ベトナム(日本の救世主たる国家)

つい先日、私はベトナムに行ってきた。すでにベトナムに行くのは5、6回目くらいになるであろうか。久しぶりの訪越である。私が計画している沖縄プロジェクトは、もちろん沖縄からの繋がりで、沖縄のみにあらず、世界中に広がっている。

ベトナムには我々の仲間がすでに10年以上前から住んでおり、時代を動かすためにVIETNAM~日本、沖縄~世界展開をイメージした布石的活動を行っている。

3年ほど前であろうか、ベトナム株が日本で流行った時期があった。あれはまだ時代が動くには時期尚早であった。日本からの行き場のない資金が、世界の発展途上国に流れ、バブルが弾けそして失われた。

完全な世界規模の仕手である。これによってかなりの資金を失った個人投資家は多いのではないだろうか。先月のドバイも同じである。グローバルマネーゲームによるワンパターンの構図だ。

それはともかく、ここ数ヶ月の間にジョイントにより修業した、熱くエネルギーが溢れる世界が欲っする若者を、数人ベトナムに送り込んだ。何故ならベトナムの熱く燃える時代は、そろそろ本格的に動きだす。ここ1、2年で激変するはずだ。

今回そのベトナムで、時代を動かすための布石を打ってきた。その話を少しだけしてみよう。

ベトナム、ホーチミンに到着し、空港から外に出た時の暑さが沖縄の盛夏を思いだす。快晴の夏というよりも、どんよりと湿った空気の暑さ。ベトナムは今乾季であるにも関わらずこの蒸し暑さ。「ベトナムに来た」という実感よりも、「沖縄の夏に戻った」という感覚だ。

空港にベトナム政府共産党の方が迎えにきてくれていた。空港からリムジンに乗り、道を走り始めると、懐かしいバイクの多さに、やっとベトナムに来たことを実感させられた。ベトナムでは本当に一人につき一台のような感じなのだ。(数字上でも、人口9000万人弱にバイク7000万台くらいあるそうだ)

広々とした公園で休んでいる人たち、バイクに乗ってどこかへ向かう人たち。東京だったら平日の昼間にこんなに多くの人が出歩いていることはない。この人たちは一体何をしているのだろうか?どの人も目が輝いている。エネルギーを感じる。

ホテルに到着すると、笑顔のベルボーイが出迎え、荷物を運んでくれる。ドアには二人もドアマンが立ち、お客様の出迎えを丁寧にしている。その洗練されたサービスは沖縄にある、いや世界のリゾートホテル以上の丁寧さだ。コネがものをいう社会なので、人によっては対応が違うかもしれない。

街中には古びた建物や、スラムを思わせる汚い場所がごろごろしている。そんな中に、たくさんの綺麗なホテルが立ち並んでいる。沖縄以上のチャンプルー(混ぜこぜ)だ。

ホーチミンはベトナムの中でも大都市だが、街中がチャンプルーされている。これがまたベトナムらしいと言えるだろう。ホーチミン1区は中心区域だが、都市開発というにはほど遠いバラバラな開発である。この反省からいま新たな都市計画が進んでおり、中心地は1区からやがて移動する。

ベトナムは政治的には、共産党の一党独裁政治により、その権力が保たれている。少しでも政府を批判しようものなら、掴まって刑務所に入れられるほどだ。だからこそ、沖縄での日本的利権構造よりも、さらに強固な利権が存在する。

いつも利権というものは良い悪いは別にして、一つの大きなチャンスでもある。利権とは利益に関する権利だが、特別な利益ほど本来は大義が必要とされる。特別な利益を得たものは、それを大義に使うことが求められるが、大義を失った者は、個人的な利益追求をするからおかしなことになってくる。

ホテル到着後、政府の人間たちとサイゴン川のディナークルーズにて会食が行われた。

ベトナムは世界中でアメリカに戦争で勝った唯一の国であることは、ほとんどの人が知っているだろう。(詳しく言うと、ベトナム戦争は代理戦争であったわけだが、細かい話は止めよう。)

米軍はベトナム戦争時に、沖縄の嘉手納基地から爆撃機を飛ばしていたのだ。多数の爆弾を備えて・・・。それを沖縄の人たちは、阻止しようとした。米国統治下の沖縄でベトナム戦争を批判する暴動を起こした。ベトナムと沖縄は、琉球王朝時代からのつながりがあったことも関係している。

それをベトナムの人たちは知っており、沖縄の先人たちに感謝しているのだ。実際に戦争証跡博物館の中に、日本語で書かれた戦争反対のポスターが展示されている。ちなみに著名な戦場カメラマンである、石川文洋さんも沖縄出身の方である。

ベトナムはこれから急成長し、劇的に発展していくことは間違いない。しかし、道を間違えると、日本のようになってしまう。日本は戦後、アメリカの資本主義に洗脳され、心と魂を失いかけている。そして、日本人の精神崩壊による影響で社会秩序が乱れ、それが経済にまで悪影響を与えるようになってきた。このままでは、日本が潰れるのも時間の問題である。

ベトナム人はかつての日本人と似ている部分がある。真面目で器用だ。そして志がある人が多い。また大農業国でもある。日本が体験してきた経験をベトナムは必要としている。ベトナムこそが日本にとっての、救世主となるだろう。そんな話を政府関係者とした。

「ベトナム(日本の救世主たる国家)」への1件のフィードバック

  1. 尾関さんの記事を読んでベトナムに行って、
    自分の目で見たいと強く思いました。
    沖縄とベトナムは繋がっているのですね!

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