新世紀エヴァンゲリオンの秘密

2010年が始まった!今年はさらに激動の時代となり変化が加速するだろう。今の時代のピークである2011年に向かって突き進む年だ。我々が生きている時代は、とてつもない時代なのだ。有史以来の変化が起きているといっても過言ではない。新年はまず少し時代背景の話からスタートしたい。

これからどんな時代になるのだろうか?それを理解するのに最適なのが、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」だ。

実はつい先日、エヴァ制作の中心的人物とお話をする機会を頂いたので、その時に聞いた話と合わせて、時代をできるだけわかりやすく解説していきたい。

「Neon Genesis Evangelion」
日本語では、新世紀となっているが、ラテン語タイトルを素直にとれば、「新創世記」となる。つまり、新創世記エヴァンゲリオン。「新しい時代の聖書」ということだ。

主人公である碇シンジは、新時代のキリスト、菩薩なのだ。

さて、そこに詳しく入って行く前に、今どんな変化が起きているか理解するために、大雑把だが時代の整理をしよう。わかりやすく言うと、1995年前後から前を旧時代、その後を新時代とする。

なぜ95年を境目としたかは、創造の前の破壊の働きをしたオウム真理教が、95年に強制捜査を受け、そしてエヴァンゲリオンが始まった年だからだ。

麻原は95年タイム誌の表紙を飾っている。日本人としては昭和天皇以来だ。それくらいオウムのインパクトは世界的に凄かった。今に続く宗教テロのさきがけで勿論、大罪も含め研究の価値がある。

オウムについてはまた今度詳しく書こう。

で、日本はバブル以降、宗教テロ、デフレ、ゼロ金利、高齢化等々、先進国の中で初めてという課題に直面してきた、先進国中の先進国である。つまり、日本は新時代の先導をしているというわけだ。

話を戻して、旧時代と新時代の話を続けよう。旧時代は、男性の時代で物質重視、競争意識、重厚長大の時代であった。そして、現実と空想の世界の狭間ははっきりとしていた。ここが大事である。

そうはいっても現実は理想と違う、という割り切りが世間にはあったのだ。

それに引き替え、新時代は、女性の時代で精神的重視、共生意識、軽薄短小の時代だ。そして、現実と空想はお互いに影響し合い境目はない。つまり、映画マトリクスのような感覚である。リアルとバーチャルが融合している感覚だ。

新時代は、アニメ脳とかバーチャル脳とかいうような人種が世界を創っていく。

旧時代と新時代の人の違いは、男女の違いのようなものだ。同じ人間でも、男性と女性は考え方や行動に当たり前の様に違いがあるように。

新時代のアニメ脳人種は、リアルの中にヴァーチャルでの世界を持ち込みたいのだ。だからコスプレなどをする。また、リアルとバーチャルの融合が出来ない場合は引きこもる。

100パーセントバーチャルの世界に浸かるのである。現実と空想、どちらが優先されるか?といったら、空想世界が優先されるのが特徴だ。

アニメ脳人種は、心のひだといった、人間関係の煩わしい部分は苦手である。でも興味はある。苦手だけど、自分の中の世界にある修業的要素と合致すれば向き合うことができる。自分の体験をアニメや漫画のシーンと関連付けられればいいのだ。

基本的に理想とするのは、ふわふわとした人間臭くない軽薄な人間関係なのだ。新時代では、映画やアニメなど様々な世界観があり、現実のモノの価値よりも、そうした世界観に入り込んでいることのほうが価値があるようになる。面白い世界を創るクリエイターが尊敬され、政治家は勿論、大統領だろうが社長だろうが、現在のこの世で重要視されていることは、実はどうでもいい。重厚長大な世界はとっくに、うんざりで面倒くさいだけなのだ。

人の価値も、自分の中の世界観でしか判断しない。いわゆるセカイ系アニメと呼ばれているものは、自分の主観が世界の中心というもので、そのさきがけがエヴァンゲリオンなのである。

エヴァンゲリオンには、オウム信者のインテリ層が関わっていたという話がある。劇場版ではないアニメ最終2話を是非見てほしい。それまでの24話までとはまるで違うアニメかと思うほど表現が変わっている。当時はかなりの論議が巻き起こった。

あまりにも哲学的で解り難く、批判的な意見が出ていたため、「劇場版」にて最終2話がわかりやすい「形」として、作り変えられたほどだ。しかし、あのアニメの本質はアニメ放映版最終2話に存在し、そこから全ての物語が創られていったのだ。主人公である碇シンジの内面世界=外的世界で、現実と空想の狭間がないのだ。

