人はすぐ経緯を忘れる

人はすぐ経緯を忘れる。勿論、そうなると原点も忘れる。

 本来、いまの一点だけを切り取って判断などできない。
 原点と経緯があって、今がある。
地球があって、祖先がいて、親がいて、世話をしてくれた人々がいて、自分も生きてきて、今という自分がいる。どんなことにも、原点と経緯があることを忘れてはならない。そこを外してしまうと、モノゴトの筋道を間違えてしまう。
大衆は目先のことで頭いっぱいになり、どうしてこうなったか?と考える余裕を無くしてしまう。そうした人間は、人間魂より動物魂が優勢なのだ。
以前、「罪にならない罪」という記事でこう書いた。

想いを無視する言動は、罪にならない罪なのだ。そして、想いこそが一番価値があり高いものだ。それをお金の為に踏みにじったりするのは、人として最低だ。昔は義理や人情として大事にされたものが、経済論理で踏みにじられている。

原点や経緯を忘れて、そのことを棚上げにして、自分は正しいと責める人間は、罪にならない罪を犯している。人間社会においては法的な罪に問われないが、霊的な世界では真の犯罪者だ。いまの社会はそうした人間で満ちている。自分勝手に、気ままに、義理も人情もあったもんじゃない。
最近こんなことを相談された。
・心と心で交わした約束を、契約書の形にしていないことをいいことに、状況が変わったなどと都合のいい事をいって平気で破られた。
相手が破ったことを自覚しているならまだいい。罪を自覚していない相手、自分は間違っていないと確信を持っている人間を自覚させるのが「本当の仕事」だ。
 人はコロコロ変わるのが当たり前だと思っている。確かに、この世は一時として同じ状況は存在しない。それを正当な理由(言い訳)にして正義を主張することもできるだろう。しかし、不動の心を持っている人もいる。そういう人間は信念という柱があるからブレないのだ。
やる気と真剣さで向かった経緯があって、約束を果たせないのか?
そこまで真剣に向かうことなしに、すぐ諦めて約束を果たせないのか?
結果としては同じ約束破りかもしれないが、経緯に誠意があるかないかで、気持ちは違う。
変わるのが当たり前と、諦めてしまうか? 
心が変わる度に、ぶれる度に、相手に向かうことが大事だ。それが菩薩道である。
どこでだって、菩薩の仕事はある。
 普通の仕事をしていたって、目の前の出来事だけを見るのではなく、原点と経緯に想いを巡らせ、どう感じるか?まずこれが難しい。しかし、一つ一つ目の前の出来事に真摯に向かえば、感じられるようになるのだ。
原点と経緯を意識して過ごすことから菩薩道は始まる。
本当に大事な事を忘れないのが菩薩なのだ。

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