世界を救うとは

世界を救う。そういうと、大それたこと、おこがましい、
無謀、器を知らないといった言葉が返ってきそうだ。
私は、
「世界を救う=自分を救う」ということではないかと
思っている。一人ひとりが自分を自分で救わない限り、
世界はとても救われないだろう。
誰か一人のヒーローが解決してくれることはない。
それぞれが、自立心をもって他者に働きかけるとき、
他人を通して自分が磨かれ、自分が救えるようになる。
自分を救うことは他者を救うことでもある。
他者を救うことは自分を救うことでもある。
世界が自分に集約され、自分が世界になる。
部分と全体は相似である。どちらか片方が変わってから
変わるものではない。同時に変化していく。
試練のたびに、ダークサイドが口を広げて待っている。
ライトサイドとダークサイド。肯定と否定。
一見、否定のほうが説得力もあり、当然のように見える。
しかし、最後は全肯定が全てを包み込む。
自分の中の二極対立を統合して世界は救われる。
世界を変える近道は自分の中にある。
幸せの青い鳥はどこにいたのか?
旅に出て、初めて家にいたと気づくものだ。
試練という旅の贈り物を今は楽しもうと思う。

「世界を救うとは」への10件のフィードバック

  1. 世界を救うこと=自分を救うことの考え方いいですね。
    今の世の中、日本を救いたいって言うこと自体にも
    そんな夢みたいなこと・・・なんて言われてしまいますからね。でも、思うことがまずは大事で、次に行動なんですよね。
    フムフム。。。

  2.  はじめまして。原田健と申します。
    喜納昌吉さん等も「すべての武器を楽器に」と唱える通り、奪い合いを調和*共鳴の方向へと変えたいと想い、日々 己の壁やその他の壁にぶつかっているうちの1人です。
     自分のなかに芽生える「怒」のエネルギーを「結」へと替えられるよう、相手の痛み*喜びを自分のものとして感じられるよう、日夜精進しています。
     壁がなかった幼い日々を懐かしみ、融合*ゆいまーるの芽をこころに植えつつ。

  3. >ライトサイドとダークサイド。肯定と否定。
    一見、否定のほうが説得力もあり、当然のように見える。
    しかし、最後は全肯定が全てを包み込む。
    自分の中の二極対立を統合して世界は救われる。
    世界を変える近道は自分の中にある。
    そうですね。光と闇、それを経験して、そしてたまに闇にひっぱられそうになりながら、でも最終的には“許す”=自分自身も他人も、それによる出来事も それが自分をしいては他人も世界も救う事になる。
    とても実際は難しいけれど、最後は全肯定が全てを包み込むのだと思います。

  4. まずは、目の前の試練を乗り越える積み重ねを地味に続ければ、おのずと自分が救われると思います。

  5. コツコツと野球の送りバントのようにサインをキャッチしたら確実に当てに行き、塁をすすめられるめるようしないといけないですね。まずは自分の監督は誰なのかをしっかりと受け止めないと。。

  6. 自分は世界のほんの一部。自分を変えられなければ世界は変えられないのは自明の理。
    大きな想念を語るのは容易だけれど、地道な努力を続けることのほうが、ずっと難しい。その試練を乗り越えて初めて理想郷は生まれるのだと思いますよ。

  7. ozekiさん
    人は皆、自分の中にある寂しさを
    中々受け入られないと 感じています。
    私も受け入れるのに時間 かかりました。
    喧騒の中で誤魔化すことでは解決できない。
    ただ時間が過ぎていくだけ・・・
    1人の時間を多く重ねたときに、光と闇の狭間に
    にいた時間があったからこそ、わかったことです。
    その時から、歩みがはじまりました。 

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