徹底の先に愛がある

台風のエネルギーは凄い。破壊もするし、浄化もする。台風がなければ助かる事もあれば、来なければ困る事もある。短期的には台風はなければ良い。長期的には台風がなくては困るだ。影響力がある存在は善悪を超える。天使も悪魔も半端な状態が一番たちが悪い。助けられもせず、かといって破壊も出来ないようでは中途半端な状態が続いていく。

世の中の大半の人は、中途半端な状態が良いと思っている。中途半端とバランスが取れている状態は似ているように見える。中途半端なのか?バランスが取れているのか?自分だけでは判断が難しい。

現代では、個人主義、自由主義が正しいものだと大半が受け入れている。絶対的な正義などはない。自分一人だけ、個人だけの幸せを追求しても、分かち合えなければムナしいだけである。一人の満足は小さな自己満足にすぎない。かといって、自分一人の満足を追求するなというのでもない。

繋がりのある状態で、自分の持ち場を極めていく。繋がりのない状態では、自分が中途半端なのか?バランスがどうなのか?も見えてこない。お互い、真剣勝負の眼があるから磨かれる。普通の会社ではどうしても上下関係が出て来て遠慮が出てしまう。また、普通の組織は上下関係がなければ収拾がつかなくなる。だから、立場の上下関係でなく、持ち場と意識によって創られる関係は難しい。難しいからこそ価値がある。

どんな関係で繋がっているのか?お金なのか?情なのか?大義なのか?愛なのか?
それぞれにメリット、デメリットがある。使い分けられる人は少ない。とことん徹底的にどんな立場も極める事で、他の立場も見えてくる。徹底できなければ、天使が大天使へと進化する事はない。大天使と大悪魔は同じようなものだ。それぞれ力量がなければつとまらない。

徹底と言えば、かつて「いい人が飛躍できない理由」で書いた事だ。そのとき、トムクルーズの話しを書いた。そのトムは今年離婚をした。彼は徹底している。歴代の奥さんとかつての彼女を含め7人連続で同じ事を実行している。普通は情が入るものだ。情との戦いは苦しいものがある。なかなか出来る事ではないが彼は徹底して実行している。その詳細は敢えてここでは書かない。

破壊がなければ創造もない。日本全体が破壊を待っている。政治で言えば、議会制民主主義が限界に来ているのではないか?多数決がすべて正しいわけではない。どういう政治体制が機能するのか?経済的視点から見て資本主義は限界ではないか?金融はどうあるべきなのか?そもそも日本とはどうあるべきなのか?日本文化とは何か?根本から問うべき時代だと感じる。日本から見たら悪霊に見える国も、変化のためには必要なのだ。

自分たちは、来るべき時代の為の雛形を作っている。実践を通して学ぶしかない。家族のあり方も含めて、新たな生き方が問われている。いま当たり前と思っているスタイルは当たり前でなくなる。

ただでさえ、人口構造が代わるのだ。時代が変われば、考え方も変わらなければついていけない。目の前の事を徹底する事でそのヒントは見えてくる。短期ではなく、長い眼で物事を見なければ先は見通せない。見る目がなければ、どんな苦労も報われない。誰もが持っている直感と言う心の眼に従う事で道は開ける。

徹底して自分の心に従えば、途中の状態はどうあれ、最後は必ず
「終わりよければすべて良し」になる。途中良いけど終わり悪しより良いではないか。

時代とタイミング

とあるご縁から招待されて、シンガポールに行ってきた。シンガポールは島国で、マレーから見捨てられ、切り離されたような状態から奇跡の発展を遂げた国として注目していた。金融と観光立国で、沖縄の今後を考えるには学ぶところが多い場所だ。

かつては日本に学べと追いかけてきた国が、今ではもう自信にあふれ活気に満ちている。時代は変わった。アジアに来るといつも感じることだが、人々の目が輝いている。希望でいっぱいだ。今回お会いしたプライベートバンクの方が面白い表現をしていた。

「日本に帰るとまるでお葬式のような雰囲気。こちらは祭りのような楽しい雰囲気だ」と。日本にいるとアジアの一員という視点が見えにくい。この国だけで完結してしまうからだ。知らず知らずに内向きの考えになっていく。ちょうど面白い例を聞いた。日本の当局は日本に支店のある銀行にしか連絡をしないという。日本の支店に連絡して、日本支店から海外支店へと連絡させるのだ。わざわざ国際電話をかけてまで、自ら海外銀行に問い合わせたりしないという。日本の体質が現れる例だ。だから資産を守るには日本に支店がない方がいいそうだ(笑)

問題はそこだけ見ていては解決しない。外に目をやるだけで解決への糸口が見えてくる。

これから発展する国々と接点を持つのは大事だが、根なし草でつながっても何も生み出せない。きちんと根を生やす場所がなければ、ただのブローカーになってしまう。ただ儲けるという角度からしか繋がれないとしたら、資金力が上の海外勢に叶わない。影響力とは何だろうか?どこを磨けばよいだろうか?

