幸せのカタチ

かつて、若くてお金もあり、時間もあった頃は、幸せとか生きがいって何だろう?と悩んでいた。愛宕ヒルズの最上階にあったプールでひたすら読書していた。どんな本を読んでも、知識欲は満たされても心が満たされない感じ。

昼間からプールでゴロゴロしている若い人は誰もいなかったし、ほとんど貸切状態だったけど、三木谷さんがサウナでゴルゴ十三を読んでいたのを思い出した。読んだ本をすぐ捨てたりしてるのをみて、セレブだなぁと貧乏くさい私は感じた。

サウナとお風呂があり、そのお風呂でぼーっとしていたら、

「いい天気だねぇ」と話しかけられ、そこから関係が始まった高間氏は、沖縄において共にひどい目にあった仲だ。引き込んでしまい申し訳ないと思っている。

愛宕時代は、何一つ不自由はなく、部屋からエレベーターですぐプールやお風呂にも行けて、レストランもあったし、ルームサービスも取れた。出前も山ほどあるし、車に乗ってもどこへ行くにもすぐ行けたけど、幸せだなぁと思ったことはあまりなかった。

自分は恵まれているなぁとは思ったけど、そうした生活が当たり前になると便利だから幸せになるわけではないのがよくわかった。逮捕された後は、ヒルズに住めなくなった。逮捕だけで無実の場合もあるのにそれは関係ないようだ。騒がせたらアウトなんだろう。ま、もう未練はないけど。

ところが、最近ふとした日常で、幸せだなぁと思うようになったのだ。普通のことが嬉しいと感じるようになって自分でも驚き。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものである。

例えば、こんな僻地まで、5歳と9ヶ月の子供を連れて、東京から泊まりに来てくれた友達たちとご飯を食べていた時とか、子供の可愛らしい質問とかに答えてる時など、ふとした瞬間で幸せを感じたのが嬉しかった。

若い頃にたくさん経験して、日常に感謝できるようになったことはとてもラッキーだったと思う。人は失敗したら優しくなれるし、辛い気持ちもわかった方が人格向上的にはいいことだと思う。だからいつも、その時に感じることは二度とはないのだから、失敗を恐れずに思い切りやればいいと思う。

自分もいっぱい失敗もしたけど、結果良かったと今も思える。過去の自分にいくら、

「当たり前が本当は当たり前じゃないんだよ」とか「感謝しろよ」と伝えても絶対にピンときてないだろう。私みたいなバカは体験しないとわからないのだ。

東京タワー、富士山、レインボーブリッジがよく見えていい部屋だったな。あれはあれで楽しかったと今では良い思い出になった。自然の眺めも負けてないと思う今日この頃。どちらにもいいところはあるからね。過去の自分に言うことがあるとしたら、どうせお金はとられてしまうのだから、ケチケチせず使ってしまえと言いたいね。

さて親子共々優しい家族だった。癒される。治療家は優しい人がなるものですね。そんな彼に会いたい人は、手技道まで是非どうぞ!心と身体の治療院です。

 

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