旅の途中

人は判断をする。
やってくる情報にラベルを張り在庫する。
ラベルされたものは自分のものとして所有される。
それは自分のものとなった。
それは自然から切り離されてしまったものだ。
切り取った一部を楽しむこともできるだろう。
しかし、それは既に死んでいる。全体を感じることは不可能になる。
ある人が、仏陀が悟る前の行動を逐次評価していたとする。
・シッダルダは今日昼寝をしていた。だから駄目な奴だとラベルする。
彼が仏陀となり光明を得たと知ったものが彼を評価したとする。
・仏陀は慈悲と安らぎの表情をたたえ横たわっている。どんなときも偉大な人は違うとラベルする。
ここで自分に言いたいことは二つある。
1.課程を評価しない。常に今の時点でのベストとおもい、肯定的に捉える
彼がどのようなことを望み、生きようとしているのか。外側からはなにも見えない。
自分の尺度でしか判断できないのであるから、全面的に肯定する。
2.対象物に自分が振り回されずに、すべての責任を自分が負わねば自由になれない
人は人。みな人それぞれに旅を生きている。自分が常に自分の主人である。
誰かの奴隷にはならないで。
私はまだまだ旅の途中。自分で責任を取るということがわかっていないようだ。
奴隷と主人の状態をいったりきたり。

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