学ぶ心深ければ師は姿を現す

また226の日がやってきた。想いがあっても、それだけではうまくいかない。だが、想いがなければ虚しいモノになる。後の世にも残るモノは、想いがある物事だけだ。

前回「彩り」と書いたタイトル通り、色とりどりの反応があって面白い。タイトルの狙い通りだ。愛の反対は無関心。書き込んでくれるという事は、関心があるという事だ。愛憎は表裏一体。有り難い事だ。無視できない存在になっていかねばならない。

心配は「心配という名の支配」に繋がりやすい。良い事をしようとして、結果悪くなる事が多いのも特徴だ。これは因縁に多い。結果、良かれと思ってやったことで、足を引っ張る効果になる。また因縁は素直に応援できないことが多い。

会社を売るときも心配されたことを思い出す。普通に考えたら、自分で作った会社なんだし、そのままやる方が楽だし、心配もない。経済的な事だけを考えたら、そのままITビジネスをやっていた方が儲かっただろう。

しかし、経済的に成功した人々をたくさん見る機会に恵まれ、そんな人たちも家族の問題で悩んでいたりしていて、幸せそうには見えなかった。また、ビジネスは得意かもしれないけど、世界観に惹かれるものはあまりなかった。

虚業と実業の違いはなんだろうか?知らない世界を知りたくて、色んな世界の人と繋がった。その頃出会った人たちも、今や同じ状況の人はほとんどいない。人間万事塞翁が馬だ。何か幸か不幸か、終わってみるまでは何とも言えない。優秀とは思えても、偉大とは思えない。

人生が終わったとして、その生きた証が後世にどうみられていくのか?226事件でさえも、77年経ってもまだ変わっていくだろう。大きな事件でなくても、子孫にどういう人だと語られるのか?それとも忘れ去られていくのか。

本当に価値あるものごとはなんだろうか?それを探し求めてきた。それがやっと、沖縄で気がつけた。経済を捨てている訳ではない。潜水艦のように見えないところでやっているだけだ。沈黙の艦隊のように、見えないからこそ出来る仕組みを知っただけだ。かつてと同じ事をしても面白くない。

インターネットビジネスでは、大衆にアピールした方が価値を生む。しかし、世界の大衆にアピールする事が出来ないから、自分は見切りを付けたのだ。そこはアメリカにしっかりと握られている。世界で勝負するには、経済の世界だけでは通用しない。いくらでも政治でやられてしまう。

ブランドビジネスも然りだ。文化の殿堂は、ヨーロッパに握られている。世界の構造を知らなければ勝負も出来ない。現実、歴史で積み重ねられたモノを一朝一夕で変える事は出来ない。また無理にかえる必要もない。

大きな流れの中で、どこまで視点高くしてこの世のゲームを楽しむ事が出来るか?ただのほら吹きか、詐欺師か、黒幕気取りか(笑)、そのうちわかることだ。

北朝鮮はなぜ核実験を行ったか?またそのことで何が明らかになったか?
地震は何の信号か?
自分なりの世界観があるだろうか?

この世は決定論で動いているのだ。偶然でさえも考慮のうちだ。カジノでは、誰が勝とうが負けようが自由だ。仕組みとして胴元は儲かるようになっているのだから、細かく見る必要もない。儲かる事は決定されている。もっと深い事を考えて、ただ儲ける為だけにカジノを作るのだろうか?カジノを作る事で、一石三鳥は何だろうか?

世界観を持っている人間は何を大事にしているだろうか?価値ある人間とは?繋がりたいと思う人間とは?類は友を呼ぶ。真剣に目の前の繋がりに向かうコトなしに、先はない。チャンスとピンチはいつも裏表だ。覚悟のない人間は真剣になれない。覚悟している気になっている人は、いざというときに真剣でないことがわかる。

半端な覚悟、半端な真剣は、いっけん文句をつけようがない。だから大衆には受けがいい。真剣だから問題が起きる。問題が起きるから学べて進化できる。葛藤や苦しみが生まれるからこそ、価値ある問題となる。価値のない問題を解く事に一生を終える人もいる。

目線が下の人にあわせたら、どんどん目線が下がっていく。下にあわせず、上にあわせるのだ。下にあわせる方が簡単だ。上を向き続けるのは楽ではない。大衆ではなく、真剣な人間の目線を求めるのだ。

どんな道も楽ではない。深める、考えるという一番大変なことから逃げて楽して掴めるものはない。もがき苦しんだ分だけ身になる。

言うだけは簡単だが、言った言葉の責任は取らなければならない。責任は簡単に取れるものではない。必死になって向かう事で、どんな道もやっと開くのだ。

文句を言えるのはまだまだ余裕がある証拠だ。自分だけで必死になるのは難しい。だから人生は面白い。

彩り

人はすぐに白黒つけたがる。それは良いとか悪いとか。ハッキリさせないと気持ちが悪いのだ。頭の弱点でもある。幼児脳だ。ハリウッド映画はわかりやすい。だから理解されやすい反面、子供向けとも言える。

