どんな現実を見たいですか?

 「人々は見たいと欲する現実しかみない」と7月Julyと皇帝Kaiser(カイザー)の語源となったカエサルことジュリアス・シーザーは洞察しました。冷静に物事を見極める前に、偏った視点で見てしまうのです。サングラスをしてモノゴトを見ているのと同じです。感情というグラスが入っていると特に冷静にはみれません。それを知っている者は、感情的になりやすい状況を作ることで、自分の欲する現実を創造するのです。

戦争など大衆は誰しも嫌なものです。だが、戦争が好きな人達もいるのです。命令する側とされる側。命令しやすい環境がなければ無理はできません。大衆は義憤に駆られたら、冷静な判断ができなくなります。911のようなことがあると感情的になるのです。尖閣諸島も竹島もしかり。報道は意図的にされていることを意識しなければ踊らされるだけです。911のあとに起こったイラク戦争は何だったか?最初に言われていた理由などすべてウソであったことが判明しても、過ぎたことだからもうどうしようもないと沈黙です。あれこそ陰謀ではないでしょうか。古くはルシタニア号事件なども未だに謎に包まれています。堂々とするからこそ陰謀に見えないのです。
今回のボストン事件も控えめに言って自作自演の可能性がかなり高いですが、きっと常識的な良識派を自負する方々は、そんなことあり得ないといわれるのでしょう。常識人が一番体制にとっては都合のいい人種です。あり得ないと思わされているとは思わないです(笑)どんなにおかしい情報があったとしても、それを深めることなく思考停止するのです。「陰謀論に乗せられるなよ」と冷笑しながら。そうした態度が賢く見えるのです。
自分の意志などなく、ほとんどが無意識に影響を受けて意志を作られていると思った方が現実に近いでしょう。私も含め、誰しもそこから逃れられないのです。環境という情報が人を作ります。だからこそ環境を作ることに価値があるのです。
サイコパスというアニメがあります。魔法少女まどか☆マギカの脚本を担当していた虚淵玄氏が脚本を同じく担当しているアニメです。虚淵玄氏は死にそうな体験をしたことが彼の飛躍のキッカケにもなっていますが、それはまた別の話ですね。
サイコパスの一部ネタバレになりますが、システムを逸脱するモノこそ、システムは欲するのです。そうした振れ幅を取り入れることで進化できる。相容れないものを受け入れる度量、器がなければ高みへとは登れません。矛盾の中に答えがあると何度も言っていることです。矛盾を受け入れなければ、小さな世界でお山の大将になるのが関の山です。中小企業の社長がハマリやすい罠ですね。半端な成功が妙な自信を持ってしまう。しかし、体制としても本当は突き抜けた人間を欲しているのです。半端な釘は打ちますが、突出するならば受け入れたいのです。
霊的な人にもハマりやすい罠があります。自分の感覚を過信するあまり、自分が一番神に近いと自負するのです。ユタ同士が仲良くなれない理由でもあります。宗教戦争も同じですね。自分の神こそ本物だと。半端な霊感が自分を小さくしてしまう。謙虚さを失った末路です。シザー・ハンズを見ればわかることです。
本当にそうかな?と自分で調べて考えて、誰が得をするのか?どんな意図があるのか?と多角的に考えることは大変疲れることです。頭脳は面倒なことが嫌いです。楽したいのです。それには常識人でいることがもっとも楽です。周囲に合わせていれば何の問題もないからです。
ある会社が成功したとします。たまたま時流に乗れただけなのか?時流を作ったのか?時流を知ってて利用したのか?今は同じ結果に見えたとしても、未来は変わってきます。一発屋が多い理由でもあります。
霊示は審神者(さにわ)が必要です。自分だけではその霊示がどんな意味を持つのか、悪霊なのか天使なのか、わからないのです。慎重に吟味しなければ、本人にそのツケが回ってきます。狂信者の末路はいつも悲劇です。
利用するもの。利用されるもの。利用されると知ってても、更にそれを利用するもの。あえて利用させてシステムの一部にしてしまうもの。下には下がいるように、上には上がいるものです。地球に生まれている以上、どんな人間も修行しているようなものです。道途中であることにはかわりはないのです。道を歩く同志、励ましたり喧嘩したり、様々なドラマを演じながら歩いているのです。
目の前の役割を真剣に演じることで、次の映画が決まるのです。悲劇のヒロインになるのか、英雄物語になるのか、ベニスの商人になるのか、すべては自分次第です。人はみな、楽して楽しく生きたいと願っています。そんな簡単ではないから面白いし、表面的な楽しさだけを追求するならば輩になるだけです。
かといって輩が悪いわけではありません。色んな役があるからこそ、映画も舞台も盛り上がるのです。善人だけの映画なんてつまらないだけです。悪役がいるから盛り上がるのです。そして悪役のほうが魅力的なものです。
イヤも嫌も好きのうちなのです(笑)

悪役の存在意義

 北朝鮮が話題を振りまいている。恐らくほとんどの日本人は危ない独裁後進国家という視点で北朝鮮を捉えているだろう。別にそれを否定するつもりもない。確かにそう見える。良い悪いを言いたいのではない。ただ、その視点でかつて日本が見られていたかも知れないと、北朝鮮を見ることで我が身を振り返ってみたらどうだろうか?

