冥土の土産

ジョイントを受けた後の人に起こりやすいことがある。それは、愛の押し売りである。自分が何を感じて何を求めているか、わからなかった人間が、ジョイント後、感じてることに気がつき始めると魂は嬉しくて興奮状態になる。 

人は感動するとそれを伝えたくなる。そして自分が体験した感動を相手にも体験してもらいたいと感じる。純粋な想いだ。
とにかく嬉しくて興奮して、その気持を伝えることは素晴らしいことである。人を幸せにしたいという気持ちは尊い。そこに罠が潜んでいる。
 今ままで抑えられてきた自分を表現できる喜びに夢中になってしまうあまりに、相手を見ずに言葉をまくしたてるか、もしくは
「これは素晴らしく価値があるものだ」という自信を深めて、イイものは何としても伝えなくてはと必要以上に使命感を持つ場合がある。 
相手の為になることだからと、相手の状況や気持ちを考えずに行うと、相手の奥底の魂は「確かに!」と納得しても、表面意識では
「なんだよ、いきなり。正しいのかもしれんが何か腹が立つ」とか「さっぱり意味わからん」と反発して、結果として出会った縁を活かしきれなくなる。
 相手への思いやりがなければ、いくら素晴らしく正しいことでも伝わるものも伝わらない。そうなりがちなのが、因縁の関係だ。因縁だから何も考えずに話してしまう。伝わるだろうと甘えてしまう。
その挙句、「なんでこいつはわからないのだ!!」と逆ギレを感じてしまう。非常に勿体無いことだ。因縁は分かっているけど、分かっていないのだ。分かりたいけど分かりたくない。最大の味方で、最大の敵であるのが因縁なのだから。そう簡単にいくわけないのだ。
しかし、因縁の相手はどんなに喧嘩をしたとしても、ナカナカご縁が切れる相手ではないのでまだいい。問題は因縁ではない相手に対しても、愛の押し売りをしてしまった場合である。
そうした場合、相手の魂には想いが届いていても、表面意識も納得しなければ、ご縁が切れてしまう。折角、奇跡的な確率で出会ったご縁もいかせなくなってしまう。「相性悪かったんだしょうがない」では、真摯に対応しているとはいえない。
目の前の人、一人一人が大事なのだ。相手にとっても折角のチャンスなのに、自分の気持ちだけで潰しては勿体無い。どちらも悪気がないだけに切ないのだ。言われた方も、あとで「そういうことをいっていたのか」と気がついても、そこから「また話を聞かせてくれ」とは言い難いものだ。
相手が死ぬ間際になって、「ああ、あいつだけは俺の為を思って真剣にいってくれたな」と感じさせても切ないだろう。
「だから言っただろう!」と言いたい気持ちもあるのが人間だ。けれどもそれでは、来世へ冥土の土産を渡すことになる。勿論、冥土の土産を渡さないよりは、渡したほうがいいに決まっている。
だがそれよりは、折角今しかない今世でしっかりと向き合い、共に成長してご縁を活かしきりたいではないか。その為に、因縁でない相手に対しては因縁づけが必要となる。因縁関係になってしまえば、どんなに本音でぶつかり合っても関係が切れなくなる。
きちんと間に人を入れて、逃げたくても逃げられない環境を作ってあげることも菩薩の仕事なのだ。

「冥土の土産」への1件のフィードバック

  1. う゛~、一番苦手です。
    私は、ジョイントは受けたこと無いですが、素晴らしいこと(とくにスピリチュアル叡智なこと)は、相手に「言いたい」と思ってしまいます。黙ってるなんて無理って感じです。どうしたら、我慢・見極・的確に言えるのですか??
    我慢ならずに、発言してしまうんです。
    利己的、自己満、愛がない
    分かります。
    でも、どうしたら…
    狼と牧師みたいです。ぷつんっと切れたように発言してしまうんです

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