死んだら現実

我々の世界は、生きている「今」が夢の世界。死んだら現実に戻るだけだ。
「ああ、生きていたときは夢のようだったな」と。

制約があるから突破する喜びがある。何でも自由だったらつまらないのだ。

普通、人々が考えているのは、死んだら天国に行きたいな、というのが一般的だ。死んでからが特別な世界だ、と考えている人が多い。しかし、死んだら何もないし、何でもある。両方は同じだ。

一般的に言われる宗教では、来世やあの世で救われるために信仰している。いわば「逃げ」の宗教が多い。

しかし、実際は生きている「今」だけしかない。チャンスは「今生」しかないのだ。「今生」どう生きるかにかかっている。あの世や来世のために、今を生きるのではない。

次の人生こそは!では同じことを繰り返すだけだ。夢の世界、あり得ない世界、憧れの世界、アニメのようなハプニングが起こる世界に生きることができるチャンスは今しかない!

しかし、人間という生き物は、
「そうはいっても生活が・・・。」とか
「そうはいっても今の仕事が・・・。」などと言い訳を必死で探そうとする。本当は求めているのに・・・。

これは安定を望むDNAと、変化を望むRNAの人間の中の遺伝子に組み込まれた矛盾した戦いであり、これにより葛藤や苦悩が生まれる。本当はそんなことで悩む必要などない。今死んだら「自分は満足な人生だった!」と言えるだろうか?それが答えだ。

死んだら現実に戻ると思え!今が夢の世界なのだ。今が現実という夢を見ているにすぎない。死んだら現実なのに、生きている今も現実に生きるのはあまりにもナンセンスだろう。

「死んだら現実」への3件のフィードバック

  1. いつも楽しく読ませてもらっています。今を生きるって難しいですよね。皆、仕事をしないで、遊んでくらさないと、いつ死ぬかわからないしってなりそうだし、努力や我慢をしないで、すぐ仕事も何もかも投げ出して、楽な道にいきそうですよね。難しいです。私は、人生は来世も続くと思っているので、今している事が報われると思ってしまいます。

  2. 佐藤愛子さんと江原啓之さんの共著に、「私たちが天国と考えているところでは、何でも何の苦労もなしに手に入る。努力というものが存在しない。だから、そこで改めて努力というものの価値を考えるようになる。そこで、また努力したいな、と思った者が輪廻する。」みたいな部分があったのを思い出しました。
    何の根拠もないけれど、私はそうであってほしいと思うし、そうだと思います。努力は生きているものの特権なんだと。
    日々を過ごしていると、そんな立派なことばかり言っていられませんが、オゼキさんの言うとおり、ファンタジーは現在にしかない、というか、たとえば、「めんどくさいけど、思い切って今から洗い物片付けちゃおう」と思って洗い物をして、ついでにピカピカに磨いちゃったりすることこそがファンタジーなんじゃないかなぁ…と私は思うので(笑)
    オゼキさんのブログ、毎回楽しみにしています。オゼキさんの与えてくれる知恵の栄養価の高さ…ほんと、助けられていると思います。全国のみんなが☆

  3. 心の声を
    絶妙に表現するのは
    とっても難しいと日頃から思います。
    だけど頑張って表現すると
    感動する
    今を生きる それに似てるなと思いました。
    この世界が夢
    死んだら現実
    この世界がチャンス
    表現できるのは、この世界だけ
    だから頑張るのでしょうか
    心なき世界vs心
    生きるって切ない
    生きるって 辛い
    だから 心が頑張るんだと思う

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