日経ビジネスでも沖縄特集をする時代になった。自分が関わり始めた時、沖縄は詐欺が多いとか発展しないとか散々やめろと言われたものだ。それがいま、日本国内での成長率は沖縄が一番になり、今後も発展が見込まれる土地として注目されるようになった。人口も増えてる、基地の跡地利用もある、原発がなく自然エネルギー利用が進んでいる、といった好条件がそろっている。間違いなくこれから沖縄に参入する企業は益々増えるだろう。しかし、自分たちのように誰も注目しない時から関わっていたからこそ価値があるのだ。信用は後からでは作れない。

誰もが発展してると認めた時に来ても当たり前だ。それでは深く根差すには遅すぎる。これから発展する沖縄に深く根付いて、沖縄からアジアとの関わりを作っている。時代がやっと追い付いてきた。だから次の種をアジアにまいている。ベトナムがその筆頭だが、シンガポールでも種まきをしてきた。

我々は、ビジネスで繋がるのではなく、人として繋がることから始める。だから時間がかかるし、その方が断然難しい。目の前の仕事がないとわかりにくいからだ。会社を作るのはわかりやすい。人のつながりはそうしたわかりやすい基準がない。心を開くか開かないか。客観的な要素は何もない。

しかし最初が大変だからこそ、後が楽なのだ。最初楽をすると、後が大変だ。困難な時にすべてパーとなってしまう。今回お会いした人たちは、初めての人もいれば、10年来の人もいる。
「いよいよやっと一緒に仕事できるね」と。寝かせてきたから熟成した人間関係だ。

アジアからの投資、アジアへの投資。両輪が必要になってくる。日本の中で唯一の発展が見込める土地である沖縄をバックに、アジアの注目を集めている。海外から見ると日本は閉ざされて見えている。日本とアジアをつなぐ人がまだまだ少ない。チャンスは山ほどある。

今はどんなタイミングか?時代に合っているか、早すぎるか、遅すぎるか?タイミングによって関わり方も変わってくる。それを無意識に感じるのが時代魂なのだ。狙って出来るものではない。後で勝手に証拠がそろってくるのだ。

時代魂でなくても、見る目があればタイミングは見える。ただ、タイミングがいい時というのはタイミングが悪く見えるものだ。世間とのギャップに対し、自分を信じて飛びこめるか?勇気がなければ道は開けない。

見る目がある人間と付き合える人は幸せだ。見る目がない人間と付き合っても深い関係は作れない。勿論、自分に向き合っていなければ相手がどうであっても意味がない。見る目がある人は決断が早い。本当の価値とは何かを知っているからだ。荒波の中に答えはある。

九死に一生

九死に一生を得た。ひょっとしたら、前回の記事が最後の記事になるところだった。人生何が起こるかわからない。死ぬときはあっけないほど簡単に死んでしまう。何の予感もなく。

生れて育つには、時間と労力、資源がいる。死ぬのに時間も労力も資源もいらない。作るのは大変だが、壊すのは簡単だ。
死を目前に感じた時、とてつもない恐怖を感じ、心に葛藤が起きた。死は眠りと同じだと頭で理解したことなんて吹き飛んでしまう。ただ天の助けにすがりたくなる。少しだけ死が先延ばしになり、助かるかもと感じたら、途端に自分中心のエゴの考えが浮かんでくる。
自分との闘い。追い込まれて心の強さが試される。自分は弱い人間だ。焦りや動揺を表面的には隠せたとしても、心はすべて知っている。自分自身の弱さと向き合い見えたことがある。一人だけでは超えられない困難もある。
助かった今だからこそ言えるが、貴重な体験をした。いざというとき、人間にできることは少ないが、それでも出来ることはある。必死に生きた分だけ天はその想いに応えるのだと感じた。
生きているだけで感謝だ。これからはおまけの人生。死んでいたらなかった人生。であるならば、些末なことに思い煩うことなく、思い切り生きるのみ。
死んでしまえばすべて無だ。だからこそ生きているうちに思い切りやるのだ。
先日アメリカで、乱射事件で九死に一生を得た後に、再度乱射事件に会って亡くなった方がいるというニュースを見た。一度助かったからと言って、次も助かるとは限らない。
本当に人生は何が起こるかわからない。
奇跡としかいいようがない体験をし、計り知れない見えない働きを感じた。
感謝とともに精一杯生きるのみである。厳しい自然を身近に感じる環境にいる人は、そうした活かされているという感覚を肌で感じているのだろう。
今回の経験では大きな愛に守られて、
思い切り生きるように!
決まっていることなど何もない!
無駄なことは何一つない!
本当に大事なことは何か?
真剣か?

と、問いかけられ、励まされたように感じた。

人生一度きり。死んでしまえば残らないようなものに一喜一憂するのではなく、本当に大事なことに注力する人生でありたいと改めて原点を再確認させられた。
そして、危機の時にこそ頼りになる仲間、体験を共有共感できる仲間の価値も、再度認識し、沖縄に出会ってからやってきたことが何一つ無駄ではなかったと誇りを持って言える。人生の幸せは自分の周囲の人間によって影響される。その環境を選び、作るのもまた自分なのだ。
波瀾万丈の人生を自分は求めているから、こうした体験ができるのだろう。天の演出には驚かされるばかりだ。映画のような体験を求めている人にはおススメの環境だ(笑)あー生きてて良かった!!!