表のテーブルと裏のテーブル

物事には表と裏がある。
そして、裏のテーブルがあるからこそ、表が活きているのだ。
裏がない表は力を持たない。

政治も祭りも事業も、世の中を動かしてきた全てのことは、表と裏で成り立っている。誰もが知ることができる情報は、表に属する情報だ。誰も簡単に知ることができないからこそ、裏の情報なのだ。

沖縄の問題にしても全て裏ありきのものだ。基地問題にしても、沖縄だけなぜ免税店があるのかにしても、カジノ構想にしても、すべて裏のテーブルで創られたストーリーに乗っ取って、表の人間が動いているだけなのだ。

裏が大きければ大きいほど、表もいきてくる。だから、このブログで裏のことを全部書くことはできないが、少しは書いている。もっと興味があれば実際に沖縄にきて我々の活動に参加してみると良い。

まあ、そこでも最初は表のテーブルしか見えないように創っている。裏のテーブルを見たければ、「本気」になることだ。

「本気」で世の中の裏を見たい!と思うのであれば、見れる。しかし、別にいいや、なら絶対に見ることはできない。世に流される表の情報だけを信じて生きればよい。どちらが良いも悪いもない。

太陽があれば月もある。
男がいれば女もいる。

表の契約があれば、裏の密約もある。

原点があって、今がある。しかし、そのことを忘れたとき本来の意味、機能は消失し、ただの形式と化す。

大木もその下に根という裏があるから、上にのびていける。裏の仕組みを創りだし、表を活かすのが特別な仕事だ。世間に流布している情報に真実はない。

だからこそ、事業などで表の表面的戦略だけを真似ても、どうにもならない。本当に動かしているのは、裏のテーブルなのだから。

全てのことに表と裏がある。そして、両方を知らなければ、なにも始まらない。

本当に環境問題とは、危機的問題なのか?
本当に日本の政治は、政治家が動かしているのか?
本当にこれからの世界はG20で動いていくのか?

信じるか信じないかは自由だが、本当にそうなのだから仕方がない。

「表のテーブルと裏のテーブル」への2件のフィードバック

  1. 今回の記事の「物事には表と裏があって、両方あるから物事が成り立つ」というコトを受けて、
    私には「建前と本音」という言葉が浮かんできました。
    “建前”で生きる人間と、“本音”で生きる人間。
    もっといえば、
    「“建前”で生きる人間」は、動かされている人間で、
    「“本音”で生きる人間」は、自ら動く人間。
    そういうコトを思いました。駄文すみません。

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