不惑を生きる

四十にして惑わずの不惑の歳となりました。生きております。今日まで更新停止せざるを得ないほど激動な大変化を体験しました。事前に「経験したいか?」と聞かれれば、「いえ、結構でございます」と言いたいところですが、責任というものを背負った者としては逃れられないものであります。
この間、好むと好まざると関係なしに、自然と原点回帰をさせられてきました。大きな計らいを感じる、天の導きです。必然だったのでしょう。この世でのお別れを告げることも何度かありました。自然と道が開かれていきました。今の世の中、自分という自力に重きが置かれ、他力に任せることは良くないことのように捉えられています。本当の意味では人は、我を離れ、天の欲するところを務めることが幸せだと感じます。親鸞のいう、自然(じねん)であります。
もちろん、それはすべて他人任せでは到達できない境地です。私の場合は、間違っているかもしれないけれども、勇気をもって踏み出し体験しなければわからないことでした。私が今までにないほど心血を注いだプロジェクト、30代の人生を捧げた沖縄での活動は、家族や人間関係、経済的な価値、社会的な評価を失うこととなりました。しかし不思議なことに、20代のころのように自殺したいとは思わなかったのです。不感症になったわけではなく、20代の頃に感じた辛さとは比較にならないほど強烈に苦しくて、髪が薄くなったほどです。この痛みは、今も、もちろんこれからもケジメをつけるまでは続くことでしょう。忘れないために心に刻み続けねばなりません。
痛みと共に、信じるということの概念について、心の限界を試され続ける日々です。本来、信じることに限界はないですが、理解できるからといって、すぐに無条件に実行できるかというと別問題です。心のトレーニングが必要でしょう。自分が傷ついたことを理由に、信じない道を選ぶ選択肢もあるでしょう。しかし、信じる道と疑う道があるならば、信じる道を選ぶことに迷いはありません。けれども、無暗に盲目に盲信するのは奴隷です。葛藤の先に光の道が見えると信じています。
私がどんな境遇であろうと、変わらずに応援支援してくださる方々には本当に感謝です。思えば私は感謝を知らない人間でした。相手のことより、自分の感覚を強引に拙速にしていたと感じました。想いがあればすべて許されるわけではありません。原理主義を経験したからこそ、する側、される側の気持ちを体験しました。想いの話は、謝って済む問題ではないので、教訓を生かして前に進むしかありません。
誕生日を迎えた今日、多くの方から気にかけてくださるメッセージを頂きました。不義理をしている私に対しても、暖かく接してくださる皆様、本当にありがとうございます。その中でも、同志として一緒に励ましあえる友や、弟分なのに兄貴のように頼りがいのある人などに恵まれて、東京での活動拠点が出来ました。
彼は私に、
「かつて自分が育ったbirthのような場を復活させたい」と想いを伝えてくれました。そして、「Re Birth」が生まれました。詳しい場所は非公開ですが、六本木にあります。直接連絡頂ければご案内させていただきます。
沖縄との縁も切れたわけではなく、先日ご縁があり宮古島に行く機会がありました。同じ便に、必然としてビットバレー時代の縁があり、信号を感じました。あの時代に、ビットバレー提唱者の一人、小池さんからNetyear社の名刺をもらい、その肩書には「catalyst」とありました。彼が私の動きを見て名付けてくれたのです。以来、ずっと気になっていました。新たなケジメとして、Blogタイトルを変更しました。
インターネットで社会を良くしたいと願った当時の気持ち。沖縄は日本の南北問題だと感じた気持ち。その気持ちは忘れているわけではありません。デジタルとアナログの枠を超え、私の中に培った感覚を信じて、40代を築いていきます。昔から、厄年は飛躍の年だと言い続けてきました。
5日は体調が悪いこともあり早く床に就きました。6日なぜかとても楽しい気分で夜中に目が覚めました。すると171年ぶりの二度目の13夜のお月様。13夜は虚空蔵菩薩と関連つけられています。空海の虚空蔵求聞持法は有名ですね。広大な宇宙のような知恵と慈悲を持つ菩薩。その守護のもとに、愛とキッカケの「catalyst」となり、「Re Birth」していきます。
40代も宜しくお願い申し上げます。