311後の世界

いよいよ我々の時代がやってきた。放射能が来るかもしれないと怯えている中で、社会はどこへ向かっているだろうか?

2011年。私が如来に教えられた多くのことの中で、唯一具体的な数字として信号を貰っていたのが2011年だった。その証拠はいくつかあるが、それよりもこうした数字はただの偶然だろうか?カバラ数秘術などにみるように、数字に意味があると捉える人たちは、それを元に世界を理解する。ちなみに11は再生だ。で、9が終わり。だからNYでの911は終わりと再生と捉える。ポルシェの911だってそういう概念の影響を受けている。ちなみに11月9日に起きたベルリンの壁崩壊とNYの9月11日同時多発テロは鏡合わせの数字のようになっている。そして、ムバラク大統領退陣も2月11日。

こうした世界観をすごい信じて、日頃から本気でそればかり考えて話しているのがスピルバーグだ。そうした人間が映画などで大衆に影響を与えている。311は日本が終わる象徴とか経済が終わる象徴とか、そういうストーリーが影響力ある人間たちに伝播していく。

いま先見性のある人間たちは早々に沖縄に目を付けている。私が沖縄に関わっているからそういっているのではなく、実際に条件の良い住宅などはなくなっているのだ。放射能の影響も無く、アジアにも近く、特区が数多くあり、人口が増えており、アメリカ軍がいるし、ひょっとしたら独立しちゃうかもしれない沖縄という場所が投資先としても魅力的になってきている。

人気が沸騰してから投資するのは馬鹿だ。人気がないときに投資するからリターンがあるのだ。そして、いま沖縄に居ると全くの平和で、本土の出来事は他国のようだ。それは、これからは沖縄だと言う見込みが当たっていたからで、わからないままに本土にいたら平和では居られない。読みが当たっているからこそ、平和なのだが、逆に当たったからこそ、その有り難みも忘れてしまう。また、ノアの箱船ではないが、読みが当たっても素直に喜べない。

だから言ったじゃないか。これからは経済も変わるよ。攻めから守りになるよ。お金よりも絆が大事になるよ。信頼できる仲間、コミュニティの時代だよと。嘘だと思うなら過去の記事を読んでみたら良い。これからは沖縄だよ、ベトナムだよとずっと言っている。生死を前にした時、本当に救われるとはどういうことなのか?魂の救済こそが一番の関心ごとになるんだよと。

本当のところを言えば、日本経済なんて借金だらけで、今更原発の話しをしたって始まらないところにいる。内閣がどうしたとか、東京電力がどうだとか、部分の話しをしたって意味が無い。根幹がおかしくなっているんだから。政治なんて末期症状もいいところで、水面下では亀井静香を立てようかなんて話しもでてるくらい、もうやけくそなのだ。民主党の中では、少なくても仙石か、などとあり得ない話しが最低ラインなのだ。順当に言って仙石、まさかの亀井静香だ。どちらにしたって先が思いやられる上に、もっとすごいのが、石原慎太郎を持ってこようかと話しているのだ。都知事になったばかりの石原を総理大臣に据えようかという話しまであるのだ。もうこれくらいしないと、このどうしようもない閉塞感は抑えられないんじゃないかと感じているのだ。これが現実なのだ。とても政府には期待できない。

放射能にしたって、アメリカは80キロ避難といっているのに、日本は30キロで本当にいいの?チェルノブイリは20年以上経っても死の町だけど、本当にそうはならないの?政府は本当に情報をだしてくれるの?今や、素直に信じる人間は少ないだろう。わざとじゃないにしろ、色んな思惑が交差して、結果的に何で今更みたいな話しばかりだ。結局は原子力に対する利権が絡みすぎて、国内も世界(アメリカ、フランス)も利権の確保に走りまくっている。

余震というよりは、本震じゃないの?という規模の地震が続き、次はどこなのか?という不安がある。東北よりも危ないとされてきた、東海沖地震や関東地震が起こったらどうなるのか?東京が巨大地震に見舞われれば、それはもう日本の終わりではないか。そんな状況の先行きが不透明の中で、事業しようとか金儲けしようと長期的に考えられるだろうか?