「攻めろ」と「守れ」を同時に言われたら混乱するだろう。が、その葛藤の中に答えがある。
「一体どっちなんだー??」という悩みの中からしか、価値ある体験とはならない。答えがないともいえるし、両方とも答えとも言える。

答えをすぐに求めるから、ハッキリさせたがるのだ。ハッキリさせたがる自分との戦いだ。本当に大事な事は時間がかかる。実が出来るまでは熟する必要がある。

答えが大事なのではなく、プロセスの中に意味がある。プロセス、経過が大事とはよく言われる事だが、大抵の場合、結果を出す為に経過が大事と捉えている。

結果の為ではない。例えば起業したとして、起業を成功させる為にプロセスを大事と捉えると、折角体験できることが半分以下になる。結果に邪魔となる事は体験しないでおこうとなるからだ。

ネガティブに感じた事も、結果を優先するならば無理矢理ポジティブにしかねない。無理してどこかにひずみが生じる。結果にこだわらないのだが、その前提の上で結果にコダワルことができたら高度だ。

プロセスの中、感じた事で自分が見える。そうしたら、別に起業じゃなくても他の道に気がつけるかもしれない。人生一度しかない。どうせだったら、色んな体験出来た方が幸せだ。

同じ仕事ばかりしていてもいいが、そういう人はこのBlogを読んではいない。いっけん同じ仕事に見えても、進化していれば外見は同じでも全く違う仕事となる。形式的な事を言っている訳ではないからだ。

自分と縁がある人は、菩薩志向があるのだ。菩薩の道も色々だ。どんな仕事でも菩薩道を歩く事は出来る。今の仕事でも菩薩的視点で取り組めば、全く違う仕事となる。

お寺に行くと、様々な仏像がいる。仏像の数だけ役目がある。自分の役目を全うできるか?そもそも自分の役目がわかっているか?ハッキリわかっていると言えるならば、それは自分で限界を作っている。

かといって、強い信念がなければ人には通じない。強すぎてもエゴになる。進化に終わりはない。答えは常に変化する。決めつけたら終わりだ。楽をしては、その瞬間から後退を始める。

世界は広大だ。人が一生かけたところでわかる事はたかが知れている。しかし、一瞬で世界がわかる事もある。その一瞬を求めて人は歩き続ける。

毎日違う自分であっていい。ぶつかり合って、協力し合って、カラフルな色を表現し輝くんだ。色んな色を楽しみながら。

物語のはじめ

建国記念日だ。また旧正月も迎えた。そもそも建国記念日とは何だろうか?国の原点を考えるキッカケにしてもいい。権威と権力の成り立ち。人が人を統治する縮図としての企業にも活かす事が出来る。

オランダのベアトリクス女王の退位が発表された。なぜこの時期に?彼女の父親は、ドイツ人で国際ロータリーやWWFの設立に関わり初代総裁である。そして、彼の働きかけでビルダーバーグ会議が始まった。

毎年行われているが、唯一中止になったのは、彼自身がロッキード事件に巻き込まれた時だけだ。そしてその娘の退位が発表されたこの時期に、ボーイング787の事故があり面白い。本当に事故だったのだろうか?ロッキードは関係していないだろうか?

関係あるのか?ないのか?あるんだとしたらどういう関係?ただのゴシップを超えて、発想を飛ばせるか?あり得ないと思う事で世界は満ちている。日本の中の常識の方が世界の中ではあり得ない。

自分の場合も、よく色んなことと関連づけて報道される。毎回、忘れた頃に報道してくれるお陰で、ただで宣伝してくれているようなものだ。

悪名は無名に勝るという。心理的には、最初悪印象の方が、後で好印象に変わりやすい。真実は予想外な事のほうが面白い。どうせなら、世界の流れに関わっていく方が面白い。日本はまだまだ鎖国状態だ。たった100万人しか海外に住んでいない。

海外に行くと、日本語が通じるのが、ブランドショップと夜の遊び場ばかりだ。帝国歴が長いイギリスは統治も洗練している。実際歴史を見ると、結構えぐい事をしているのにも関わらず、植民地国から尊敬されていたり、文化的な影響を受けていたりと、悪い関係になっているのは少ない。

それに比べて、未だに日本は悪く言われがちだ。良い事もしていても、それをアピールするのも下手だし、それより悪い事の方が目についてしまう。

外国に出て行けば良いという簡単なものでもない。出て行ったとしても、魂がなければ馬鹿にされるだけだ。建国の由来も知らず、先祖の想いも知らず、ただ受け身に生きているだけでは、ゾンビのようなものだ。そんな奴は誰も相手にしたくない。

語るべき物語を持っているだろうか?経済の話ししか出来ない、つまらない人間など世界で通用しない。素直でいい人だけでは、子供の世界だけでしか通用しない。

気付いた人間はいつの時代も少ない。日本という小さい世界だけを相手にしていてもしょうがないのだ。世界は広いし、可能性に満ちている。

語るべき物語をスタートしてから飛び込むのだ。物語の始めとして、これ以上ない場所が沖縄であるのは言うまでもない事だ。