本質の問いとは?

人間は一人では生きていない。都会にいて周りを見渡せば、目に見えるものすべて、誰かが作ったものだ。道路、電柱、家、車、等など。

いま目の前にあるご飯だって、作ってくれた人は勿論のこと、農家の方、輸送業者の方、販売店の方、商品を並べる方、レジを打ち会計する方など、挙げていけばたくさんの人間が関わっていることがわかる。
呼吸できるのも、酸素を植物などが光合成してくれているからだ。そもそも、地球や太陽がなければ、我々は一瞬たりとも存在できない。惑星が存在し、その上で生命が命を繋いできたからこそ、いま我々は生きている。
その原点への感謝を忘れて、つまらないことに一喜一憂して人生を送っているのが大衆だ。本当に大事なことは何だろうか?この人生で何をしたら満足するのだろうか?いま目の前の問題は何を示唆してくれているのだろうか?
本質への問いは忘れやすい。また本質の問いを自分に問いかけてくれる人もそうはいない。突然事故に会うとか、病気を宣告されたりしない限り、真剣に自分に問いかける人は少ない。
それでよいのだろうか?
目先のことに振り回されていても、充実して毎日を送ることはできる。ちょっとした達成感と満足感に浸れる。ではそれで何が残ったのかを検証したことがあるだろうか?
自分の何がわかって、何が進化したのか?またはしなかったのか。次は何をチャレンジしてみるか?
時には検証することも大事だ。独りよがりの検証は意味がないが、自分がわからなければ、同じことを繰り返す。その為に仲間はいる。自分を見つめてくれる仲間が欲しければ、まずは西麻布Birthか、沖縄のBirth lilacに是非きてほしい。
真剣に向き合ってくれる人間がそこには集まっている。自分と向き合うのは大変だ。心のコストもかかる。しかし、一番投資効果が高い。幸せになりたければ、自分と向き合うのが近道である。

「本質の問いとは?」への5件のフィードバック

  1. 死ぬときに この私がいまやってることは、形もなく蒸発していくと思った。
    社会にマエナライすることを覚えて、自分を抑え生きている。
    「成長している」
    と一般的に言われる成長は、霊格にとってなんの成長にもならないとは分かりつつ・・
    魂が踊る 向かうときの気持ち
    あぁ、忘れているな自分。そう感じました。
    精進します。

  2. おせわになっております
    御師匠さま
    難しいですが、判りました!!
    ありがとうございます

  3. このブログを読み、何をすべきか具体的に考えてみようとしています。
    足元のことを無しにして、自らのことは理解できないと思いました。家族、祖先、空気、体、地球、太陽、心と精神と霊魂などを改めて考えてみます。
    なんの為に生まれて、どんな使命があるのか。
    同僚から、悪口を言われてないか心配だし、顧客でトラブルが起きたら頭を抱える。そんな世界とは無縁の問いのように思えます。
    でも、しのぎの中だからこそ、大衆を学び、自己を知ることもあります。しのぎをしなければならない理由は、自分が未熟だからですね。未熟のなかで、本質の問いは、遭難したときの北極星ですね。絶対に忘れない。現実の世界に還るため!頑張ります!!

  4. いやあ違うな…と思います すみません
    何かを取り入れるんでなくみんな捨てるとよいのでは?
    幸せにならなくてもよいのでは?
    一人でもできるのでは?
    そんな解答を私は持っています

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