大日本帝国の3代目である昭和天皇は、25歳で最高権力者になった。同じ3代目の金正恩よりも若いくらいだ。まぁほぼ同世代で、カリスマ化もかつての天皇を真似ている。大日本帝国の日本は、今の北朝鮮より国力もあったわけだから、さらに恐ろしかっただろう。
大日本帝国も自衛のためにとアジアのためにという大義で戦ったように、北朝鮮も自衛と民族統一という大義で戦っている。北朝鮮にとっても、韓国にとっても、周辺国にとっても、実は膠着状態が続いていてくれたほうが良かったから、こんなにも長い間体制が維持されてきた。元々は大日本帝国の領土であったことを忘れてはならない。因縁付けしてしまったのだ。関係ないことはない。

世代が変わるということは、過去の経験がリセットされることでもある。また、因縁は繰り返すのは、個人でも民族でも同じ事がある。繰り返すといっても、必ずしも同じ事が繰り返されるわけではない。攻撃側が守勢側に回ったり、男が女になったりと、逆のことを魂が体験することもある。もし、自分が相手の立場だったらと想いを馳せるだけで二倍学べる。
日々連続しているから、いつから流れが変わったのかはわかりにくい。振り返ってみたら、あのへんからおかしかったとか、あとからしかわからないから面白いのだ。
人によっては、世界は平成7年7月7日から変わったという見方もある。日本は世界の最先端を走っている。世界の実験場でもある。原爆も原発も高齢化社会も、そして0金利も。日本のあり方が世界に考える材料を提供できるのだ。沖縄問題は少数派をどう扱うかというテーマだ。中国のチベット問題に対して、提案するのと同じなのだ。
これからどんな社会を築きたいのか?量を追求することだけではなく、どのような質を目指すのか?世代間のギャップをどうやって埋めていくのか?世界にどう貢献していくのか?我々はそれだけの資質があることを誇りに持ちながらも、世界の中の一員としての自覚を持つべきではないだろうか。
ある意味、北朝鮮は悪役という自己犠牲をしてくれているとも言える。天使とも言える。悪役がいなければ学びは少ない。でも本当は悪などないのだ。理性を持って冷静に見た時、相手に振り回されることなく、相手のウワテをとれるのだ。そうして導いてゆくのが菩薩道だ。
文句や非難は簡単だが、それでは相手は頑固になってしまうだけだ。身近にいる北朝鮮のような人間にどう接するかで、自分の成長が試されるのだ。目先の人間関係の延長線上に、民族の関係もある。
いまあなたならどう接するだろうか?

柱(はしら)

 素直さの話を前回書いた。素直を自分の都合の良いように捉えると、それは素直ではなく、単なるワガママとなる。悩み、苦しみ、本当にそうだろうか?と試行錯誤した上での判断は価値がある。どんな形になろうとも、そこから学ぶことは多い。

頭脳派の人間は、悩みすぎて逆に決断ができなくなる場合がある。直感派は、エゴからくる直感なのか、魂からくる直感なのかを慎重に見極めなければ、単なる気分屋にしか見えない。霊的な信号は、どのように捉えるべきか難しい。同じ信号でも、受け取る人間によって、全く正反対のことを告げているように見える。
視点の違いでそのようになるのだが、表から見るか、裏から見るか、横から見るか、上から見るか、下から見るか、で変わってくる。だからこそ、柱が必要となる。一つの基準がなければ判断がつかないのだ。それが、原点だ。原点を大事にすることで柱ができる。
人間関係においてはどんな答えも、その時は正しくても、いつもそれが正しいとも限らない。同じ時はない。同じ答えもないのだ。常に一期一会で、金輪際で、二度はない。だからこそ、その時というのが二度とないかけがえのないものとして大事になる。その時を大事にしないから、次があると思うのだ。
真剣であればあるほど、やるかやらないか、言うか言わないか、などの選択の判断は難しくなってくる。真剣だからこそ、二度とない時を大切にするからこそ、時と場所を選ぶのだ。常に矛盾する選択肢も同時に無ければ判断できない。
関わるというのは責任が伴うのだ。簡単に責任は負えるものではない。覚悟と器が問われる。人間力がなければ背負うことはできない。だから柱がある人間にしか責任は取れないのだ。言うは易し行うは難しである。
選択する前から選択後の保証を先に求めていたら、その時を生きることはできない。落とし所を探っていたら、真剣にはなれない。ただ普通に生きるだけなら、ここで書いていることはかえって有害だ。変人かもしくは馬鹿扱いされるだろう。世間の常識と反しているからだ。
普通の世界では、例えば給料は決まってから働くものとなる。だが、革命的なことはそんな考えでは限界が来る。自分がやりたくてコミットするのが先で、その後に何がついてくるかはわからない世界に賭けるからこそ、周囲も感動するのだ。見えない選択をするには、柱と信じる心が必要になる。
ほとんどの人間は都合のいい所取りをしたいのだ。しかしそれは無理なのだ。真剣になれない人間に本当の喜びは得られないし、チャンスもない。一生懸命だからこそ、諦めないからこそ、神は微笑むのだ。信じられない人間には信じた人間だけが見える世界は見えないのだ。
リスクがなければリターンもない。
あなたには、「白うさぎ」が見えているか?