ヘルタースケルター

人生の最後はどんなシーンだろうか?そのことについて思案すると、私はいつもあるシーンが浮かんでくる。実際に見たことがないのに、多分それは自分の臨終のような感じがする。今回の生でそうなるのか、前世だったのか、よくわからない。

その時、満足して微笑んで死ねれば本望だ。

またそれとは別に、自分には自殺願望といったら変だけど、死をもいとわず何かのために死ぬことに憧れがある。

生のための死。
死のための生。

どんな死を迎えたいか?
どんな生を送りたいか?

生き甲斐のある生。
死にがいのある死。

穏やかな長寿もよいが、今は短くても強烈な印象の死に惹かれる。映画やアニメなどで、そういうシーンに出くわすと無性に切なくなり感動する。

信念があれば、善悪を超えてしまう。

ただそれが独りよがりの自己欺瞞であれば、悲しみしか生み出さないであろう。

「ヘルタースケルター」への3件のフィードバック

  1. ブログ楽しみに読ませていただいてます!私は、やっぱり心をやり遂げたときに
    生きてるなーって感じます。
    心発信で このためになら死ねるとおもったら、死も生になる
    心がなければ生も死んでるのと同然だ
    というのが哲学的な言い方ですね

  2. たまたま三浦綾子という小説家の話になり、そしてこのブログを読みました。リンクしていたので驚きました。
    三浦綾子の塩狩峠という物語の中では、主人公が自己犠牲を現します。
    三浦綾子自身、キリスト教ですので、自己犠牲についてずっとテーマのように扱っていました。
    自己犠牲って自己犠牲のようで
    自己犠牲してる自分の姿に満足していたりすることもあるから難しいなと感じます。
    何を基準に、本当の自己犠牲はあるのでしょうか

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