人々はいま、真剣に人生を考える淵に立ちだしている。
いざとなったら誰が頼りになるだろうか?どこの場所がいいのだろうか?本当に救われる、または救う事ってなんだろうか?今まで私が書いてきたような事を話したいし、知りたい気分になってきたのだ。安心、安定、確実だった東電の価値が一瞬で吹き飛ぶような時代に、本当に価値ある投資ってなんだろうか?誰を信じたらいいのだろうか?嫌でも考えざるを得ない状況に追い込まれてきたのだ。

あくせく働いてきて積み上げて来たものが一瞬にして価値がなくなる。絶対だと思ったものが、土台が崩れた途端に崩壊するのをみた。今の経済は極めて脆い幻想の上に成り立っている。それを見越して活動してきたのだ。我々は、実際に本当の意味で人を救って来たし、その仲間と共に社会変革の雛形を作っている。社会がどうなろうとも航海できる船だ。いざというときに、受け入れられるように、もっともっと器を広げる挑戦を今もやっている。この文を読んで何かを感じたのであれば、ドアを叩いて欲しい。我々はいつでも歓迎する。

「311後の世界」への6件のフィードバック

  1. こんにちは。。
    いつも記事を読ませていただきビックリします。
    「11」は私にとって、他の何かが犠牲になって自分に何かが与えられる時に出てくる数字だったからです。
    なんとなく自分にとって「得」にはなるけど「徳」にはならないものを感じる数字です。
    311の時は公園近くのカフェにおり、TVで地震の凄まじい様子を目にしながら、カフェ窓から見える公園で無邪気に遊んでる親子の両極端な様子が自分の頭の整理がつかない状態の中で「また11か・・」なんて思っていました。
    たしかに沖縄、平和ですね。。
    でも、沖縄にはまだまだ影の部分がたっくさんあり、憤る事もしばしばです。
    DV、育児放棄、経営者のモラル、命の大切さの意識の薄さ
    その反面、うまく言えませんが「ヒューマン3.0」に進化するには最適の場所かもです。
    影の部分を何とかしたいと常に思うようになると、いつの間にか自分の意識が変わっていっている気がします。
    あのまま東京で暮らしていたら味わえない感覚です。。。

  2. こんにちは。
    僕が稲穂にいた頃にお聞きしていた2011年に起こることというのは、こういうことだったのですね。
    あの当時は想像もできなかったですが、尾関さんの記事を読ませていただき、正直ビックリしました。
    311後に日本がどうなっていくのか非常に興味深いです。

  3. 尾関さん こんにちは。【12345678911】という【終わりと始まり】のお話から始まって、少しビビりながら拝読していました。
    私と仕事をしている周りの人たちが、もし会社が潰れたら繋がりが残るのか?と考えてみました。そして、結局何も残らないと思いました。悲しいものです。
    絆は、糸の半ってかきますけど
    職場の人達とは表面上の遣り取りばっかで気持ちを分かち合う事なんて全然有りませんでした。
    私も尾関さんたちの様な繋がりがあったらいいなと思いました。

  4. ぶしつけではございますが、政治家になって下さいませんか。尾関様、あなたなら日本のジミーカーターになれますよ。要するに、企業家あがりの国のリーダーと言うやつに。今、日本は世代交代が遅れており、それが閉塞感にもつながっているわけですし、若い世代にも責任はあるとは思います。尾関さん、やっちゃいなよ。

  5. 菩薩を語る方たちが、沖縄に逃げて、そら見たことか。と言っているように思えます。菩薩の道を行く貴方たちが今やるべきことは、被災地におもむき、傷ついた人々を救うことではありませんか?自分たちの利害ばかりをお考えのようで、驚きを隠せません。
    絆だ愛だ真理だと語るあなたの文章からは
    愛は全く伝わってこず、損得勘定しか感じられないのは私だけなのでしょうか。。。

  6. "天網恢恢疎にして漏らさず。" 被災地に赴く事だけが救いでしょうか? 本当の救いとは? 何でしょうね?

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