エヴァンゲリオンには、オタク受けするための技法が数多く取りこまれている。例えば、技法の一つとしてエヴァンゲリオンでは、少し難しくわかりにくい秘教的な言葉やイメージをわざと使っている。それによって、インテリやオタクは優越感を感じ、普通の人も理解していなければ恥ずかしいような状態になった。

エヴァンゲリオンはある意味ソフトオウム的なアニメだったのだ。またここから我々はすでにいつの間にかオウムの根本原理に触れている。地下鉄サリン事件の大罪により、徹底的に世間から非難されているオウム真理教の根本原理はその非難ゆえ知られていない。

しかし、その奥に隠されていた本当に伝えたかった根本の部分を、私たちはいつの間にか形を変えて知らずに自然と受け入れている。ちなみに、歌手の尾崎豊も当時、オウムとの関係性をいろいろと言われ、歌詞等が危険と評価された。しかし今も彼は人気がある。エヴァもまた今も人気が続いている。

エヴェンゲリオンにはパイロットがいる。エヴァンゲリオン自体は、人の形をした兵器である。実は、現実の人間にもパイロットがいるのだ。そのパイロットが人の形をした人間を動かしている。そのパイロットとは霊魂である。

人間を見るとき、その人の表面意識を見るのではなく、その人を操縦している霊を見るようにしなければならない。普段見ているのは、ただの乗り物であり、操縦している“霊”が必ずいる。少なくとも自分自身はそう捉え相手を見ている。

エヴァンゲリオンの闘いは、魂、霊力、イメージの力が勝負を決める。いちいち詳しく操作などしないのだ。自分の持っている見えない力が重要である。筋力など肉体的影響は受けない。脳力・霊力勝負と言ってもいい。これからはそういう時代だ。いかにすごい霊が降ろせるか?そこに興味が移っていく。

物質的な欲よりも、自分の世界を豊かにしてくれる世界観とそれに連動した現実を求めるようになる。究極的には、映画「マトリックス」「アヴァター」のような世界を求める。

実は、前時代に成功していた人間達は、ある意味で今のゲーム脳のようなモノの持ち主だった。現実をゲームと捉え、大胆に世間では無理だとおもう空想ごとを現実社会に持ち込んだ。その結果、そのイメージを現実化させることができた。

今は逆にゲーム脳が多すぎて、それが通用しない時代になったのだ。価値観が多様すぎるのだ。だから有史以来の大変化なのである。新時代の新しいルールに突入したのだ。

これからは、自分の中の世界と周囲の世界をジョイントできるかどうかが問われてくる。

特別な世界に住む人間はみなアニメの世界のキャラクターのようであり、それすらも超える存在だろう。その人の特性が活かされて、それぞれが想像の世界で生きているキャラクター達なのである。

誰もが特別な世界を創れる。そこに矛盾はない。自分の想像が現実化しているだけだ。

我々の活動で起こることは、想像の世界よりも面白く、興味深いことが起こる。

「事実は小説よりも奇なり」というが、当たり前の様に本当にそうなのだ。我々の世界は小説、アニメより遥かにダイナミックでエキサイティングである!さて、あなたの現実は小説、アニメに勝っているだろうか?

いつの間にか社会の歯車の一つになり、脇役にもなりきれていないのではないだろうか?あなたは自分の人生の主役にいつでもなれる。なんの矛盾もなく。自分が本気になれば、自分の人生はノーベル賞を受賞する小説なんかよりも、断然面白くなるのである。

Ps:
‥ちなみに、私、尾関茂雄は当時も今もオウム真理教との繋がりは、全くございません。

ただ係わりのある沖縄で知り得たことから時代、霊魂の繋がりを現在、未来に展開、記述してみました。

「新世紀エヴァンゲリオンの秘密」への2件のフィードバック

  1. はじめまして、2年前に東京から沖縄に移住してWeb制作ディレクションの仕事に就きながら、沖縄生活を満喫している者です。
    たまたま、今日読破した本、ロンダ・バーンの「ザ・シークレット」を読んで、たまたまひょんなことから尾関さんのBLOGにたどり着き、本と共通した内容・・・
    >誰もが特別な世界を創れる。そこに矛盾はない。
    自分の想像が現実化しているだけだ。
    ・・・と書かれていて、ワクワクしてしまいました。記載一例・・・「もし、あなたが、しっかりと心にイメージすることができれば、それを実際に手にすることができます」ちょっとマーフィーっぽい内容の本です。
    あ、ちなみに私は出版社のまわしものではありません(^^)次回の日記の楽しみにしてます。

  2. やっと、エヴァンゲリオン・アニメ最終2話観ました。
    この話については、私は批判的意見です。自己啓発というより、単に子供たちを実験用モルモットにしているとしか思いません。悲しい話です。

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