ベトナムと沖縄をつなぐもの

私はなぜベトナムに行ったのか?
観光がしたかったわけではない。
沖縄とのつながりがあったからである。
琉球王朝時代から貿易でつながりがあったようだが、米軍の存在が大きい。
下記の記事をご覧いただきたい。
企画・連載 : 沖縄 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 沖縄にとってベトナム戦争とは何であったのか。ひと言でいえば、戦争と占領の継続を生かされる沖縄を自覚化させられた、ということである。「キーストーン・オブ・ザ・パシフィック」としての沖縄は、ベトナム戦争の攻撃・補給基地であり、またベトナムへ向かうアメリカ兵とベトナムの戦場から一時帰休した兵たちの「慰安所」でもあることをまざまざと見せつけられたのである。
ベトナム戦争の全面的拡大を告げたアメリカ軍機の“北爆”が開始された1965年2月7日の翌日、在沖海兵隊航空ミサイル大隊が南ベトナムに派遣されたのをはじめ、5月には沖縄でゲリラ訓練を積んでいた南ベトナム政府軍が帰国したことや軍用船乗組員に対しベトナム行きが命令されたこと、そして7月には「台風避難」を理由にして嘉手納基地にやってきた「黒い殺し屋」と呼ばれたB52戦略爆撃機(68年2月から常駐化)が渡洋爆撃を行ったことなど、ベトナムと直結した沖縄の姿があった。沖縄の現実は、まさにアメリカ太平洋軍総司令官グランド・シャープ海軍大将が「沖縄の米軍基地がなければアメリカはベトナム戦争を戦えなかった」と明言したことを裏付けるものであった。

写真を転載すると厄介そうなのでしませんが、自分たちの上を爆撃機が
飛んでベトナムへと爆撃しにいくのである。このために反戦活動も行われた。
そのためもあって、ベトナム政府の要人が日本に来る際には
沖縄にも立ち寄ることが多い。
ということで、沖縄と密接に関わりがあるので紹介されていったのだ。
そして10年前から、ベトナムに人生をかけた沖縄人の宜野座さんが
現地の案内と通訳をしてくれた。
ベトナムに行ったなら、必ず行って欲しい場所がある。
戦争証跡博物館である。


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枯葉剤でくっついて生まれた子。奇形の子。
写真や展示が、嫌というほど戦争の現実を突きつけてきます。
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沖縄出身の戦場カメラマンの展示もありました。



「ベトナムと沖縄をつなぐもの」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。前田憲一と申します。沖縄に移住して5年目を迎えます。私は63歳の老人ですが、考え方が私と全くと言って良いほど似ているのに驚きました。と言ってもあなたほどの洞察力も表現力もありませんが。また、いろいろ教えられることも多々ありました。今後とも宜しくお願い致します。

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