選択するという意識

日々誰しも何かしら選択をしている。

どの道を歩こうかに始まり、何を食べるか?誰と話して、何を読み、何を聞くか。
無意識にしていることも含めたら一日に多くの選択をしている。自分は気がついていないだけで、実は無意識にした、その行動で、何かを選び、何かを捨てている。同じ選択は二度と来ない。それぞれが主人公の、人生という映画の中を生きている。
 たまには思い切って、違う選択をしてみたらどうだろうか?
 違う道を通ったり、いつもなら食べないものを食べたりと、普段なら選択しないであろう行動をしてみるのだ。小さい選択の冒険に慣れてきたら、もっと大きな選択も苦にならなくなってくる。
 人間は慣れていないことを体験すると新鮮に感じるか、苦痛に感じるのだ。この世は一時も同じではない。常に変化しているのが常なのだから、見せかけの安定など求めず、常に変わり続けることで、逆に安定するのだ。
安定を求めるから、変化に弱くなる。サーファーのように変化の波を求め乗りこなすのだ。
よく人は、一期一会だという。頭では、二度と同じ時間と状況はないとわかっていても、また次があるものだとどこかで考えてしまう。頭でどんなに、今しかないのだと思っても、心は真剣にはならない。何か重大な出来事があった時や、心に残る本や映画をみたときなどにやっと感じる程度だ。一期一会を感じたかったら、背水の陣を取るしかない。
しかし、それは簡単ではない。また、非日常を求めすぎても、世間からは浮いてしまう。例えば、毎回人と会うたびごとに、もう二度と会えないと思って、その時感じたことを後先考えずに伝えられるか?これは大変な精神的労力だ。毎回などとても無理である。メリハリをつけるのも意識した選択だ。
大体において、人間は辛いことのほうが心に残る。辛い体験をするからこそ、今という瞬間を愛おしく感じるのだ。どんな辛い体験も、必ず過ぎ去る。耐えるだけで、時は流れて行く。すると、不思議なことに、辛い体験も過ぎさってしまえば、
「なんでもっとトコトン体験しなかったのか」と思うこともある。
後悔のないように、瞬間を意識して生きる環境が今はある。同じように、今しかないという意識を持った仲間といるからだ。そうした環境こそが、真の豊かさだと私は感じる。どんなに楽で、苦痛がない生活があったとしても、そこに魂の喜びはない。
人は本来怠け者なのだ。肉体の怠惰より、精神の怠惰のほうが見えないだけにわかりにくい。自分の中に潜んでいる怠ける心と戦う選択こそが価値ある選択だ。

「選択するという意識」への1件のフィードバック

  1. こんにちは!辛い事もあるけど、逃げないでひとつひとつ解決するクセをつけると、辛いこともなんとなく楽しみながら解決できるようになるもんですね。。RPGというか。。。そう考えると明日という日も楽しみになります。

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