歴史の裏に因縁あり

 少し前に何かの記事で、岡田克也副総理の実弟が東京新聞の政治部長をしているという記事を見た。有名なことだが、岡田副総理の兄である岡田元也氏はイオングループの社長である。その記事を見て面白いと感じたのは、弟の氏名が岡田ではなく、高田昌也なのだ。こうした例はいわゆる上流階級にはよくある話だ。

一般的な感覚では、名字が違えば別人だと思う一方で、名字が同じであれば一族だと思い込んでしまうこともある。結婚に関する意識も、政略結婚という言葉があるように、ただの恋愛だけのこととは見ていない人間たちが時代を作る。因縁関係を作るというのは古今東西を問わず、勢力を作るのに有効な手段だ。岸信介元首相と佐藤栄作元首相が兄弟であることを知らない人もいる。

本名のほかに、通名を持って使い分けている人も居る。芸名も似たような効果がある。言葉のイメージとは意外に大きいものだ。事業で成功した人が、いわゆる名家と繋がろうとするのは、ただ格を得るだけではなく、メリットがあるからだ。どこの世界でも、因縁で世界は回っている。広瀬隆氏の「赤い楯」という本を読むと、ロスチャイルドの系図をよくぞここまで調べたものだと驚嘆する。

東急の創業者五島慶太。彼の元の名前は小林慶太である。彼は婿養子に入ったのだが、義父は久米民之助。二重橋の設計施工に関わったとして有名だが、国内の中国地方や海外では朝鮮、台湾などで鉄道事業に関わっていた。長女であった万千代は、久米民之助の祖母の実家であった五島家を再興するために養女になって、五島万千代となり、その万千代と慶太は結婚し、五島慶太となったのだ。久米民之助は、代々木御殿と呼ばれるほど広大な屋敷を持つほど成功した人間で、その後押しがあったから五島慶太は成功したのだ。ちなみに、恵比寿ガーデンプレイス、赤坂サカス、岡本太郎美術館などを手がけた久米設計は、久米民之助の次男が創業した会社だ。

人間一人では生きていないものなのだ。陰に因縁があり、それが応援することもあれば、足を引っ張ることもある。五島慶太に可愛がられた、小佐野賢治も華族の血族を嫁に迎え入れて発展したのだとしたらどう思うだろうか?それを入れ知恵したのが五島だとしたら?普通に伝記やWikiだけを見ていては裏側はつかめない。

当事者や関係者だけが知っているのだ。歴史の裏側は因縁で回っている。内助の功という言葉があるが、表に出ている人間の裏で関係している人たちがいるから、表面だけ見ても成功の要因はわからない。

今や経済界の大物となった、稲盛和夫氏も面白い。彼は京都の代表選手のようなイメージがあるが、元々は鹿児島出身である。大学も鹿児島大学で、生粋の薩摩っ子だ。勿論、西郷隆盛が大好きで、彼は出家したことからもわかるように、経営よりも宗教に興味がある人間だ。彼の経歴は華々しい。京セラというセラミック(陶磁)の会社をキッカケに、10年で上場したのだ。あの時代にしてはとても早い。そしてまた時代に先駆けて、第二電電(今のKDDI)も立ち上げ成功している。NTTを敵に回してなぜ平気なのか?そしてJALへと続く。華々しく成功しても、なぜ彼はライブドアのように叩かれないのか?それは彼が人格者だからだと不思議に思わないならセンスが無い。

稲盛和夫は、朝子という女性と結婚している。朝子の父は、バイオの神様と呼ばれた禹長春博士だ。長春博士がまた数奇な運命の持ち主だ。博士は朝顔の遺伝研究をしていた。そこから名付けられたのが朝子だ。博士の想いが入っている名前だ。博士の父は、朝鮮で閔妃暗殺に関わったことで日本に亡命していて、そこで出会った日本人と結婚して、長春博士が生まれた。禹長春博士は、日本で生まれ、日本語しか分らなかったが、後に韓国へとわたり、農業の父、キムチの父として有名になっている。国家が認めるほどの才能で、国を挙げて招聘されたのだ。後に、日本に帰られては困ると母の危篤でも日本へ出国させなかったくらいだ。博士の論文「種の合成」はいまだに古典として認められている。これが今まで存在しなかった植物を作ることができる理論として、バイオの神様と言われるゆえんである。

種の会社で有名な、サカタのタネも博士がいなければうまれなかった。彼のお陰でという功績は山ほどある。京都の千枚漬けにも貢献している。植物のプロということは、植物とは切っても切れない土壌にも詳しいということだ。稲盛和夫の研究を朝子も手伝った。セラミックも土と関係している。朝子という因縁を通して支援があったのだ。

