四十九日法要

去年から近しい人の死が続いておりました。母と仲の良かった叔母と、そして母の忌明けとなりました。いつも気を使ってばかりの母は、自分のことよりも人のことを心配してばかりの人生だったように感じます。祖母と同じく、いつも大袈裟に心配したり話したりしていて、家族の中ではオーバー会の二代目会長と呼ばれていました。
皆様もご存知の通り、私は心配をかけてばかりいましたので、死期を早めてしまったのかもしれません。
「親には心配かけるほうが、おちおち死んではいられないと長生きできるんじゃないの」と、私は母に言っては
「もうたくさんよ」と呆れられていました。
心配性でありもしない心配をしては、笑いの種にもなっていました。表現はどうあれ、相手のことを想う気持ちは本物でした。母の子供でよかったなと思うことが多々あり、今の私を形成してくれた大切な人でした。しつこく、うっとうしいくらい、言い続けてくれたお陰で、今も母の言葉が聞こえてきます。
もう心配しなくてよくなったから、あの世で楽しみながら見守ってくれたらと願います。これまで控えていた発信も徐々に再開したいと思います。心配をかけてばかりいた事実をもとにしたフィクションでも書いてみようかと思っています。
仏となった母に見守られながら、思い切り生を生きて、またあの世で、死んでからも心配していた話を聞きたいものです。
一緒に大笑いしたことを思い出します。楽しく、愛にあふれた人でした。母を少しでも見習って、人への想いを大切にしたいと思います。今後とも迷惑をおかけするかもしれませんが、いつも心配してくれてありがとうございます。