真面目脳にとっては、無反応は常識外なので嫌なことである。嫌だからこそヒントがあるのだ。
このスピード一番の時代だからこそ、落ち着いてじっくりと相手に向かうのだ。昔、手紙を人が運んでいた時代のようにしてみるのだ。手紙を待つ間に想いが募るし、一度出したら取り返しがつかないのだから、じっくりと想いを込めて手紙を書くようにメールをするのもいい。
本当の真面目は、常識や概念をいつも疑い、相手のためにどの選択をすればよいかと真摯に向き合うことだ。それが真の誠実だし、真剣である。変化の激しい時代だからこそ、真面目脳を破壊して、本当の真面目とは何かを極めるのだ。そうしなければ、時代が移り変わり、次の世代の真面目脳にやられてしまう。
いつもしていることをコツコツと何も考えずに実行する真面目脳ではなく、今日していることは本当に大事な事なのか?を真面目に日々問いかけることが真の真面目である。
いつもそうしているからといって、今もそうするべきだとは限らない。一瞬足りとも同じ状況はないのだから、その場その場で感じて選択をすることに真剣になるのだ。それを真面目にしなければ、真面目脳は結局自分の首を絞めることになる。
真面目に返信したのになんでこんなひどいことをされるのだろう?といった具合に。

「真面目脳の罠」への2件のフィードバック

  1. いろんなことがあると達観してきますよね。
    僕もそうでした。
    尾関君の中で少しずつ霧が晴れてくるのを感じます。
    ゆっくり、ゆっくりです。

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