ダライ・ラマ法王とオウム

先月、沖縄にダライラマ法王が初訪問された。朝青竜もわざわざ福岡から駆け付けたほどだ。

今回タイミングが合わなかったことと、事前(3か月ほど前)に身分調査をされていないため私は個人的には会えなかった。

お会いした方に話を聞いたが、考えてみれば法王はいつでも型どおりの話と質問ばかりで自分から興味あることはなかなか聞くことはできない立場にいらっしゃる。

通訳が、これは猊下に伝えられないと判断してしまうこともあるだろうし、話す側が遠慮してしまうこともあるだろう。今回オウムの話をしようとしたら、通訳に止められたという。

影響力があるゆえに、利用されてしまうことを周囲が一番気にしている。本人はそれも覚悟の上だ。

それらの思惑をも包む心で、法王は菩薩道を全うしている。

ダライラマ法王は、代々観音菩薩の化身とされ、予言と厳格な調査の上に選ばれてきた。世襲ではない不思議な縁だけが法王を選んできたのだ。

猊下にしか出来ない使命を誰よりも自覚しているだろう。そのような法王だからこそ、会いたいという人が引きも切らない。

ある著名人経由で意外な人物から法王紹介を依頼されたことがある。いわゆる裏社会の組長だ。こんな人も会いたいのだと驚かされた。

そんな魅力的な法王を利用して当初成長を遂げたのがオウム真理教である。

麻原はダライラマ法王との会談映像と写真を大いに利用して勢力を広げていったのだ。出来たての団体の権威付けには大層役立っただろう。

時はバブル絶頂期の時で、精神的なものより物質的なものが重要視されていた時代だった。結局振り返ってみたら、バブルに狂じていた人々のほうがおかしかったと今ならわかる。

あそこで精神的なものを重んじる文化に転換していたら今頃日本は世界をリードしていたかもしれない。でもそれは早すぎて潰された可能性のほうが高いか。

当時、物質ではない精神的な満足こそが重要だと考えたインテリ層の受け皿としてオウムは機能した。だからこそ、インテリが集まったのだ。優秀な人材が集まることでオウムは飛躍した。その一方で、その知識が間違って使われたのがサリン製造だろう。

当時サリンを製造所持していても罰する法がなかったのだ。

エリート集団が、メディア受けするマーケティング戦略を行い、事件が起こるまでは多くの知識人や芸能人が支持していた。知名度も上がり、他宗教団体が恐れるほどであった。

そうして選挙戦略も練り、彼らの計算によると当選する自信があったので、下位の信者をも候補に仕立てた。しかしながら、結果は惨敗。そこで何があったのか?計算が違ったのか?
結果を総括し今後の戦略を練るために彼らは沖縄で合宿をしたのだ。

そこでは、99年まで待てば時期は来ると決断したという。
しかしながら、因縁の輪から綻びが産まれ、かような流れとなった。

調べてみたらわかるが、今も創価学会を筆頭に、新興宗教の多くは沖縄に事務所や土地を保有している。それは何故か知る人は少ない。

様々な思惑が絡む沖縄にいると本当にいろんな情報が入って面白い。

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