イスラムの可能性

先日、ご縁がありインドネシア大使公邸にお邪魔してきた。沖縄に関わるキッカケになった会社の創業者は、インドネシアの独立運動を支援していたことで投獄されたことのある方だ。インドネシアの独立に日本は深く関係している。ちなみに、沖縄とインドネシアの関係は琉球貿易時代から深くて、沖縄の民謡にインドネシア語が使われているくらいだ。

インドネシアは、世界最大のイスラム教徒を抱える国でもある。イスラム教は調べてみると面白い歴史がある。キリスト教はどちらかというと大衆から広まっていったが、イスラム教はエリート層から広まっていった経緯があり、驚くべき速さで普及していった。最初は敵であった人物が、その後改宗してイスラムのトップになったりしている。寛容性もあり、イスラム創成期の人物は魅力的な人が揃っていて、読み物としても面白い。ルネッサンスはつまるところ、実はイスラム世界に残されていた知識の再発見にすぎない。当時の世界最高の知識はイスラム世界にあり、イスラム側からみた歴史を学べば、世界史を複眼で見ることになり、世界の景色が違って見えるに違いない。
話は変わるが、宗教の役目とはなんだろう?経済活動が盛り上がってきて、社会のお約束なんかより金儲けしようぜという気分の時に、宗教はそれを抑える役目として機能してきた。儲けた金を宗教建築で吸い上げたり、利子を制限したりと、人々の欲の皮を消化(昇華)させる働きがあったのだ。そうすることでバブルを事前に防ぐ役割を果たしてきた。余計なお金が社会に生まれると、そのお金は悪さをするのだ。昔の知恵というのはそれなりの意味があるものだが、意味が失われて形だけになるから、知恵は失われる。
イスラム教というのは現代においても、社会に対して影響力を持っている宗教で、そこから学ぶことは大きい。イスラムの原点の確認と本来の知恵というものをとらえなおして、新たに現代でその知恵が働くように再設計する必要がある。日本においては、宗教というより、武士道のような「道をきわめる」という方法が、宗教の代わりを果たしてきた。
いずれにしても、西洋と東洋のハイブリッド日本は、イスラムという世界との関係で助け合える関係になれる。資本主義への新たな処方箋のヒントがそこにはある。際限なく拡大しようとするマネーとどう付き合うか。多様な選択肢の一つとなるのだ。
世界というのは、勝手に出来ていくものではない。イメージを持っている人間に引っ張られるのだ。イメージが持てない人間は、持っている人間に振り回される。そこに良い悪いはない。どういう世界にしたいのか?世界は世界観同士の戦いで満ちている。イメージを持っている人間がルールを作っていく。その積み重ねで今がある。だから原点を知ることは大事なのだ。原点と経緯を知ることで、未来をイメージできる。
人が引いたレールの上を走るのは安心安定に見える。しかし、そのレールはどこに向かって走っているのか?自分でレールを作るのは大変だが、自分で目的地を決められる。レールに乗ったり、作ったりと人生色々だ。こうしたイメージを持つのに、映画トゥルーマンショーをお勧めする。