数奇な人生を歩んだからこそ得た見識を禹長春博士は持っていた。そうした見識に触れるだけで人生はがらりと変化する。縁とは不思議なものだ。人が歴史を作るのだから、人のつながりこそが豊かな土壌となり花が咲くのだ。

肯定も否定もせず

今年の1月13日の金曜日に「聖と俗の境目」を書いた。その日に野田内閣が発足し、13日の金曜日に組閣したのは歴代初めてという。今日も13日の金曜日。まだまだ不吉というイメージがすぐ湧くだろうか?ちなみに、いまオスプレイ配備が話題になっているが、普天間で起きた沖国大米軍ヘリ墜落事故は、13日の金曜日に起きている。偶然その日に起きたのか?それとも狙って起こされたのか?今度のオスプレイ配備は強引に感じないだろうか?だとしたら何故か?墜落させて話題を作りたいのだとしたらどうだろうか?

真面目脳では絶対に出てこない視点だ。13日の金曜日が不吉とする意見の一つに、その日にテンプル騎士団が迫害された日だからという説がある。映画「ダヴィンチコード」でおなじみの陰謀論のスター騎士団だ。映画にも出て来たロスリン礼拝堂は明治維新後の岩倉使節団も訪問したという。その礼拝堂を作ったのがフリーメーソンとかテンプル騎士団だとかいう話しよりも、自分が面白いと思うのは、世界初のクローン羊が誕生した場所がロスリン研究所ということだ。つながりがあるのか?偶然なのか?そもそも一体何を求めてクローンの研究をしているのか興味深い。

テンプル騎士団やフリーメーソンというと、すぐに陰謀論という連想で思考停止してしまう。では、陰謀論の反対は何論なのだろう?世間の常識をそのまま受け入れろ論だろうか。陰謀という言葉は、怪しく受け入れてはならないという概念に洗脳されているのではないだろうか?歴史は勝者によって書かれることを忘れてはならない。

余談だが、誤解を恐れずに書くと、覚醒剤という言葉もそうだ。もうその言葉を聞いただけで、無条件にイコール悪となる。洗脳されている。剤という言葉をとって、覚醒という言葉だけを見たら、覚醒という概念は素晴らしいことではないか。覚醒させる剤があったとしたら、(例えば映画マトリクスでモーフィアスがネモに提示した薬のようなもの)本当は素晴らしい。いま言われている覚醒剤は、覚醒ではなく、興奮剤、麻痺剤、逃避剤、幻覚剤とか言うべきものだ。それを覚醒という言葉を使うところに、意図を感じるのだ。

「覚醒するな、奴隷でいることが大事だぞ」と。
「うん?何かおかしくないか?」と違和感を感じる人間は、非常識でおかしい人間とされていく。言葉の意味をよくよく考えることもせず、洗脳パターン化された反応をする、まさに奴隷だ。千と千尋で感じなかっただろうか?

薬による覚醒のイメージを描いている映画が最近では、「リミットレス」だ。善悪を超えて、もはやそうした薬も現実に出来ているのだろう。思いついたら試さなくては気が済まないのが人間の性だ。肉体でさえドーピングが話題になっている。頭脳のドーピングも確実にある。頭脳の生み出す価値は、肉体の生み出す価値に比べたら計り知れない。頭が良ければ世界は違って見える。小説「ジェノサイド」や映画「フィリップきみを愛してる」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」などを見たら、頭をドーピングしたいイメージにかられるだろう。

私たちには思いつきもしない発想で、世界を見ている人間がいるのだ。13という数字に踊らされるのか?13という数字を使って、世界を誘導するのか?そのまま何の疑問もなく受け入れている人間は踊らされるだけだ。奴隷と同じだ。なぜ誘導したいのか?どこに誘導したいのか?何も考えない人間は、千尋の両親のように豚と同じ扱いを受けてしまう。銭婆の世界観が分かれば、自ずと自分の役目も見えてくる。

かつて13は聖なる数字だった。私たちが普段使っている西暦によって、今日は13日の金曜日になっている。別の暦であったら今日は違う日で、金曜日という概念さえなかっただろう。無意識に暦に支配されている。暦についてはまた詳しく書く。

13という数字はアメリカの一ドル札に見ることが出来る。スターウォーズに影響を与えた、神話学者のキャンベルによれば、
「十三という数字は、変身と再生の数字。十二という限界範囲から脱出して、超越界に入ることを示す」という。

今までの概念を破って、新たな世界に飛び込むにはちょうど良い日だ。世界を偶然の連続で出来ているカオスだけと見るのでもなく、意図的に仕組まれた世界だけと見るのでもない、善悪二元論を超えた世界だ。

偏見を捨てて、何でも受け入れつつも、尋ねる心はもち続ける。そこで次のステップに行ける。それはまた次の機会に。