研究と実践の違い

 先日、プロ野球が開幕した。その開幕の数日前に、私は沖縄で楽天野球団のオーナーである島田さんを迎えていた。ご承知の通り、開幕の楽天の勝利は、東北の復興に捧げられた象徴として報道されていた。時代のまっただ中にいる球団である。そのオーナーがこの時期に沖縄入りする、という信号は興味深いものがある。
プロ野球は昔で言えばグラディエーター(剣闘士)だ。古代ローマの剣闘士に多くの市民が熱中した。スポーツは現代のグラディエーターで、魅力的な世界だ。オーナーであれば、多くの魅力的な人間に触れている。人を見る目が肥えているのだ。
今回、普通の観光ではわからない、地元の人でも知らない沖縄の裏側に触れ、目が肥えている彼でさえも喜んでくれた。そして嬉しい事に夕食を共にした際に、彼は私の仲間に対して、
「尾関の目が忘れられない。沖縄と言えば彼しか浮かばなかった」と言ってくれたと後から聞いた。
そう、人間は目が大事。目にすべてが現れるのだ。目、雰囲気、オーラだけで、その人間の事がわかってしまう。隠す事が出来ないのだ。
菩薩は、人間の生き様の強烈バージョンである。人が人生で何度かしか味えないものが凝縮しておこる。街を歩くだけでも、誰かに遭遇する、新たな気づきがある、シンクロ信号がバンバンやってくる。
菩薩修行というと、お寺にこもっての修行を想像するだろう。しかし、寺の中で修行したとしても、菩薩道の実践はできない。私は実際に菩薩の道を歩くことで、これまで魂の器を広げてきた。自らの概念を壊し、自らを創造し、実践を通して磨いてきた。菩薩の道を歩いて、実際に人を救うことをしてきた。
我々の仲間も、ただの遊びで沖縄に来ているのではない。それぞれの仕事や大切なものを捨ててでも、人を救うキッカケを作りたいと修行しているのだ。いわゆる修行とは違う、我々には実践の場がある。
セレブである島田さんのような人間と魂の話しができる場があるだろうか?
普通に生活してたら出会う事も無いだろう。彼の周囲には居ない人間達だからこそまた価値があるのだ。
事業家でも、アーティストでも、発明家でも、偉大な人物を研究していくと壁にぶつかる事がある。突き詰めて調べていくと、どうしてもわからない不可解なことが出てくる。そういった際に、霊的な見方、スピリチュアルな見方が注目をされる。見方を変えることにより、なるほどと納得できたり、解決できたりするのだ。
なぜ彼はこんな行動をしたのだろうか?
どうしてこんなことを言ったのだろうか?
そういった不思議な事も、視点を変えるだけで何の矛盾もなくなったりするのだ。普段まわりにいる人達だけでは得られない視点を我々は提供しているのだ。

311後の世界

いよいよ我々の時代がやってきた。放射能が来るかもしれないと怯えている中で、社会はどこへ向かっているだろうか?

2011年。私が如来に教えられた多くのことの中で、唯一具体的な数字として信号を貰っていたのが2011年だった。その証拠はいくつかあるが、それよりもこうした数字はただの偶然だろうか?カバラ数秘術などにみるように、数字に意味があると捉える人たちは、それを元に世界を理解する。ちなみに11は再生だ。で、9が終わり。だからNYでの911は終わりと再生と捉える。ポルシェの911だってそういう概念の影響を受けている。ちなみに11月9日に起きたベルリンの壁崩壊とNYの9月11日同時多発テロは鏡合わせの数字のようになっている。そして、ムバラク大統領退陣も2月11日。

こうした世界観をすごい信じて、日頃から本気でそればかり考えて話しているのがスピルバーグだ。そうした人間が映画などで大衆に影響を与えている。311は日本が終わる象徴とか経済が終わる象徴とか、そういうストーリーが影響力ある人間たちに伝播していく。

