インターステラーと予告犯

「2001年宇宙の旅」、「コンタクト」、に続く映画である「インターステラー」はもうご覧になりましたでしょうか?監督であるクリストファーノーランは「ダークナイト」で善悪二元論では語れない話を表現しました。彼の映画では、以前も書いたヒースレジャーや、今回のマシューマコノヒーのように、ただのイケメンではない人物が重要な役割をしめています。
マシューマコノヒーは、「コンタクト」では宗教学者役。今回は科学者の役。「コンタクト」では、主人公であるジョディフォスターの科学者に向けて「君が父を愛していた証拠をあげよ」と語っています。そして今作「インターステラー」では、まさに父が娘を愛していた証拠を幽霊として見せるのです。

「インターステラー」では、父娘の絆編というPVがあります。


因縁の想いは重いのです。だからこそ数々の人間ドラマが生まれ、血族が大切にされてきました。想いは強いほど重くなります。そしてそれはまるで重力が時空を超えるように、想いも時空を超えていきます。時を経ても、人が残した想いは引き継がれていくのです。



コンタクトでもインターステラーでも、女性の科学者がキーマンになっています。女性が時代を開いていく、新たな世界を感じさせます。先が見えない時代に、信号を受け取りやすいのでしょう。直感というものによって道が開かれていく様子は、本映画でも描かれています。
人は誰かのためになら死ねるのです。人類のため。家族のため。大義なのか、愛なのか、人それぞれでありましょうが、想いは自己犠牲へつながり、愛となります。それは伝わるか伝わらないかは問題ではないのです。
本作では、人間関係からチャンスが生まれ、そしてまたそれゆえにピンチが生まれます。ピンチでさえも諦めない姿勢が次のチャンスへとつながる様子が描かれています。壮大で前向きになれる映画です。
本作のキーワードには「マーフィーの法則」があります。
"起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる”
その根底には、逃げずに向き合うものには必ず神は見ているという信頼があるように感じます。
「インターステラー」と対照的だなと感じた作品が日本にはあります。「予告犯」という漫画をご存知でしょうか?来年映画化もされますが、本作も誰かのためにという想いがキーワードとなっています。
 

「日本の社会は人と違う生き方をする者たちに残酷です。仕事に就かなければ世間の目が冷たいし、失業すればそのまま社会からはじき出されてしまう可能性だってある。『予告犯』を通じて読者に訴えたいのは、こんな社会が正常なのかよく考えてほしいということなのです」。

引用元: ネット世代の漫画家、筒井哲也がフランスでウケる理由 – ローラン・ルフェーヴル.

と作者は語っております。「インターステラー」がエリートたちの想いだとすれば「予告犯」は庶民の想いと言えるでしょう。
「インターステラー」ではディラントマスの詩がよく朗読されます。
「穏やかな夜に身を任せるな。老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ、怒れ、消えゆく光に」
どんな時でも諦めるなと励ましているような詩です。
予告犯では、よく言えば終わりの美学があり、足掻いたり見苦しいまでに執着したりはしません。マン博士のようなことは起きないのです。極限ではエリートだろうが何だろうが人間的な性質が垣間見えます。どちらも、誰かのためにという想いがありながら、紡ぐ物語は対照的です。
どちらも深く考えさせられる作品です。作者の想いを感じ、自分なりに活かしたい作品です。