言葉を超えて伝わるモノ

先日、清水ミチコさんに妻がお会いした時、
「結婚式で泣いていた人元気?」と言われたよ、と教えてくれた。私は結婚式で号泣していたので、私のことである。結婚式の後、
「普通は泣く人は奥さんのほうで、男女逆でしょう!」とよく冷やかされた。
もう結婚式から4年以上経つのだが、未だに私が泣いていたことはあちこちで印象に残っているらしく、方々でこのことを言われる。
「おれ、いいこと言っていたのかな?」と一度だけ、結婚式のDVDを再生し、自分の泣いている姿を見た。これが本当に自分でも何を言っているのかわからない、嗚咽交じりの恥ずかしい姿だった。それ以来もう二度と見ていない。言われるたびに気恥ずかしい想い出だ。
結婚式以外でも、ある講演会のとき、話し始める前から感極まって泣き出してしまったことがある。来場者は面食らっただろう。出てきてすぐ泣いているのだから。我ながらバカだなぁと思うが、感じる力が強い時は、泣き虫でしょうがないのだ。
言葉でどんなに上手に説明しても伝わらないことがある一方、泣いてるだけで伝わることもある。どんな方法でも伝わればいい。上手に伝えようとしなくても、一生懸命に伝えようとすれば伝わる。
その姿や雰囲気だけでもだ。言葉に説明できないけど、なんとなく伝わる、なんとなくわかるのが一番なのだ。本当の感動は説明できない。存在するだけで訴える美術品などが良い例だ。
感動の涙を体験してしまうと、その素晴らしさに病みつきになる。映画や小説のなかではなく、現実の人生の中で体験する感動に勝るものはない。ジョイントでは毎回作り物ではない感動がある。一人の人間が真剣に向かい、自分の殻を破る瞬間に同席できる喜びは、言葉を超えている。あ、思い出したらまた泣けてきた。

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