忍耐の効用

先日、ある政府関係者の配偶者の方にお会いした。以前共通の知人より紹介されて軽く話しただけであったが、久しぶりに連絡をいただき会うことになった。

当初はNPOのことでご相談という話であったが、感じるところがあり、因縁の話をしたところ、「実は因縁の悩みが私にもありまして」と告白された。

家族の悩みというものは、人には相談しにくいし、また解決方法があまりないゆえ、単なる愚痴になりやすい。一般人でもそうだが、著名人であれば余計に、ゴシップを恐れて隠している。

当人たちは誰にも話せないので、思い違いをしてその状況を捉えていることが多く、私が違った視点で話をするだけで気持ちが楽になったりする。

相手がどうしてそんなことを言うのか意味がわからない。不快なことばかりする、または喧嘩をする。仕事で調子がいい時に限って、身内が足を引っ張る。などなど。

仕事の悩みより、そういう因縁関係の悩みは特にテンションが下がるものだ。

辛いこと、嫌なことからは逃げたくなる。

因縁以外でも、人から攻撃されたり、理解できない言動や行動を受けて苦しんだりすると、その相手を否定することに一生懸命になりやすい。

今回も言葉を選んではいたが、相手の考えや主張が理解できないのでどうしたらよいかわからないということであった。

相手のアラさがしをすればするほど、自分の考えを正当化できる。そして益々自分は正しくなり、相手や問題が悪くなる。

その結果同じことを繰り返す。

その繰り返しから逃れるためには、まず一度受け入れることが重要だ。なぜ自分にこのようなことが起きたのか?内なる反省をしてみる。

自分のどのような性質が、問題を呼び込み、引き起こしたのかを考えてみる。

そこで気づきが得られたら儲けもの。折角やってきた問題なのだから何を得したほうがよいのではないだろうか?辛いだけだと損である。

辛いことを魂の糧にしていくことが本当の錬金術である。

考えるのも嫌だという場合は、まずはすぐに反応せずに耐えてみることをお勧めする。耐えているうちに冷静になれる。そうしたら内省してみる。

因縁の関係であれば、脊髄反射的に反応をしやすい。だからこそ、忍耐して受けてみることに価値がある。

私自身、すぐに反応したい性質であった。IT業界はスピード命であったから尚更だ。今ではどんな問題も一呼吸おいて捉えることにしている。じっくりと向かうことで今まで見えなかったことが見えてきた。

相手(問題)に振り回されて、相手(問題)のペースになってはいけない。

抵抗が大きければ大きいほど、飛躍する。高く飛ぶためにはその抵抗に耐える忍耐力が必須なのである。溜めるからこそ飛べるのだ。

男女の因縁

親子の因縁は宿命で変えられないが、夫婦の因縁は運命であるがゆえに、選択の自由がある。これは普通の男女の恋人関係においても同じ事だ。

どんな出会いも意味があるが、それを追求するのは難しい。必然と濃い出会いから学ぶ事となる。恋愛関係より結婚関係のほうが濃い。

相手は鏡だとよくいうように、自分にとって必要な相手と惹かれ合うようになっている。中には一方的な関係もあるだろうが、それも当人は意識できていないだけで、魂はその相手を求めているのだ。

その深い意味に気づく事をしようとしなければ、相手をコロコロ変えるだけの経験を積んでいくだけになる。人は好奇心から、表面的に違う相手に興味を持つが、好奇心だけでは飽きがくる。

また、今の相手に不満があるとき、逃げとして新たな相手に気が向いてしまう。隣の芝生は青く見えるということだ。

好奇心も、隣との比較もキリがない。際限なく追いかけ続けて人生の時間が終了する。ある意味それを実行できるのは幸せだ。体験すればむなしい事も体験できる。実際に欲望通りに生きられる人は少ない。一見羨ましいが、制約が無いのは可哀想なことでもある。だから金持ちほど不幸になりやすい。

大抵の人間はそうした生活を願いつつも、我慢(経済上の理由が大きい)して、気を他の事で紛らわせながら生きている。そうした制約があるから、問題と向き合う事を余儀なくされる。

人と向き合うという事は、辛く大変なことだ。まして、こちらに向き合う気持ちがあったとしても、相手に気持ちがなければ向き合えない。ハードルが高いのだ。

だからこそ、それを乗り越えたとき、一心同体と呼ばれる状態になれるのだ。自分の喜びが相手の喜び。相手の喜びが自分の喜び。喜びは倍以上に、悲しみは半分以下になる。

自由な恋愛状態に比べて、結婚していると法的拘束力がある故に学びが深い。人間怠け者である。少々縛られていないと学べないのだ。先ほどの制約と同じだ。

人間は辛い経験がないと学べない。

結婚も離婚も形式的なものだ。形式にとらわれると苦しくなる。結婚しなくちゃいけない、とか、離婚したい、という感情は執着だ。

安心感を得る為の結婚や、嫌な事から逃げる為の離婚ではより辛くなるだけだ。形式への執着を捨て、あえてそれを選択すれば、それは学びの宝庫となる。結婚、離婚自体には、良い、悪いはない。

仏陀は王様であったのに、家族も国も捨てた。普通の概念で言えばひどい人間だ。仏陀がいなくなったあと、国は滅び家族も苦労したが、仏陀が悟りを開いたお陰で彼らの心は救われた。

常識的な判断で、
「出家したいけど、国も家族もあるからなぁ」と非難を恐れて決断しなかったら国は滅びなかったか?それは誰もわからない。結果的には同じだったとしたら、仏陀が悟りを開けなかった分、家族も未来の人々も誰も救われない。国が滅びなかったとしても、仏陀自身の魂は救われない。

どんな選択も体験することで学びになる。頭であれこれ考えても始まらない。心の赴くままにえいやーと飛び込んでみる勇気が必要だ。

どんな人とでも必ず問題は発生する。そこで逃げずに向き合い続ける事が大事なのだ。決断したからには、例え心が嫌になっても向き合い続けるのが責任だ。