新たな光

今日は沖縄が日本になって40年の日だ。節目の日に興味深いニュースがあったので、それを信号と捉えて書いてみたい。ジョニーデップとかつて創業した会社と沖縄についてだ。
ジョニーデップとティムバートン監督が映画の宣伝のために来日したというニュースを見た。彼らが最初に組んだ映画が、「シザーハンズ」だ。あの映画から、俳優としての活躍が始まった。彼は元々俳優業に興味があったわけではなく、当時妻だった女性の元彼がニコラス=ケイジで、彼から勧められて俳優としてのキッカケを得た。元々はというか、今もだが音楽活動をしていて、それなりには成功していたのだ。
そんな姿はあまり知られていない。以前、トムクルーズでも似たような話を書いたが、覚えているだろうか?(いい人が飛躍できない理由)ちなみにシザーハンズは最初トムクルーズが出演する予定だった。運命は面白いものだ。自分が飛躍するキッカケは自分だけでは作れないものだ。それがわからずに、自分だけの力で成し遂げようとする人が多い。ご縁を大事にすることは、原点を大事にすることで、それは自分を大事にすることと同じことなのだ。
シザーハンズは自分にとっても思い出深い作品だ。菩薩としての生き方を教わった。主人公のエドワードと同じように、警察に関係したことも、今となっては予言だったのかと感じるくらいだ。改めて見てみると、自分の人生に起こったことと、とても似ていて他人事とは思えない。
参考までに過去に書いたシザーハンズ関連の記事をまとめておく。
菩薩シザーハンズ  http://ozeki.fa-fa.com/?eid=1308005
さて、いつも原点が大事だと話しているが、私の一つの原点である創業した会社が転機を迎えたと知った。創業メンバーだった方から連絡をいただいて知ったのだが、原点を大事にしてくれている人の存在は有り難い。自分が決めたサイバーエージェントへの売却という形から、また新たな道を選ぶ選択をしたというニュースだった。
当時を思い起こすと、会社の株を買いたいという話は4つほどあった。値段や条件でいえば、他にいい選択もあったのだが、短期的ではなく、長期的に今後も誰にとっても良いプロセスになると思ってサイバーへ売却という決断をした。何が本当に良かったかは、歴史が証明するのだろうが、現時点でも新たな道を選ぶことが出来たというだけで、よかったのではないかと感じている。
違う会社に売却していたら、会社自体がなくなっていた可能性が高いと思う。関わった人間たちにとっては、なくなるよりは元気でいてくれるだけで嬉しいことだ。実際に頑張って来られた関係者の努力の賜物だ。敬意を表したい。
ジョニーデップにとっての音楽と、私にとってのIT企業は似ていると感じている。私は沖縄で菩薩業に出会った。ジョニーが俳優業に出会ったように。沖縄に関わってから今までの数年で、シザーハンズを体験したのだ。代表作ができたようなものだ。
シザーハンズからジョニーデップが始まったように、私もこれからが菩薩としての始まりである。私にとってのティムバートン監督は、如来なのだ。沖縄で出会った人だ。
私が創業した会社は、名前を変えてvoyage groupとなっている。創業時はaxiv.comという名前だった。設立日は1999年10月8日。なぜこの日にしたかは、学生時代にお世話になっていた人の誕生日と元彼女の誕生日で忘れないと思ったからだった。もう一つ理由があるが、それは秘密にしておこう。
そして、後で知ったのだが、jobwebの創業日も同じ日だった。そして、その社長である佐藤氏の誕生日が、沖縄復帰の日なのだ。それが今日である。
40年目という節目の日に、自分にとっても節目となるニュースを聞いて、沖縄の将来をも重ねあわせたくなった。いつかはわからないが、近い将来沖縄は独自の道を歩むことになる。いま放送中のアニメ、エウレカセブンAOでは中途半端な独立状態の沖縄が今後どうなるのか楽しみなところだ。この時期にこのアニメが放映されていることも信号ではないだろうか。
台湾からの沖縄行きが、琉球行きと表示されているように、知らぬところ、気づかぬところで琉球という存在は増しているのだ。新たな歴史の始まりを感じる。
いずれにせよ、つきつめてみれば、問題の根源は、部分と全体の関係性の問題につながる。個人と社会。沖縄と日本。日本と世界。近代西洋が作り上げてきた世界の限界が見えてきたのだ。新たな道が光となる。その光は沖縄から始まると信じている。もちろん信じるだけではなく、新たな道のひな形を作っている。歴史の創造に参加したい方は沖縄に来られることをお勧めする。ビットバレーの時の渋谷のような場所が、いまの沖縄なのだから。

真の悪党とは

 綺麗ごとの世界を成り立たせたいのなら、どこかが悪を引き受けなければならない。悪を必要以上につぶして回ると、結局は自らのもとにそのつけは回ってくる。誰かしら汚れる役目が必要なのだ。正義のヒーローが成り立つには、悪役がいなければ始まらない。そのバランスが大事なことは、生態系という自然の教師に学べることだ。

衛生状態を気にしすぎて無菌にこだわり続ければ、免疫がなくなり結果として病気になってしまう。多少のばい菌は必要なのだ。また、消毒しすぎて、その消毒が効かなくなり、更に強い毒性を持つ場合だってある。過ぎたるは及ばざるがごとしの言葉通りだ。さらに言えば、細菌がいなければ、細菌がつないでいた連鎖の輪がなくなることになり、全体が崩壊してしまう。
その他にも、ブレーキだって遊びが必要なように、無意味と思われる余白が社会には必要だ。無意味だからそんなものはなくてもいいと切り捨てていけばいくほど、社会の余裕はなくなり、ぎすぎすしたものとなっていく。効率化だけを求める社会はそうなるしかない。
ITによって加速された経済が、多数から少数へと富を移転する動きをしている。絆を利益に変えてきた。そして、深く考えもせずにスピード優先で企業活動を邁進していると、回りまわって自分の首を絞めることになる。利益の極大化を推し進めるならば、スピードこそ命だ。だが、肉食動物だけでは生態系が成り立たないのは明白だ。草食動物が育つには時間がかかる。それを無視して、スピードを追い続ければ、すべてを刈りつくして自らのエサもなくなる。
世界を人と例えるならば、癌細胞は際限のない拡大を目指している会社だといえよう。しかし、成長期であれば、一見際限のない拡大をしていると同じように見える。正常な細胞なのか、癌細胞なのか、自分では判断つかないものだ。気付けばミイラ取りがミイラになるようなものだ。
悪党というものは、既存の秩序を脅かす存在だ。だからこそ叩かれやすい。しかし、その性格ゆえに、新しい秩序を作り出す芽が眠っている。実体世界からすれば、ITや金融、革命家などは悪党に見える。この悪党がそのまま秩序を崩壊させたとしたら、どんな秩序が待っているのか?それは今よりも幸福なのだろうか?次の世界をイメージできていないと、自分の行為が地獄への高速道路を作っていることになるかもしれないのだ。
そしてITによって加速された金融こそが、世界の秩序を破壊しつつある。その先には、持つものと、持たない者の二極化された世界だけが残って、持たない者は諦めと一瞬の楽しみだけを追い求める人生となる恐れがある。夢も希望もない社会だ。
夢や希望は、バーチャルの中にしかない世界ともいえる。ある意味完成された世界だ。しかし、そこにはドラマがなく、自分が主人公にはなれない世界だ。この病に対するワクチンは、悪党の中にあるのだ。ただの悪党で秩序を破壊するだけなのか?それとも、新しい秩序を創造する英雄になるのか?真の悪党とは、悪党に見えて実は正義の味方だったというのが面白いドラマではないだろうか。

