時の裁判所

今日はダライ・ラマ猊下を沖縄にお呼びした日だ。尖閣諸島問題もあり、中国との関係性が微妙な時期にあえてお呼びしている。奇しくも、(ランダムか?決定か?)共産党大会が行われているこの時期に!そしてチベット族の過去最大のデモが起こっているこの時期に!

偶然だろうか?必然だろうか?偶然でもすごいし、必然だとしたらもっとすごいではないか。中国のチベット問題と尖閣諸島問題は関係ないだろうか?どちらも領土問題は存在しないことになっている。この時期に来沖するのは中国に対する挑戦とも見られるし、かといって訪問中止したとしたら、圧力に屈したことになる。日程は先に決まっていた。すると、こうなることがわかっていたのか?それとも偶然か?

「誰に会ってみたいか?」と聞かれた際に、
「天皇陛下かダライ・ラマ」と答えてきた私にとっても感慨深い。そして今日はその招聘に関係している、ある重要人物の方にとっての記念日でもある。この日に行われてるのは偶然か?必然か?毎日同じに見えるが運命的な日というものがある。多くの人間にとっても節目となる日だ。見える形では元旦などはわかりやすい。気付かれないが、見えない影響を及ぼす日もある。

話しを戻そう。血族ではない、予言によって選ばれるダライ・ラマ。血縁という因縁を超えた因縁。わずか3歳で生まれ変わりと認定されている。ノーベル平和賞も受賞して、欧米からも支持があつい。ハリウッドにファンが多数いる。なぜだろうか?チベットは裕福な国でもなく、有名な大学や教育機関があるわけでもない。暗殺されそうになりながら教育されたきた人間が、生き仏として慕われている。不思議ではないか?また、なぜ14世までダライ・ラマ制度が続いてこられたのか?どちらも形ではない、本質に触れる何かしら理由があるからではないか?

チベットは独立国ではなく中国の一部になっている。似ているが、ヴァチカンはイタリアの中でヴァチカン市国という扱いだ。対照的で面白い。ローマ教皇は高齢で選ばれる。ダライ・ラマは5歳で指導者の地位に就いた。どちらも血縁ではない。どちらかが分かれば一方もわかる。世界は相似で満ちている。

11月は私にとって節目の月になっている。チャンスと共にピンチも訪れる。飛躍できるか?それとも落ちるか?年々、誕生日プレゼントのサプライズのスケールが大きくなってきている。だからこそ、それを活かせなければ一気にツケがやってくる。嬉しい反面、崖っぷちに立たされる気分にもなる。常に逃げ場がない環境。それがあることに感謝である。

やり続けられる環境を作る事がどんなに難しい事か。作る側になって初めてわかることである。予想を超えてキッカケを作る事は簡単ではない。しかし、目の前の事にキチンと向かっていれば必ず導かれる。天の応援というものを強く感じる。環境が人を変えるのだ。

焦らず、力まず、だがシッカリと向かって形にしていく。根を張ることから、実を結ぶことへと意識を向けている。熟れた果物が自然と落ちる時に、落ちるその場に自然といられたら最高だ。熟する前に、力づくで摘むのでもなく、落ちてしまった実を拾うのでもなく。そっと手を伸ばすと同時に落ちてくるような共時性。そんな瞬間に微笑みが自然と生まれる。

しかし、その瞬間瞬間の判断をしないと、その先に行動もない。すると、
「やっておけばよかった!」では終わらない。しなかったことのツケがやってくるのだ。同じ時は二度とない。やらなかったことのツケは大きい。やりさえすれば、失敗したとしても執行猶予がつくか、また判決までの挽回ができる。何もしなければ、判決がくだされてしまうのだ。判決が下されてしまうと、それを覆すのは大変だ。時の裁判所が判決を下す前に、一生懸命努力して証拠作りをしておくことで、良い判決がくだるのだ(笑)

Ps:世界に一つしかない手作り装飾の帽子を頂きました!