霊を憎んで、人を憎まず

 罪を憎んで人を憎まずというが、我々は
「霊を憎んで、人を憎まず」と言い換えたりしている。

一般的に、整合性のない発言や行動をする人間は、矛盾していると批判されることが多い。私も一貫していない発言や行動を見ると嫌で仕方がなかった。しかし、そもそも自分自身も
「完全に矛盾がないか?」と問われたらそうではないし、むしろ矛盾をはらんでいることが人間の本質だ。

霊=人格と捉えると、感情や状態によって、同じ人間でも色んな人格がでてくるものだ。見た目は一人の人間だが、その中にある霊は一つということはない。主人格はあるが、状況によって霊は変わっていく。

霊に操られるか、自分で霊を操るか。これが魂の力だ。意識していなければ、霊に操られるだけだ。気分屋はまさにその例だろう。しかし、押さえつける意識が強すぎると、頭が強くなりすぎて感情を無くしてしまう。

感じていることを意識しつつ、自分らしく表現できるようになりたいものだ。

一流の役者は、その役に成り切る。その霊そのものになるのだ。だからハリウッドでは、役を落とすのに数ヶ月かけるのだ。ある芸能事務所社長も、
「自分の仕事は霊をつけたり、外したりが仕事ですよ」といっていた。

霊がその人のすべてではない。憎らしいことをしたとしても、人間の本質は別にある。変わらない人間もまたいないのだから、向き合い続けるしかないのだ。そこにお互いの成長がある。

聖書に、こんなシーンがある。ヨハネによる福音書の8章だ。イエスを試そうと罪人を連れてきて、
「罪人は石で撃ち殺せと法であるが、あなたはどう判定するか?」と問う。
イエスキリストは、
あなたがたの中で罪なき者が、まずこの女に石を投げよ」と答える。

また、アニメ「コードギアス」で主人公のルルーシュはこういった。
撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ」と。

「霊を憎んで、人を憎まず」への6件のフィードバック

  1. 映画インセプション\(≧∇≦)/
    絶対みよっと
    丸秘だった内容
    ブログに載ってた(焦

  2. 因縁の霊叱るとき
    悪霊に向かっていうように心がける。
    因縁=自分=悪霊にとり憑かれてる弱い自分
    だと思っています。
    悪霊と闘うしかない。パワーも要るし、疲れる。
    それに闘い方が、まだ身についていない・・・
    光を見出して、頑張る。

  3. 撃つことができるのは 撃たれる覚悟があるやつだけだ
    霊の問題を 理解している人間
    何に対して打つのか分かる人間
    石をなげる 罪なき人間
    悪霊にとりつかれたことがない人間
    魔がさす
    魔が一度もさしたことがない人間
    信念をもつ人間
    信念〓悪霊を打つと理解している人間
    ですか?帰り道、反芻してました。
    ふたつは 言葉の印象が違うのに 同じことを言ってるように 引っかかってて
    イエスは 石をなげてはいけない
    といってる様だが
    マンガの方は
    撃つことが前提のよう
    いま 文章を書いていたら
    8チャン浜ちゃんが司会
    ファイト!中島みゆき が流れた!
    私の敵は私です~♪
    ファイト! 闘う君の歌を闘わないやつらが笑うだろう
    だって(ρ_;)

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