イメージの力

 今日は言わずと知れた子供の日。端午の節句である。季節のイベントは歴史を重ねるごとに本来の意味が失われたり、別の意味を持ち始めたりすることが多い。今は子供の日ということが大きな意味を持っている。子供は未来の象徴だ。

そんな日にシンクロするかのように、未来の象徴ともいえる国内の商業原子炉50基がすべて停止する日でもある。原子力は核の平和利用の象徴でもあり、経済の根本を支えてきた電気の中心であった。一年前に誰がこんな事態が予想できただろうか?
そんな地上を照らし、物事をはっきりと明らかにするように天体ではスーパームーンと呼ばれるイベントが起きている。さらに、流星群もピークだという。この重なりは単なる偶然と普通は捉えるだろう。
時代が違えば、こうした信号は時代を象徴する出来事として捉えられていた。関係ないと言えば関係ない。一体この出来事はどんな意味を持つのか?ゲームとしても考えてみたらいい。世界は決して切り離されてはいない。目の前の出来事から自分へのヒントを探ることができる。
自分の中でこの信号はどんな物語となるのか?人は物語を聞きたいのだ。そして物語の主人公になりたがっている。例えば、起業したいと思っているとする。実際に起業したことがなければ、起業への心の抵抗は大きい。実際に、周囲で起業した人がいなければさらに遠い次元の話となる。主人公になることを諦めてしまう。
実際、自分たちが創業したときは、まだまだ若い人の起業は一般的でなかった。ビットバレーをやっていたときも、インターネット企業というものがまだまだイメージわかなかったので、そのイメージをつかみたくて、みな集まっていたのだ。
知ったり、体験すれば、身近に感じる。いまや起業は選択肢の一つになっている。そうなれば特別なことはなく、心の抵抗も少ない。イメージ持てるかどうかで行動も変わってくる。
いまの社会の問題は、次のイメージがないことだ。一体どんな社会がいいのか?原発ではないとしたらどうやってエネルギーを得るのか?IT革命、金融革命の次は一体なんなのか?
次の夢がないのだ。世界を変えようとするより、どうしたら一生安定した職場が探せるかや、好きなサッカー選手の応援のほうに興味がいってしまう。
自分が起業したときは、次世代のロールモデルになろうと思っていた。あんな生き方もあるんだとおもってもらえたらと。バイアウトなどした人はいなかった。何人かに、
「尾関さんの例を見てバイアウトを自分もしました」と言われたこともある。少しは貢献できたのだろう。
菩薩というロールモデルはそれよりもスケールが大きい貢献を目指している。IT革命の初期に感じた、歴史に参画するという意識を取り戻せると自負している。しかしながら、一人一人が主人公のこの世界で、自ら脇役になりたがる人ばかりなのだ。なんと勿体ない。
自分を主人公としたイメージが持てたとしたら、それが身近に感じられたとしたら、菩薩という生き方への抵抗も少なくなる。菩薩もあくまで方便だ。菩薩でなくてもいい。魂が燃えて使命感あふれる生き方であれば、どんな生き方もロールモデルになる。
自分たちが手掛けている仕事の責任の重さと、新たな世界を切り開いている喜びを感じている。誰にでもできる仕事ではない。そのために多くのものを賭けてきた。真剣に自らの使命を求めて、怠惰や常識と戦っている人間はそうはいない。こんなバカなことをしている人間はそうはいない。その少ないながらも、心の通じ合った同志がいるだけでどれほど幸せなことか。
もう既に新しい世界はここにある。そしてそれは進化し続ける。だから面白い。いつでも新鮮なのだ。なんでもすぐに飽きていた自分が飽きずにやっていることに、自分でも驚いているくらいだ。
自分だけじゃイメージできないからこそ、面白いイメージになる。自分で作った物語は予想できてつまらない。仲間とともに作った物語は予想を超えて面白くなる。
月を見ながら沖縄にて