いま先見性のある人間たちは早々に沖縄に目を付けている。私が沖縄に関わっているからそういっているのではなく、実際に条件の良い住宅などはなくなっているのだ。放射能の影響も無く、アジアにも近く、特区が数多くあり、人口が増えており、アメリカ軍がいるし、ひょっとしたら独立しちゃうかもしれない沖縄という場所が投資先としても魅力的になってきている。

人気が沸騰してから投資するのは馬鹿だ。人気がないときに投資するからリターンがあるのだ。そして、いま沖縄に居ると全くの平和で、本土の出来事は他国のようだ。それは、これからは沖縄だと言う見込みが当たっていたからで、わからないままに本土にいたら平和では居られない。読みが当たっているからこそ、平和なのだが、逆に当たったからこそ、その有り難みも忘れてしまう。また、ノアの箱船ではないが、読みが当たっても素直に喜べない。

だから言ったじゃないか。これからは経済も変わるよ。攻めから守りになるよ。お金よりも絆が大事になるよ。信頼できる仲間、コミュニティの時代だよと。嘘だと思うなら過去の記事を読んでみたら良い。これからは沖縄だよ、ベトナムだよとずっと言っている。生死を前にした時、本当に救われるとはどういうことなのか?魂の救済こそが一番の関心ごとになるんだよと。

本当のところを言えば、日本経済なんて借金だらけで、今更原発の話しをしたって始まらないところにいる。内閣がどうしたとか、東京電力がどうだとか、部分の話しをしたって意味が無い。根幹がおかしくなっているんだから。政治なんて末期症状もいいところで、水面下では亀井静香を立てようかなんて話しもでてるくらい、もうやけくそなのだ。民主党の中では、少なくても仙石か、などとあり得ない話しが最低ラインなのだ。順当に言って仙石、まさかの亀井静香だ。どちらにしたって先が思いやられる上に、もっとすごいのが、石原慎太郎を持ってこようかと話しているのだ。都知事になったばかりの石原を総理大臣に据えようかという話しまであるのだ。もうこれくらいしないと、このどうしようもない閉塞感は抑えられないんじゃないかと感じているのだ。これが現実なのだ。とても政府には期待できない。

放射能にしたって、アメリカは80キロ避難といっているのに、日本は30キロで本当にいいの?チェルノブイリは20年以上経っても死の町だけど、本当にそうはならないの?政府は本当に情報をだしてくれるの?今や、素直に信じる人間は少ないだろう。わざとじゃないにしろ、色んな思惑が交差して、結果的に何で今更みたいな話しばかりだ。結局は原子力に対する利権が絡みすぎて、国内も世界(アメリカ、フランス)も利権の確保に走りまくっている。

余震というよりは、本震じゃないの?という規模の地震が続き、次はどこなのか?という不安がある。東北よりも危ないとされてきた、東海沖地震や関東地震が起こったらどうなるのか?東京が巨大地震に見舞われれば、それはもう日本の終わりではないか。そんな状況の先行きが不透明の中で、事業しようとか金儲けしようと長期的に考えられるだろうか?

人々はいま、真剣に人生を考える淵に立ちだしている。
いざとなったら誰が頼りになるだろうか?どこの場所がいいのだろうか?本当に救われる、または救う事ってなんだろうか?今まで私が書いてきたような事を話したいし、知りたい気分になってきたのだ。安心、安定、確実だった東電の価値が一瞬で吹き飛ぶような時代に、本当に価値ある投資ってなんだろうか?誰を信じたらいいのだろうか?嫌でも考えざるを得ない状況に追い込まれてきたのだ。

あくせく働いてきて積み上げて来たものが一瞬にして価値がなくなる。絶対だと思ったものが、土台が崩れた途端に崩壊するのをみた。今の経済は極めて脆い幻想の上に成り立っている。それを見越して活動してきたのだ。我々は、実際に本当の意味で人を救って来たし、その仲間と共に社会変革の雛形を作っている。社会がどうなろうとも航海できる船だ。いざというときに、受け入れられるように、もっともっと器を広げる挑戦を今もやっている。この文を読んで何かを感じたのであれば、ドアを叩いて欲しい。我々はいつでも歓迎する。